リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

西武線クルーズ

2011-09-05 | art
所沢ビエンナーレを見に行った。
作家主導による手弁当の美術展。
前回は所沢駅近くの鉄道車庫跡地で行われていて、とてもユニークな美術展だった。
今回の開催を知り、詳細を検索してみると、会場が変わっていた。
場所は航空公園。
所沢駅から新宿線に乗り換え一駅の航空公園駅まで向った。


駅から並木道を15分ほど歩いて着いた第一会場。
所沢市生涯学習推進センター、もともと学校があったところのようだ。
体育館とプール跡地が会場になっている。

学校のディテールは誰でも親近感がある。こうした機会に訪れると新鮮だ。
体育館の細部に色々と記憶が刺激される。壇上そでのカーテンとか、キャットウォークに続く階段とか。
誰もが共感できる空間だろう。そのような“学校的記憶”に呼応した作品が多かったと思う。
だが、共感部分が勝ってしまい、この空間を異化する作品にはなっていなかった気がする。


壇上そで。“学校的記憶”が刺激される。

少し離れたプール跡地は、これだけでも魅力的な廃墟で、スコール雨のあとの湿気が更衣室をホワイトキューブに仕立てた空間にこもっていた。



プール跡地。黒い枠が遠藤利克という方の作品。焼いた木炭でできている。



チェーン店が並ぶ通りからさらに農道を15分ほど歩いて第二会場に。
給食センター跡地。
ここはロケーションの勝利。配管や大型鍋、アルミテーブルなど工業テクスチャーがむき出しになっており、いわゆる「工場萌え」の人にはたまらない空間となっている。
ほとんどこの空間が「作品」といっていいだろう。
この場所を見つけたのはこの美術展の慧眼だし、こんな機会がなければ一般人が足を踏み入れることもないだろう。
だが作品はこの圧倒的な“場所のチカラ”に負けていた。作品が工場のディテールの一部に同化してしまっている。


ほとんど「作品」の工業テクスチャー。

メイン会場外れの倉庫を使った展示がすばらしかったのは皮肉だ。
“場所のチカラ”をまぬがれ静謐な空間を作り上げていた。


倉庫。清岡正彦という方の作品。木型の船に苔むしたオブジェがのっている。神秘的で見入ってしまった。

前回の車庫跡地は広い空間で、高さのある作品も多く、ダイナミックに感じた。
だが、今回は空間に寄り添う作品が多かった。
せっかく会場は魅力的なのに、場に負けてしまっては作品展の意味がない。
次回も新たに面白い場所を見つけてほしいし、その空間を制圧するパワフルな作品を立ち上げてほしい。
こういう美術展を所沢という地でやっているのが面白いし、なんだかんだいっても発見が多いので、是非継続してもらいたい。


帰り道は道端の片隅もオブジェに見える。


農道脇にまだ白い曼珠沙華が揺れていた。真っ赤に咲いたらさぞ壮観だろう。

戻りは駅までバスに乗り、所沢駅に戻ったら西所沢駅まで出て西武狭山線に乗り換え、西武球場前駅に向った。午後の予定はデーゲームを観るのだ。


ライオンズ×ホークス戦を観た。
9月になって初の西武ドームで野球観戦である。
キャッチャーの上本が満塁ホームランを含む猛打で大勝した。
先発の西口の老獪なピッチングがとてもよかった。
もうストレートは速くないが、得意のスライダーを生かした投球と打者のウラをかく配給で三振の山を築いていた。
ベテランが活躍するゲームが観られるのはうれしい。

ゲーム終了後、駅に戻ると池袋線沿線の事故で運転見合わせだったので、山口線で迂回。電車とはいえ車輪で走っているのどかな路線だ。西武遊園地の裏道を走っているので、車窓に遊園地の遊具やゴルフのコースが見える。
西武遊園地駅から多摩湖線で国分寺駅まで出て反省会。

帰りは国分寺線で所沢駅まで戻り、復旧した池袋線へ。
期せずして西武線沿線を乗り継ぐ西武線クルーズの一日となった。


※展示会場は撮影可だったのでいくつか撮った画像を掲載しました。

画家たちの「戦争」

2010-10-31 | art

とんぼの本『画家たちの「戦争」』(新潮社)読む。
“戦争画”は、太平洋戦時中、戦意高揚のために描かれた作品のことだ。
終戦後アメリカに接収された後、返却ではなく“無期限貸与”として日本に移され、現在、国立近代美術館に保管されている。
この“戦争画”は、2、3点ずつ国立近代美術館の常設展で展示されている。
私は何度か常設展を見ているが、戦争画の一角に立つと、なんとも居心地の悪い気分になる。
この居心地の悪さは、歴史や美術、政治などが、消化できないまま渦を巻いている感じだ。
眼前あるものに政治性を帯びた時代の堆積を意識する。
きっと答えなど出ない性質の問いが、目の前にある。そのように思わされる、常設展を気軽に眺める者としては非常に厄介な絵画だ。

以前、藤田嗣治の戦争画をきっかけとして、戦争画について少し考えたことがある。

http://blog.goo.ne.jp/rinmu_2006/e/ddfcc15700c77722f4b5fc1bc2c5a890
http://blog.goo.ne.jp/rinmu_2006/e/8994d3352e5a90a50cf82919c8633971

『画家たちの「戦争」』とんぼの本(新潮社)をきっかけとして、あらためて戦争画について考えた。帯には次のように記されている。

《戦争画とは何か?
いまだタブー視されている戦争画の名作を
じっくり鑑賞し、様々な意見に触れ、
もう一度、考えてみよう!》

戦争画を受け止める姿勢のあり方を、この帯文はいくつか示していると思う。
戦争画を「タブー視」しないためは、向き合うしかない。そもそも戦争画の「名作」とはすぐれたプロパガンダということではないのか。
じっくり鑑賞する居心地の悪さを引き受けること。この本によって、近美の常設展に足を運べない人でも、戦争画の多数の図版と様々な意見に触れることができる。

戦争画のまとまった展覧会が開かれたことはないし、これからも開かれる予定はないという。
このような絵画を歴史に位置付け、受け止めることができる時代まで、「戦後」は終わらないのだな、と思う。

最後に、この本に納められている河田明久氏の論考を引く。戦争画の課題を明解に、端的に記した文章だ。

「そもそも戦争画を「理解」するとはどういうことだろう。それらはマッカーサーにも判断がつきかねたように、芸術作品でありながら、同時にまちがいなくプロパガンダの道具でもある。また死闘図を描いていたころの藤田が見切っていた通り、表現の少なくとも半分は表現者の意図ではなく、表現を受け止める側の解釈の仕方にかかっている。戦争画の「教え」というものがもしあるとすれば、それはこの割り切れなさを引き受けたうえで、あらためて表現とは何か、と問い直すことでしかないだろう。」

小出楢重について

2010-09-23 | art
小出楢重という画家がいた。
あまり有名ではないかもしれないが、日本洋画史に大きな足跡を残している。
僕は2、3点、実物の絵画を見た経験があるが、そのときには特に関心を持っていなかった。
が、近年になって小出楢重に対する関心が俄然高まった。
何をきっかけにしてなのか、よく分からない。
いつからか彼の存在が、僕の関心領域で大きくクローズアップされてきた。
なので、小出楢重についてひとまず何か記しておこうと思った。

小出楢重の絵には、まず谷崎潤一郎『蓼食う虫』の新聞連載時の挿絵で目にしたのが、最初だった。
岩波文庫版には、「近代挿絵史上の傑作」といわれる挿絵が全点採録されている。
同じように挿絵が全点採録されている永井荷風『墨東綺譚』の木村荘八や、谷崎作品の『鍵』(こちらは中公文庫版)の棟方志功のように、絵画の大御所の一人なんだろうという程度の認識だった。

『小出楢重と谷崎潤一郎』(春風社)という評論集の、谷崎と小出のコラボレーションに『蓼食う虫』の秘密があるとする仮説がたいへん面白かった。
『蓼食う虫』は、千代子夫人をめぐる谷崎と佐藤春夫との三角関係から発した「小田原事件」の私小説的要素や、後半の人形浄瑠璃を見物する場面から日本の伝統美に目覚めていくあたりに、関心が集まる作品だが、この評論集は、「小出楢重」という別の角度から作品を読み解く。
作品と不可分の関係である挿絵を描いた小出が、この作品成立のキーマンであるというのは、盲点だった。
小出楢重の作品に興味を持つきっかけとなった。

小出楢重は、名随筆家としても知られ、『小出楢重随筆集』が岩波文庫で編集されている。
随筆を読んだ印象は、いわゆる美文というわけではなく、勘所を得た、言いたいことを過不足なく言い表す文章で、谷崎の随筆と感触が近い。
この文庫にも、挿絵が多く収録されており、小出楢重のパーソナリティを知るには格好の一冊だった。

小出楢重に関しては、岩坂恵子著『画家小出楢重の肖像』(講談社文芸文庫)という評伝がある。
小出の生涯を追う評伝ではあるのだが、ゆかりの地を訪ね、現在の光景と小出が見たであろう情景を重ね合わせ思いをはせる紀行文ふうの構成にもなっている。
著者自身が小出と同じ関西出身ということもあって、小出と家人との会話が関西弁で再現されていたりもする。
こういう創作したモノローグは、ノンフィクションとしては掟破りな気もするが、これはこれで効果を上げている。

小出楢重の作品をまとまって見られる機会は少ない。
岩坂も、数枚の代表的な絵を手がかりに、小出作品の魅力に迫っていく。

「図版でよく目にしていた絵は、実物に初めて接したときにすでに旧知であるような親しみが持てたりするものだが、肉眼で見ることによってしか感得できない何かがあるのも事実である。ああ、そうだったのか、というすぐには他の言葉で説明できない、ある感慨が絵を前にした私の胸に湧いた。」

いつか、小出作品のまとまった回顧展が見たいものだ。

「絵の前に立つと、頭のなかにしまわれていた言葉など霞のように消え去っていくのがわかった。絵は厳としてそこにあり、しかも力があった。言葉によって印象がゆらぐような、そんなものではなかった。私は楢重が描きあらわしたものをただ無心に受け入れればよかった。」

そのとき、小出作品の前で、このように書き連ねてきた言葉が、霞のように消え去ってしまうことを願う。

印象派の印象

2010-09-23 | art
印象派についてつらつらと思うところを書いてみる。
最近、印象派の絵画や、それに関する書籍に触れる機会が多い。機会が多いというか、自ら進んで足を運び、手を伸ばしているわけだが。
展覧会の感想や書評・引用を、並列的に記述したいと思う。
題して「印象派の印象」


横浜美術館で「ポーラ美術館コレクション展 印象派とエコール・ド・パリ」を観た。
フランス近代美術の流れを概観できる「ホンモノでつづられた教科書」のような展覧会。 モネ、セザンヌ、ゴッホ。ピカソ、シャガール、フジタ、モディリアーニ・・・。
そう、印象派といえば、絵画の「教科書」で見る作風なんだ。「いい絵」の基準となるようなもの。
実際、「絵画の鑑賞」しているという、満足感が得られる。さらに、この展覧会は、ゆったりと一点一点間隔をとって展示されていて、気持ちよく観れた。
ポーラ美術館は、国内の美術館で、そこの所蔵作品から選ばれて展示されていた。
横浜美術館自体も、所蔵作品が充実しており、常設展が面白い。特に、シュルレアリスム、写真や版画などに力を入れて収集しており、この展覧会の「エコール・ド・パリ」以後の美術史の流れと連続してみることができる。展覧会→常設展の導線がしっかり引かれているのが、美術館の姿勢としてよいと思った。
展覧会見たら、常設展パスしちゃう人も多いから。

瀬木慎一『名画はなぜ心を打つか』(講談社文庫)は、絵画を見たり考えたりする上で、たいへん示唆に富む本だった。
「見ること」そのことに対する意識、「見る」という経験の潜伏期間に関する認識に、特に教えられることが多い。

「まず、「絵」そのものを見ること、それもよく見ることからすべてがはじまるのである。そして数週間たち、数ヶ月たち・・・とすれば見るという行為がおのずと面白くなり「どう見たらいいか」などといった愚問を発しないようになる。そして気がついてみると、自分自身で、いくらかでも自問自答できる状態になっていることに驚きを覚えるはずである。」

また、
「今までなにげなく聞いていた話や、漠然と読みすごしていた本が意味をもつようになり、がぜん、あらゆるものが教材であることを見出すのである。」
とある。
私自身、そのように感じることも多いから、美術館に行くことや本を読むことに何らかの意義を感じているのだと思う。


ブリヂストン美術館でヘンリー・ムーアの作品展を見たあと、常設展示「印象派から抽象絵画まで」もやっていたのでこちらも見た。
ブリヂストン美術館も、多くの印象派~エコール・ド・パリの有名な作品を所蔵している。
セザンヌやドガも自画像など、それこそ教科書やカタログで見たことがあるものが、そこにある。

それにしても、印象派ってなんでこんなに人気があるんだろう。
「オルセー美術館展」などにも、多くの来場者があったみたいだし、秋には「ゴッホ展」もまたやる。
美術館で、黒字が見込めるのは、印象派がらみの特別展くらいなんじゃないか。

赤瀬川原平がこんな事を書いてる。
「印象派の絵の初々しさというのは、人類史上無上のものだ。何かのための絵ではなく、絵そのものを得た人々の喜びがあふれかえっている。」(『芸術原論』岩波現代文庫)
絵を描くことの原初の喜びが表現されている。だから現代人はそれを求めるのだろうか。

福田和也のWEB上の連載を読んで、印象派についての認識が深まった。
セザンヌを論じる際に、ボードレールの美術批評から語り起こすあたり、スリリングだった。

ボードレールは、『悪の華』などで知られる詩人だが、写真黎明期の肖像写真家ナダールと親交があり、ナダール撮影によるポートレイトが有名だ。
「この頃、彼は書きためた詩から『悪の華』の編集にとりかかっていたはずである。あの痛烈な詩句を書いたと思われないほどにさわやかである。この写真ひとつをとっても、顔を見ることにかけては天才的であったナダールの直感がボードレールの写真を他の人と違うものにしている。」(多木浩二『肖像写真』岩波新書)
写真史にも重要な役割を果たし、印象派に通ずる絵画の歴史にも先駆的な批評を残す・・・。
また、街の「遊歩者」としてのありかたは、19世紀パリの都市論『パサージュ論』を構想したベンヤミンへと接続する・・・。

私の興味関心の方向には、ボードレールが大きく影を落としている。理解もできず『悪の華』を読んでいた高校生の頃には、思いもよらないことだった。

福田和也からリンクして小林秀雄『近代絵画』を読んだ。
ここでも、ボードレールの美術批評から語り起こされている。
小林秀雄は、ゴッホやゴーギャンを語る際にランボーやベルレーヌを引き合いに出す。
文芸評論家だから当たり前かもしれないが、私としては理解しやすい。

小林秀雄『近代絵画』はたぶん難解だろうと敬遠して読んでこなかったが、以上のような絵画体験や読書体験を経てひもとくと、思いのほかクリアに読めた。


「漠然と読みすごしていた本が意味をもつようになり、がぜん、あらゆるものが教材であることを見出す」
このような認識が自分にとって重要なのだということが、あれこれ印象派をめぐってあれこれ考えてきて、分かったことだ。



PLATFORM

2010-04-27 | art
練馬区美術館にて「PLATFORM」展を観る。
トップに掲げたのは、本展のポスターにもなっている “マニフェスト”のようなもの。
展覧会の顔ともいえるポスターにテクストだけとは潔い。
「現代美術」について考えさせられる、示唆に富む文章だと思い、転載した次第。
この“マニフェスト”に応答する形で、本展の感想を記してみたい。

「それが現代を生きる私たちの心が生み出した、私たち自身の美術である以上、現代美術は今の自分と切り離された、遠いところにある美術ではなく、いつもの自分の領域に存在する美術、自身に内在する美術として、きっと何かを示してくれるにちがいない。」

「現代美術」は、日常の感覚から遠いもの、難解でとっつきにくいのものだという先入観がある。「現代を生きる私たちの心が生み出した、私たち自身の美術」と思える人はほとんどいないだろう。たとえ現代美術に関心があっても、そう考えることは相当難しい。
「現代美術」は、「現代」から切り離された、ローカルな表現で、分かる人が分かればいい、それでいいのだろうか。

「PLATFORMは、現代美術で考え、現代美術を実感する場。」

「PLATFORM」という展覧会タイトルは面白いと思った。通り過ぎる電車を待つ駅。
「現代美術」は、現代において、“各駅停車駅”だろう。効率主義・実用第一の現代社会のシステムは、特急・快速でビュンビュン進んでいく。常識という名の文脈(コンテクスト)を当たり前だと思っている。
だが、現代美術は、立ち止まり、普段思い巡らすことのない前提を再考する各駅停車駅の役割を担っているのではないか。文脈に区切りを入れる、“句読点の思考”。

本展が開催さている練馬区美術館は、西武池袋線・中村橋駅という各駅停車駅が最寄なのだが、昨年、同じ西武池袋線沿線の所沢駅近郊の車両工場跡地で「引込線」という展覧会が行なわれていたことを思い出す。
「引込線」は、コンテクストから逸れる補助線を「現代美術」で引いてみるという試みだろう。“句読点の思考”に対して、“補助線の思考”。
どちらも鉄道のメタファーで「現代美術」の今日的役割を提示しようとしているところが興味深い。
だが、「プラットフォーム」は、底部・基本部分に位置するものを指し示す用語としても使われているらしいので、こちらの意味で使っているようなら、見当違いの解釈だが。

「2010年の第1回目は、寺田真由美と若林砂絵子。両者の作品の舞台はともに「私の中」。寺田の作品は、純粋なまでに躊躇のない、沸き起こる感情のナレーションを見せ、若林の作品は、今そこに存在する自分と、その先を望む自分の狭間で生じた、喜びと苦悩の造形。」

本展には写真と絵画が展示されている。
タブローは「現代美術」で分が悪い。パフォーマンスやインスタレーションのほうが、分かりやすく現代的な表現という感じがする。
寺田作品は無機的なジオラマをモノクロームで撮影したものだ。無人の空間を見つけて撮っているのかと思ったら、自ら組み立てた模型を使って撮影されたものだった。
凝った手法で内的空間を紡いでいる。
若林作品は抽象画で、タイトルも「untitled[works1~]」と無題でナンバリングされているだけ。そっけない。
どちらも分かりやすいものではない。分かりやすい現代的意匠をまとった「現代美術」を紹介したいわけではない、という意思を感じる。「2010年の第1回目は~」と記しているように、シリーズ化して「現代美術」を紹介していくのだろう。
練馬区美術館が提示する「現代美術」の“各駅停車”の(または「現代美術」の底部の?)PLATFOEM、今後どのような作品をセレクトしキュレーションするのか、期待したい。

「あなたは何を見、何を考え、そして何を実感するだろうか?」

以上、私が「PLATFORM」展を見、考えた、「現代美術」に対する実感である。
あなたもPLATFOMに下車したくなっただろうか。

社会とアート/歩きながら歴史を考える

2010-02-11 | art
路上でホームレスが販売する雑誌「ビック・イシュー」を初めて購入する。
定価300円のうち150円が販売者の収入になるという。興味を持ったのは、特集が「社会とアート」だったから。
現代美術家・やなぎみわをゲスト編集長に迎え、国内外の“社会派”アーティストを紹介している。“社会派”とはいえ、市民運動を起こしたり明確なイデオロギーを掲げたりしている作家を取り上げているわけではない。
一見個人的な動機の作業に見えながら、社会とのつながりを意識させるような作風のアーティストに焦点を当てている。
志賀理江子、高嶺格、ウィリアム・ケントリッジ、この三人とやなぎみわとの対話が特集の主な記事だった。
高嶺格の作品は、企画展で何度か見たことがある。
記事でも触れられている「God Bless America」は、なかなか印象深い作品だった。
2トンもの粘土と格闘し、造形を繰り返す制作過程の映像を早送りで編集し、クレイ・アニメーションのように仕上げた作品。
9・11以後のアメリカに対するリアクションとして制作されている。
粘土で形作られた人物が時折、「God Bless America」と歌う。粘土をこねくり回す作業をあざ笑うように響くアメリカの愛国歌が、政治状況に対する無力感を示しているように思えた。
えてして、現代美術の映像作品は、見ていて居心地が悪いというか、最後まで見通すことができないのだが、この作品は、最後まで飽きずに眺めてしまったのを覚えている。

記事で取り上げられているウィリアム・ケントリッジの展覧会が会期中だったので、見に行ってみた。タイトルは「歩きながら歴史を考える」。
彼は、南アフリカ出身の作家で、手書きのドローイングを少しずつ修正しながらコマ撮りし、アニメーションを制作する。
シュールでナンセンスなイメージの中に、黒人差別や資本家・労働者の対立といったテーマが顔を出す。
ブラック・コメディのような作風といえるかもしれない。
これだけ映像の情報が氾濫する日常生活を過ごしていると、そのスピード感に慣れてしまう。映像イメージに対するジャッジがよりシビアにより速くなっていく気がする。
現代美術の映像作品が示すベクトルは、その正反対だ。
明確な筋書きがあるわけでもなく、コマーシャルな分かりやすさもない。むしろ、それらのフレームを外すことを意図しているとも言える。
なので、その「遅さ」にいらいらして、居心地の悪さを感じてしまうのではないかと思う。

「歩きながら歴史を考える」というタイトルは魅力的だ。
鑑賞者は、歩きながら作品を見ていく。歩きながら作品について考える。
美術館に行く意味というのも、ここにあると思う。
座ったまま目の前に作品が流れていくわけではない。ある空間の中を移動しながら、作品と作品の間に視線をさまよわせ、思考をめぐらす。
特に現代美術に多いインスタレーションの作品は、その場に身を置かなければ、作品を体験できない。
また、作品を1秒チラ見して通り過ぎるのも、1分間真剣に見つめるのも、鑑賞者の主体性にゆだねられているのも美術館の魅力だと思う。
作品との関係性・距離感を自分で測れるところもいい。

「社会とアート」というテーマは、現代美術以外についても考えてみたい。
社会に介入し、社会通念への違和を表明するような表現。それは、社会の「外側」を示す点で反社会的のレッテルを貼られる場合も多い。
「OFF LIMIT景」という画像を先日、UPしたが、立ち入り禁止区域に入ること、街角に落書きをすることは犯罪行為とみなされる。グラフィティをアートと見るかイリーガルと見るか。
また、先日、篠山紀信が路上で行なったヌード撮影の件で、書類送検される事件があった。
社会からはみ出す表現について考える機会ともなったはずだが、マスコミの反応はスキャンダルなものが多く、各写真雑誌でもまともな議論がなされなかった。
今回の事件と同上に語れるものではないが、スナップ写真のプライバシーや公共性、写真と社会との関係をめぐる今日的な課題について考える機会でもあったと思うのだが。

「社会とアート」については、これからも考えていくテーマだと感じている。
結論にたどり着くことよりも、「歩きながら歴史を考える」こと、思考の道草・横道・そぞろ歩きを楽しみ、考える過程そのものが重要なのではないかと思う。

Taroオブジェ

2009-08-18 | art
有楽町あたりを歩いてて遭遇した岡本太郎のオブジェ。
ビル街にふいにあると異物感ビンビンで驚くね。

寝るひと 立つひと もたれるひと

2009-08-10 | art
《萬鉄五郎(よろず・てつごろう、1885-1927)作の重要文化財、《裸体美人》 は、不思議な作品です。草原に寝ているはずの裸婦が、視覚的なトリックにより、まるで立っているようにも見えるからです。》(展覧会概要より)


「寝るひと 立つひと もたれるひと」IN東京国立近代美術館を観る。

美術館に足繁く通うと常設展が面白くなってくる。
名画をチラ見で通り過ぎるなんて優雅なこともできるし、定期的に展示替えもしているのでオッと気を引く作品に出会ったりもする。
また、収蔵方針とか、キュレーターのディープな批評眼が徐々に感じられてくる。

国立近代美術館は、2Fで収蔵作品を基に小規模な企画展をやっている。
これがけっこう穴場で、独特の視点で作品を展示している。

「寝るひと 立つひと もたれるひと」は、いままでで一番のヒットかもしれない。

萬鉄五郎の「裸体美人」「もたれて立つ人」を中心に、“絵画”の枠組みを再考している。
「裸体美人」は、丘に寝そべる裸婦が描かれているわけだが、縦長の画面で絵の具もフラットに塗られているので寝ているように見えない。むしろ立ち上がって見える。
寝そべって見える下絵からだんだん立て位置に描き変えていっているので、意図的にそうしているのだ。
「もたれて立つ人」は、キュビズム的な構成の人体図だが、頭が上部につっかえ、右腕が窮屈そうに画面左のフレームにもたれている。

絵画の平面性ということ、フレームという枠組みの存在。自明に感じていたことを改めて考えさせられた。
無意識の内にあるパラダイムをズラしてみせるのが批評の効用というもので、そういう意味で、この企画展はかなりクリティックだ。

キュレーターの蔵屋美香は、美術批評家としてすぐれていると思う。
論考がここで読めるので、気になる方は読んでもらいたい。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

2009-08-10 | art
「ゴーギャン展」in東京国立近代美術館を観る。

日本初公開の大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が展示されており、宣伝などもバンバンやっているので、混むだろうと思い、開館すぐの時間に行った。

ゴーギャンは、画集で見ていたけど、実物をまとまった形で見るのは初めてだった。
フランス時代の第一章、タヒチ滞在期の第二章、帰国後タヒチに戻った晩年の第三章で構成されており、駆け足でゴーギャンの軌跡をたどることができる。

やはり、西洋的価値観からはみ出していくタヒチ滞在期の作品が充実している。
オリエンタリズムの視点で外側から南国の「楽園」を描いたのではなく、内的な必然性から神話的なモチーフや土着的な褐色の裸婦を描いたのだと思う。
その結実が「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」だろう。
ここでは、禁断の果実をもぎ取るエヴァが、東洋の石仏が、西洋画のモチーフである水浴する女が、タヒチの生活感あふれる犬や猫やアヒルたちが、パノラマの中に融け合っている。

この展覧会は、この大作を見せるためのものだと言っていい。前半はエントランスで、後半はクールダウンのためにある。

人の垣根から絵を観ることに必死で、キャプションをまともに読めなかったので、昔古本で買ったカタログを、今度実家で見返してみようと思う。

ビゴーを観る

2009-07-27 | art
東京都写真美術館で「ジョルジュ・ビゴー展」を観てきた。
ビゴーは、明治期に来日し、多くのスケッチ・風刺画を残した画家。
歴史の教科書にかならず載っている、日本と清が韓国に釣り糸を垂らし、ロシアが橋からそれを傍観している「釣りの勝負」が有名で、誰もが目にしたことがあるだろう。
昨年、岩波文庫の「ビゴー素描集」を読んでいたので、個人的にはかなりタイムリーに楽しめた。

ビゴーの絵は、エッチングによる石版画や銅版画が多く、線が細い。
その繊細さは、文庫本の縮尺サイズよりも、直に観た方が伝わる。
生活のディテールをつぶさにスケッチする眼は、ジャーナリストとして正確で鋭い。
「出っ歯で眼鏡」という、日本人のカリカチュア像を描き出したのもビゴーである。が、風刺というディフォルメした表現だけではなく、写真家がカメラを向けなかった〈向けられなかった〉明治期の日本人の姿を描き出した「時代の観察者」の面に、僕は惹かれる。


この展覧会の監修者であり、コレクションを提供しているのは、僕が大学で授業を受けたことのある先生だった。
こんなコレクションを蔵していたなんて。
一限で遅刻ばかりだったけど、ビゴーの話なんかしては記憶ないなあ。