リンムーの眼 rinmu's eye

リンムーの眼、私の視点。

ボブ・ディランのモダン・タイムズ

2006-08-31 | music
Bob Dylan「MODERN TIMES」を聴く。ディラン、五年ぶりの新作だ。
前作の発売日は、そうあの日、2001年9月11日である。
この五年間が、ディランの眼にどのように映ったのか。期待は高まる。

ロカビリー、ブルース、4ビート・ジャズ、ワルツ…。
アメリカン・ルーツ・ミュージックに則った音楽性を提示している。
最近僕は、ジョニー・キャッシュ~ロバート・ジョンソン~映画『オー・ブラザー!』のサントラなどを遡って聴いているので、かつてのディラン作品に比べてすんなり耳に入ってくる。

「ボブ・ディラン=難解」というイメージがあると思う。
正直僕も高校生のころ始めて聴いたときは、「何だこのだみ声は!?何でこんなに長くて単調なの!?」って思っていた。
けれども、ドキュメンタリー映画『NO DIRECTION HOME』を観て、印象がガラリと変わった。ディランが身近に感じられるようになった。
この映画で、デビュー直後のディランが、敬愛するフォーク歌手ウディ・ガスリーに会いに行くシーンがある。
自らが影響を受けたものに直接出会うこと。歴史を身体化するというか…。
「MODERN TIMES」におけるルーツ音楽へのアプローチも自らの足元を見つめる作業なんだろう。

このアルバムの最後の曲、「AIN'T TALKIN'」では、「喋ったりしていない、ただ歩いているだけ」(中川五郎訳)というフレーズが繰り返し歌われている。
ディランは誰にも道を示さない。ただ歌っている。足元を見つめながら。 

PS.グーグルに動画が公開されています。ジョニー・キャッシュと共演する貴重な映像などが見られます。
http://video.google.com/dylan.html

本日のマガジン&夏の終わり

2006-08-28 | book
雑誌「Meets Regional」購入。コレは京阪神エルマガジン社が出している関西ローカルの雑誌なんだけど、大きめの本屋に行くと売ってる。
行ったことない街の情報誌。それでも特集が面白かったりするんだ。

今号は、街で耳にする音楽=「街音」の特集。なかなかいいところついてくる。
僕は町中の雑踏に流れるメロディが好きだ。時には雑音のような音楽もあるが、音も街の風景の一部だと思ってる。
喫茶店のBGM、若者向けショップのトランス、路上ミュージシャン、駅での電車の出発を知らせるジングル(ちなみにJR蒲田駅は蒲田行進曲!)…。
アットランダムに挙げてみても、街は音に溢れてる。
最近は、ウォークマンやipodの普及で、イヤホンやヘッドフォンをして街を歩いてる人が多い。
それも街のライフスタイルとしてはかっこいいが、時には耳栓を外して「街音」に耳を傾けてみるのもいいんじゃないか。
こういう、明日からの街歩きが楽しくなるような雑誌の特集は、いいな。

PS.線路沿いのヒマワリも、あとは種を落とすばかり。夏が終わる。


私の靖国参拝

2006-08-27 | Weblog
半蔵門に用があった帰り、市ヶ谷から電車乗ろうと思って歩いていたら、靖国神社の南門前に出た。

そういや今まで来たことなかったな。
ふらっと構えずに立ち寄ってみようか。
そんな感じで境内に入った。

政治信条は問うまい。オトナの社会見学のつもりだったが、どうしても穿った見方をしてしまう。
参拝する人の礼が、普段見るより深い気がするのは、気のせいか?
人の事は言えないが、観光地のノリでやって来てる客も多そうだ。

それにしても、正面の鳥居と門は、やたらデカく威圧的だ。そこまで存在を主張しなくてもいいんじゃないか。
私はそういうものに生理的な違和感がある。

私の近所には、富士山の噴火で飛んで来た岩石が、“御神体”として祀られている。ただ岩がゴロンとあるだけで、社殿などもなく、神主もいないような場所が、神社として住宅街の中に手付かずのまま残っている。
宗教って理不尽だ。
私は威圧的な権威の理不尽さよりも、物言わぬ岩の理不尽さを信じる。つまり、自然崇拝や民間習俗によりリアリティを感じる。

うーん、靖国問題から逃げてる気もするが…。
すっきりしない思いを抱えて市ヶ谷の駅まで歩いた。


ホエールのさえずり

2006-08-22 | food&drink
横須賀で鯨を食う。
捕鯨の制限とかあったりして、めったに食卓には登らなくなってしまった食材だ。
その鯨をメインに据えている店があるということで、行ってみた。

「連REN」という店。
和風の店構えをイメージしていたのだが、今風のダイニングで、若い客層だった。

鯨づくしのメニューを頼んでみる。
刺身はミンク鯨の赤身とさえずり(舌)。
赤身は、鮪の刺身のようで、食べやすい。
鯨のタンも独特の食感で、舌鼓をうった。

あとは、一口サイズの鯨カツと鯨の竜田揚げ。
どちらも美味かった。

かつては、豚肉や牛肉の代用食として鯨肉は食べられていたと聞くが、今では希少価値が逆転して鯨肉の方が高い。
気軽にってわけにはいかないが、お試ししてみてはいかがだろうか。

神輿は揺れる、残暑の宵。

2006-08-21 | Weblog
町内の祭りを参詣する。
昼間から祭り囃子が、部屋にいても聞こえてきた。太鼓の音とリズムは、プリミティブな感じがしてよいものだ。

ビールを飲みつつ、境内を流した。
舞台では演芸をやってる。無名の漫才師がなかなか面白かった。

神輿などは同年代が率先して仕切っている。
同級生の顔がちらほら見えて、頼もしいなと思いつつ、自分も地域の事柄に係わっていかないとなあなんて少し思った。
今のところは彼らに任せたって感じだけど。

熱闘!地元のボール・パーク

2006-08-21 | sports
横須賀スタジアムにて、湘南シーレックス×北海道日本ハムファイターズ戦を観る。

湘南シーレックスとは、横浜ベイスターズ二軍の別名だ。
横須賀スタジアムといっても、地元の人にあまり浸透していない。追浜球場というのが、その昔の名だった。

炎天下のデー・ゲーム、ファームの試合といえど、観客は千人ほど入っていた。
近所の子供たちやコアな野球ファンが熱いプレーに熱いまなざしを注いだ。

私はにわか野球好きなので、みんな知らない選手だったのだが、今後一軍で活躍する選手がいるかもしれない。楽しみだ。
同行したスポーツ・ライターは、この日3安打だった日ハムの陽選手が、将来楽しみだと言っていた。

野球は生の観戦に限る。
ボールがミットに収まるバシンという音、バットがボールを叩く乾いた音、野球を観る醍醐味はこういうシンプルな所にあるんじゃないか。
勝敗やペナント・レースの行方も大事かもしれないけど。

内側に向けた問い

2006-08-18 | art
 私は、以前「藤田嗣治で考えた」と題し、“戦争画”について書きました。
“戦争画”を通して、戦後61年を経た歴史認識について考えてみたかったのです。
芸術家の運命と戦争の時代に想像力を働かせ、歴史の断絶を埋めようとすること。その試みでした。
単に“戦争画”というセンセーショナルな話題を、興味本位で選んでいると思われたかもしれません。自分でも一過性の関心で終わるものではないと思っていました。
司修著『戦争と美術』(岩波新書)は、画家の立場から画家の戦争責任について書いています。自らの幼少期の戦中・戦後の記憶をたどり、自問自答する正直な、真摯な姿勢に感銘を受けました。
例えば、次のような言葉は、現在の立場から過去の歴史に思いを馳せる時ぶつかるジレンマを、的確に語っています。

 戦争画について考えていくと、目的地に向けて、数日間歩き続けていたにもかかわらず、元の場所に出たという夢に似ています。

このような歴史認識の悪夢に立ち向かうには、自問自答の内側に向けられた問いを深めていくことしかないと思います。性急な答えを出して分かったことにしてしまうのは、歴史に対するギマンにしかならないでしょう。
歯切れの悪い、結論の出ない宙吊りの考えのまま、私は“戦争画”について問い続けたいと思います。

蝉の呟き

2006-08-14 | Weblog
このところ、突然の雷雨に襲われる。
鳴いていいのか、木陰で休んでりゃいいのか分からんよ。
その影響で人間界では停電があったとか。交通機関がマヒしたり、機械社会は脆いものだな。

おや、留まった網戸から見える部屋の主は、何をしてるのかね。
携帯のカメラを向けやがって…。

雨も止んだな。頃合の枝を見つけてミンミン鳴くとしよう。
蝉の命は短いんだ。

湯船と祭り囃子

2006-08-12 | Weblog
近所の銭湯へ行く。
先週の大分温泉巡りで、広い浴槽は気持ちいいなと改めて思ったので、久しぶりに足を向けた。

町の銭湯は斜陽かと思いきや、近所のおっちゃんで結構にぎわってる。
温泉ってわけにはいかないけど、狭い露天風呂と薬湯がある。

少し温めの露天に浸かり、四角い空を見上げる。
星は、見えない。
町内会館から太鼓の練習が聞こえてくる。
来週末は町内のお祭か…。

タオルを引っ掛け夜道を歩き、家に着いて飲むビールの美味しさといったら!

クロス・ロード伝説を描くブルース漫画

2006-08-09 | book
《He had `sold his soul to the devil′at an unidentified crossroads in exchange for musical gift》
…彼は見知らぬ十字路で「悪魔に魂を打った」見返りに、音楽的な賜物を手に入れた…

平本アキラ著『俺と悪魔のブルーズ第3巻』読む。
これは“伝説のブルースマン”ロバート・ジョンソンを描いた漫画。
クロス・ロードで悪魔と取引したという神話は、映画などでたびたび引用される。
この漫画は、ロバート・ジョンソンを“R・J”という名で登場させ、大胆に脚色したストーリーになっている。
“R・J”のクロス・ロード伝説を描いた後、物語はロード・ムービー的に展開し、犯罪者クライド(たぶんボニー&クライドのクライド)と行動を共にする“R・J”は様々なトラブルに巻き込まれ、目が離せない。

平本アキラは、『アゴなしゲンとオレ物語』の作者でもあるが、同一の作者とは思えない程シリアスだ。
作画・構成ともに並々ならぬ気迫が感じられる。

たぶん平本アキラは、トキワ荘に向かう十字路で、漫画の神と取引し、Gペンに何かが宿ったのだろう。
…っていうのは戯言だが。

ロバート・ジョンソンは、29曲の歌を吹き込み、姿を消した。CDにして76分のブルースが、後の音楽に多大な影響を与えた。

ロバート・ジョンソンのCDをBGMに、この漫画の“R・J”の物語を読むと、ブルースがリアルに感じられる気がする。