ぺりー来航 2015-08-03 21:13:33 | Weblog ペリー来航は1853年。 黒船が運んできた物は”音楽も” 船上での楽隊の演奏する音楽に、日本人は感激し”音楽に国境は無い”と 何度もペリー総督に抱きついたと歴史書には記されている。 2回目の寄港は横浜。その頃の時代はイタリーではオペラが盛んに。 ヴェルディの「椿姫」などがーーー。 日本は歌舞伎が独自の日本文化として花開いた。 国は違っても、人は藝術、文化を求めるのでしょう。 ぺりーが運んできた音楽。 其処から多くの日本人が”心の満足”を与えられた事でしょう。
8月 2015-08-02 20:45:27 | Weblog 8月は“葉月”とも言う。 戦後70年目の8月がめぐってきた。 その時の流れには”光”も”陰”もあった。 原爆を落とされた広島と長崎。想像を絶するあの”きのこ雲” その忌まわしさを伝える”語り部”も年齢の訪れには逆らえない。 改めて思います。人生はおいてゆき、そして死が訪れると。 自然な死を人は生きるべきです。 戦争で命をだれも落としたくないのです。 その戦争を二度繰り返してはなりません。 ”かたりべ達”が伝えたバトンを心のリレーと。 70年目の今年立ち止まって日本の未来を考えましょう。
恩返し 2015-08-01 20:02:32 | Weblog こんなお話がありました。 中国の南北朝時代。ある国に”毛宝”と言う少年がいました。 彼は狭いところに居る”白い亀”をかわいそうと思い、買って 可愛がりました。そして、大河に放してやったのです。 時が流れ戦国時代、毛宝の城は破られ逃げねばなら無くなりました。 目の前は大河、兵士達は次から次へと死んでいったのです。 ついに、毛宝も大河にーーーー。しかし、毛宝の体が沈まないのです。 そうです。あの時の”白い亀”が助けてくれたのです。 多くの兵士達も助けられました。 恩を忘れず返してくれたのです。「鶴の恩返し」と同じです。 何事もよい事をしていれば”因果応報”という事なのでしょう。