プッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」のアリア「私のお父さん」は、よくソロ・コンサートで歌われるほか、結婚式でもよく歌われるそうだ。叙情的な感傷的なメロディーだが、
実は、このオペラはドタバタコメディー。全曲を通して騒々しいなか、一瞬、静かになって歌われるのがこのアリアである。このアリアについて、モノを申したいと思う。
まず歌詞。父親のジャンニ・スキッキに娘のラウレッタが「彼氏との結婚を許してくれなければポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)からアルノ川に身を投げる」という内容だ、と巷間よく言われる。だが、それだと正確ではない。このオペラは、亡くなった資産家が遺産の全部を修道院に遺贈するという内容の遺言書を書いていたため大慌ての相続人達が知恵者のジャンニ・スキッキに「何かいい方策があったら教えてくれ」と頼んだのに対しジャンニ・スキッキはいったん断ったのだが、相続人の中にラウレッタと恋仲の若者がいて遺産の分け前をもらえないと結婚ができないって話になって(今も昔も結婚にはお金がかかる)、それでラウレッタが父ジャンニ・スキッキに対して懇願する歌なのである。すなわち、懇願する中身は結婚の許しではなく、彼氏が遺産の分け前にあずかれる方策を考えてちょうだい、ということなのである。
次に、ラウレッタが「ヴェッキオ橋からアルノ川に身を投げる」のが「脅迫」と言われることがある。広義では脅迫だろうが、果たして日本国刑法の脅迫罪にあたるだろうか。脅迫罪が成立するためには「相手方又はその親族に対する害悪の告知」が必要である。ラウレッタの「アルノ川に身を投げる」という発言は、ラウレッタが自身を殺すということであり、ラウレッタに対する害悪の告知であるところ、ラウレッタは告知の相手であるジャンニ・スキッキの娘(=親族)である。すると、「相手方の親族に対する害悪の告知」に該当するから立派な脅迫罪である。しかも、「方策を編み出す」という行為を要求しているから強要罪の構成要件にも該当することとなる。
本件からは離れるが、恋人に対して「結婚してくれなきゃ死んでやる」と言うことが脅迫罪になるだろうか。6親等までの血族は親族であり、傍系血族同士は4親等から婚姻可能であるところ、いとこ同士は4親等の傍系血族であるから親族であり、かつ婚姻が可能となる。だから、いとこ同士で婚姻話がもちあがってるところにもってきて「結婚してくれなきゃ死んでやる」と言えば、それは「相手方の親族に対する害悪の告知」に該当するから、脅迫罪が成立することとなる。軽々しく「死んでやる」とは言わないことである。
オペラに戻る。このオペラは、このあと、もっと重罪が犯されることとなる。すなわち、一計を案じたジャンニ・スキッキがとった方策は、自分自身が瀕死の資産家に成りすまし、公証人に別の遺言内容を口授して偽の内容の公正証書遺言を作成する、というものであった。これは、公正証書原本不実記載罪に該当する行為である。因みに、その内容は、現金こそは相続人間で平等に分ける、というものであるが、おいしい不動産はジャンニ・スキッキに遺贈する、という内容であった。それを聴いていた相続人達は、ばれると自分達も共犯になるから臍をかむしかなかった。
以上の法律的な解釈はすべて私見である。信じて試験の答案に書いて零点をとっても一切責任を負うものではない旨を申し述べておく。
因みに、「ヴェッキオ橋」は日本語では「じーさん橋」である。もし「ヴェッキア橋」なら「ばーさん橋」である。イタリアのフィレンツェを流れるアルノ川に架かる橋である。
このオペラは喜劇である(ヴェルディの「ファルスタッフ」の影響でプッチーニはかようなオペラを書いたのだろうか)。いろいろ笑えるが、なかでも、遺産の全部を修道院に遺贈するという遺言の存在の知った相続人が「あいつが死んでホントに泣くとは思わなかった」という台詞は秀逸である。このオペラの冒頭で相続人達がおいおい泣いているがこれは嘘泣きであり、件の遺言書の存在を知って泣くのが本気泣きだったわけである。