映画「アマデウス」にはモーツァルトの「フィガロの結婚」の上演シーンもあるが、第4幕で皇帝があくびをしてあわや上演禁止になるところ、という話であった。私は、「フィガロの結婚」は大好物である。
だが、最初の印象はよくなかった。最初に見たのはテレビ中継で、日本人の団体の公演だったが、歌がぴんとこなかった。舞台中央に簡素な部屋があり、横に付けられた階段を上り下りして演者が入れ替わる演出も陳腐な感じがした。私は、中一のときに「NHKイタリアオペラ」を見てオペラにはまっていたから、多分、オペラは好きだけど「モーツァルトのオペラはつまらない」という感想を持ったんだと思う。
それが一変したのは、NHKがお正月かなんかに放送した、カール・ベームが指揮をしポネルが演出をした映画仕掛けの映像を見た時。フィガロはヘルマン・プライで、アルマヴィーヴァ伯爵はフィッシャー・ディースカウだった。段違いだった。一夜にして、私はモーツァルトのオペラの大ファンになり、特に「ファガロの結婚」が上演されると聞けば必ず聴きに行っていた。
そんななかに、東ドイツのオペラ劇場の引越公演があった。フィガロ役の歌手が普段ドイツ語でしか歌ってなくて(当時のドイツはそんな感じだった)、原語のイタリア語は無理!と言ってドタキャンして代役が立ったのだが、東京の聴衆には不評で盛大なブーイングを浴びていた。ドタキャンした歌手に対する不満のはけ口にされた感もあったが、たしかにいまいちな感じがした。ところが、その後の地方公演の様子を記事で読んだら、聴衆が打って変わってブラヴォーで盛り上げたそうで、するとその代役さん、調子が出てきてなかなかの名舞台になったという。聴衆の態度によってそんなに変わるのか、どっちの聴衆の方が得をしたのかと言えばそれは明らかだよな、と思ったものである。
さらに、懲りずに片っ端からフィガロを聴きまくっていて、「こんにゃく座」という団体の公演のチケットも買い、いざ、会場に出かけてみると、小さくて場末の芝居小屋の雰囲気。オケピットもなく、あるのはピアノ一台と何台かの譜面台。あれ、大変な所に来てしまった?と心細くなった。そして、いよいよ開演。数人がのっそり出てきて口三味線で序曲を歌う。「ビチビチビチ」で始まる歌詞は、当ブログの二つ前の記事の「K溜め」に通じる世界感。もう観念して、今日はその世界に浸ろう、と思ったが、歌手は、一人を除き、全員声楽科を出たプロの歌手で立派な歌であった。その一人というのが伯爵役なのだが、超異彩を放っていて、その歌は声楽家の歌でないのは明らかで、浪花節がぴったりのダミ声だった。ところが、その不思議な存在感が徐々に会場を支配してゆき、最後は聴衆全員がその応援団になっていて、第3幕のアリアの3連符の連続をダミ声で見事に歌いこなした時は会場内が熱狂の渦に巻き込まれた。その方こそが、かの斉藤晴彦さんだったのである。その頃はまだアングラ劇団で活動されていて、「笑っていいとも」にも「題名のない音楽会」にも「♪こーくさーいでーんわぁはー」(メロディーはハンガリー舞曲第5番)のCMにも出られる前であった。私は、この方にすっかりはまってしまい、以後、この方が出るこんにゃく座の「フィガロの結婚」には必ず出かけたものである。それどころか、東京文化会館大ホールで開かれたテノール・リサイタルにもしっかりかけつけた。そのときアンコールで歌われたのが、ショパンの軍隊ポロネーズのメロディーに乗せて歌う「ワーレサって言ったらだーれさ、ワーレサって言ったらかーれさ」の名替え歌であった。ショパンとワレサを結びつけるセンス(ポーランドつながり)にも感服したものである。