ベーム、プライ、ポップそれにバルツァ(ケルビーノ)が参加した1980年のウィーン国立歌劇場の引越公演の「フィガロの結婚」は聴けなかったが、1986年に再来日したときも「フィガロ」が演目に入っていたから、このときは何が何でもの気概で聴きに行った。既にベームは亡くなっていたし、プライもポップもバルツァ来なかった。だが、伯爵夫人は引き続きヤノヴィッツが勤めたし、スザンナはバーバラ・ヘンドリクスだったから、一応名のある人を連れてきてはいた。だが、それは1stキャストの話。私が行った日は2ndキャストに当たって「飛車角落ち」と言って嘆く人もいた。いや待て、日本で名前が売れてなくても実は逸材だったって話は山ほどある。先入観はいけない。高いチケット代を払ってるんだからそうでなくては困る、そうであってくれと念じながら席についた。結果を想像できるエピソードを一つ挙げよう。第3幕に有名な「手紙の二重唱」がある。伯爵夫人が歌ってスザンナが歌う、これを何度か繰り返したあと二人が同時にハモって歌う。
ここがハモらなかった。なぜか?赤で囲んだところ(スザンナのパート)をスザンナが歌わなかったのだ(途中で気付いたようで、最後のファとシ♭だけそろーっと歌っていた)。ホールの中は、一人空しく歌う伯爵夫人の声だけが響いていた(ヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」に「一人寂しく眠ろう」というアリアがあるが、ここは「一人寂しく歌おう」になった)。
それで思い出すのは「フィガロ」からは一瞬離れるが第九のある演奏(指揮者もソリストも超有名)。第4楽章で、合唱の二重フーガが終わって久々にソリストが登場するところは、まずテナー・バリトン組が出て、それをソプラノ・アルト組が追っかけ、次にソプラノ・アルト組が出て、それをテナー・バリトン組が追っかけるのだが、なんと、テナーがソプラノ・アルト組と一緒に出てしまい(赤で囲った箇所を二小節先に出てしまい)、
取り残されたバリトンが一人さみしく歌うはめになった。だが、間違ったテナーは間違ったことなどおくびにも出さない。バリトンは一つも悪くないのだが、なんだか一人で歌うバリトンが間抜け面に見えたものである。
「フィガロ」の公演に戻る。それからケルビーノ。アリアを歌った後、両手を広げていかにも「どうだっ」って感じで観衆にアピールしたのだが、拍手は気の毒なくらいまばら。広げた両手が空しかった。その理由については、後日、1stキャストによる公演の様子をNHKがテレビで放映した際、クラシックファンの少年少女のマドンナだった後藤美代子アナウンサーが端的に「前回歌った彼女(バルツァ)がすごかったから割りを食ってる」と言い表していた。
それでも、脇役陣は、おなじみのウィーン国立歌劇場の座付き歌手(リローヴァ、リドル、ツェドニク等)が固めていた。「フィガロ」の脇役と言えば、マルツェリーネ、バルトロ、バジリオの仇役三人衆。私はこの三人を「三馬鹿トリオ」と呼んでいる。第2幕のエンディングで三馬鹿トリオが登場するシーンは最高にわくわくするシーンである。
それまで、オペラは、レチタティーヴォで劇が進行し、アリアで歌手の妙技を披露していたのだが、この「フィガロの結婚」は重唱でどんどん話を進めていくところが画期的と言われている。映画「アマデウス」にも、モーツァルトが皇帝に対して、第2幕の重唱が当時の常識に反して延々と続く様を語ってその興味をかきたてるシーンがある。その重唱のクライマックスが三馬鹿トリオの登場シーンなのである。これで登場人物が7人になり、圧倒的な声の饗宴の中、幕が下りる。こうなると配役の難など忘れしまう。よく、音楽に詳しい人が「モーツァルトは短調に限る」と言うが、私などは、この重唱から聴けるモーツァルトの健康的な、底抜けな明るさから大いに元気をもらうのである。