今日は猫の日だと言うがなぜだろう、ググろうか、と思っていたら、某公共放送のお昼のニュースで「2月22日」はにゃんにゃんにゃんで猫の日なのだと言っていたのでググる手間が省けた。だが、これは日本特有である。ヨーロッパの猫は「ミャウ(オ)」と啼く(と彼らの耳に聞こえる)し、「2月22日」を例えばドイツ語で言った場合「der zweiundzwanzigste Februar」のどこにも「ニャ」や「ミャ」が入らないから「2月22日」が猫の日になりようがないのである。
因みに、私の同居猫はにゃんにゃんにゃんではなくにゃんにゃんである(平仮名ばかりで読みにくいが、その意味は「三匹ではなく二匹である」ということである)。
左端が三毛、右端に尻尾が写ってるのがサビである。年齢は15歳半。だが、人間の歳に直すと後記高齢者の仲間入りで私を追い抜いている。この点、スターウォーズの番外編「マンダロリアン」に出てくるグローグー(ヨーダと同じ種族)とは逆。グローグーは50歳だが、人間の歳に直すとまだ幼児である。
こにゃつらは、生後すぐ母猫や兄弟姉妹と生き別れになったらしく、二匹だけがヴォランティアさんに「保護」され、生後2か月で私の所に来た。だから母猫の教育がいまいち行き届いてないと思われるのはトイレの砂かけである。用を足した後、砂をかくことはかくのだが(音がするが)、その直後に芳香が漂ってくる(ちゃんとブツに砂がかかってない)。まあ、用を足したことのサインになるから悪い話ではない。
個別に紹介すると、これが三毛で、
こっちがサビである。
三毛のチャームポイントは前にも紹介した「お岩さんポーズ」であり、サビのチャームポイントは顎の白い毛である。
既報の通り、ご飯をこれでもか、とやるようにしたらどちらもすっかり良い猫になり、私と3に(ゃ)ん水入らずの平穏な生活を送っている。人間も猫もいい歳なのだから昼夜を問わずなるべく一緒にいようと思ったら、私もこの時期一日中コタツにあたってなければならなくなるが、さすがにそれは体に毒である。運動は必要である。
そう考えると、たまには猫も狭い家ではあるが、家中を駆け回ることも必要なように思う。ただし、外には出せない。それがヴォランティアさんとの約束である。猫に「窮屈か?」と聞きたい気もするが、それが都会に生まれた猫の宿命であろう。
だから、今朝のテレビで紹介してた牧場で牛と暮らす猫などは幸せの最上級だと思う。牧場の人も、猫がいてくれて助かっている、前はネズミが出たんだけど猫が……と言うからその後「食べてくれる」と続くのかと思ったら後の句は「追い払ってくれた」であった。だが、猫はネズミを追い払う気はないだろう。捕まえて食べたいのが本心だろう。猫が食べたかネズミが他所に避難したかでいなくなったことが人間にとって「追い払ってくれた」ことになるのだろう。
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