黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

著述家

2024-12-28 17:41:00 | 生活

百科事典の電子版を買った主要な動機は、当ブログで発表する種々の「成り立ち」シリーズの調査のため。もし私がプロの著述家で、そうした調査・発表を仕事としてしているのなら代価を必要経費に計上するところだが、単なる趣味だから計上できない(つうか、計上して相殺すべき収入がそもそもない)。趣味といったら聞こえはいいが、言い方を変えれば「道楽」である。

それが道楽だとしても、私が小学生なら、課外活動として先生に「よくできました」と言って華丸……は、あさイチのMCの一人。じゃなくて花丸を付けてもらったかもしれないが、小学生ではないから花丸はもらえない。

そこが苦悩の原因なのであった。区から認知度チェックリストみたいなものが送られてきて、「自分で買い物ができる」等々の項目を見て、あったりまえじゃん、馬鹿にすんない、と思いながら先を見ていくと、「空しいと思うことがある」という項目が出てきた。やばい、そう思うことがある。毎日、せっせと調べ物をして、それを書いて、ぼーっとしていることを理由にチコちゃんに怒られることはないが、その調べ物&発表作業は、仕事ではなく道楽だし、小学生の課外活動でもない。ってことは、社会にとって必要のないことである。と考えると空しさが募るのである。

だが、そうした考え方は誤りである。人生100年の時代、多くの人が、小学生ではなく仕事もしていない。だからと言って、そうした人々が皆、世をはかなんでご飯を食べないでいては日本国全体が悲壮感につつまれてしまって経済も停滞する。学校の課外活動でなくても仕事でなくても生活を楽しむことは、社会にとっても個人にとっても大事なことである。

仕事でないからと言って後ろめたい気持ちがするのは、私自身がモーレツサラリーマンを身近に見た昭和の人間だからであろう。汗水垂らして働くことは現在でも大いなる美徳であるが、汗水垂らして道楽に打ち込むのも美徳である。

例えば、百歳の人が短距離走の記録を作ったのを見て大いに感動するが、決して、その百歳ランナーは仕事で走ってはいないだろうし、ましてや小学生ではないだろう。彼or彼女が走るのは、言ってみれば道楽である。と言ったとしても、それは百歳で走ることの価値を下げることを意味するものでは全くなく、道楽の価値の爆上げを意味するのである。

と考えて、大いに、汗水垂らして道楽を極める覚悟を決めたワタクシである。つまり、今回の記事は、ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」と同じく、苦悩から抜け出した後のがんばる宣言なのである(ベートーヴェンと違って私はそもそも悩んでないという噂もある)。

なお、私はモーレツサラリーマンを見たのであって、自分がそうだったとは決して言ってない。

冒頭に、私は「著述家」ではない、と書いたのは、最近、テレビで誰かの肩書きが「著述家」になっていて、珍しいな、と思ったから。普通は、「料理研究家」だとか「坂道研究家」のように具体的な紹介をすると思うのだが、ジャンルを明らかにしない「著述家」とはなんでもかんでも書く人のことを言うのかな?ジャンルにこだわらない点は私も同じだが、私がそう名乗れないのはプロでないから、すなわち、このブログによって一円でも稼ぐわけではないからである。だが、そのようにお金を稼ぐか否か、すなわち、プロかアマかで区別を設けることが世界一般というわけでもない。例えば、アメリカでは、「ウチのワイフはピアニスト」と言って亭主がえばってても、別に妻殿はプロの奏者ではなく、趣味で弾く程度であるというのはよく聞く話である。だったら、私もアメリカ人に自己紹介をするときは「著述家」と言っていいわけである(英語でなんて言うのか知れないけれど)。

そうだったとしても、税務申告の際はやはり対価を得てるかどうかが肝心のようだ。昔、ある作曲家さんが言っていたが、その方は、作曲料よりもタレントとしての収入が多かったので、職業欄に作曲家と書いてした税務申告のおり、係官との間で悶着があったそうである。

 

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百科事典

2024-12-27 16:51:27 | 生活

百科事典に対する敬愛は、子供の頃読んでた小学館の大日本百科事典(ジャポニカ)由来である。なにしろ、私の脳内の雑学のほとんどは全23巻のこの事典によって培われたものだから。当時、私は学校から帰るとこの事典に首っ引きでその日気になっているワードを引き、そこから関連した事項を次々と引いていって、気がつくと床に読み散らかした巻が何巻も転がっていて、最後にそれを箱カバーに戻して夕ご飯、というのが日課であった。ちょうど、今の人がネットサーフィンをするごとしである。特によく引いたジャンルは音楽、そして性である。仕方がない、大人が教えてくれないのだから。例えば、小学3年の担任の先生が「結婚しないと子供はできない」と言ったのを不思議に感じて母に先生がこう言ってたんだけどと言っても「先生がそんなこと言ったの?いやらしい」と眉をひそめたきり、なにがいやらしいのかは教えてくれなかった。こうした大人の怠慢を私は自ら補っていたのである。実際、「補って余りある」だったようで、私は得た知識を学校の掃除の時間に惜しみなく学友に伝えていた。その様子を担任の先生が見てにんまりしていたということを後から聞いたから、私は担任の怠慢をも補っていたことになる。

そのジャポニカだが、実家にあったもののほか、私は実家を出てからも古本で同じものを揃えている。敬愛の念はよほどのものである。すると、実家のが残っていれば相続して2セットあっておかしくないのだが、第22巻の日本大地図(書斎のゴミ箱の猫除けの重しになっている)以外見当たらない。

2セットとも資源ゴミに出したのだろうか。ありうる。ときどき断捨離熱が出るからそのとき犠牲になったのかもしれない。痛風がおさまったら押入の中を捜索してみるか。だが、もし残っていたとしても、1970年までの情報だから相当古い。各分野とも半世紀で研究は相当進んだろう。だが、へー、昔はこんな風に考えられてたんだというのを知るのも一興であるから、デスクサイドに置いて、昔のように引いてみたいと思う。

そうは言っても、日々の調べ物には電子化されたものが便利である。20年前に買ったシャープの電子辞書の中にはブリタニカが入っている。ブリタニカと言えば30巻以上あって、百科事典界の横綱だからこれで十分だろうと思ったら、30巻以上あるわりには随分文章が短い。そう言えば、テレビ通販で電子辞書を紹介してたとき「これだけの紙の本が入ってるんですよ!」と言って本を並べた中にあったブリタニカは6冊程度。その謎が解けた。ブリタニカは小項目事典と大項目事典に分かれてて、小項目事典が6巻で、電子辞書にはそれが入ってるのだそうだ。

やはりもっと分厚い解説が読みたい。すると、平凡社の百科事典の電子版には30巻全部の内容が入っているという。平凡社の百科事典と言えば、これもその名をよく聞く百科事典界の横綱である。ポチった。すぐに来た。

期待に胸をふくらませて昔よく引いたワードを引いてみる。性に関することは小学生の学友に教授する内容として十分。音楽については?作曲家のデュファイのことも載っているし、教会旋法の解説もある。フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン等の指揮者についても載っている。ピアニストのバックハウスだって載っている。だが、ジャポニカにはマリア・カラスの記事が真っ赤な口紅をつけたショートカットの写真付きで載っていた。アンナ・モッフォ(ソプラノ)のことだって「悪声」という異議ありな情報付きで載っていた。そのどちらもない。最近改定された版だがベースは古いんだろうと思って(だから、ドミンゴやパヴァロッティが載ってないのは当然だと思って)カルーソーを引いてみた。なかった。編集方針だろうか、歌手については手薄いと感じた。なぜかマリアン・アンダーソン(アルト歌手)は載っていた。そう言えば、昼間に再放送しているカムカムエブリバディで世良公則が歌ってたんで(名シーン)、「(ルイ)アームストロング」で引いてみた。あった。仇名が「サッチモ」であることも載っていた。

因みに、かなり後年になって母から聞いた話だが、ジャポニカの購入には父は反対だったそうだ。あの父のことだ、さもありなんと思いつつ、普段は父の言いなりの母も、ここはよく踏ん張ってくれたと思う。そのあるのとないのとで私の人生は大きく変わったことだろうから(ってことは、なかったらもっとマシな人間になったってこと?)

ジャポニカでよく引いたジャンルを一つ言い忘れた。なぜかエンジン(ガソリンエンジンとかディーゼルエンジンとか)のこともよく調べていた。自分でこしらえたかったのかも知れない。現在の私からは1ミリも想像できない話である。

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おさんどん

2024-12-26 20:04:07 | 

ご飯を作る使用人のことを「おさんどん」と呼ぶのは、三度三度ご飯を作るからだと思っていた。すなわち「おさんどん」=「お・さんど・ん」と考え、語頭の「お」と語尾の「ん」をとると「さんど」。これを「三度」と解したのである。だが、夏目漱石の「吾輩は猫である」に出てくる使用人(「吾輩」を主人宅に連れ帰った)は「おさん」と呼ばれている。ってことは、「どん」は西郷どんの「どん」と同く尊称の「殿」のくだけた形であり、「おさんどん」=「おさん・どん」と考えるべきか。すると「さんど(三度)」を根拠とする私の説は拠って立つところを失うこととなる。しかも、一日三食になったのは江戸時代からであり、それまで二食だったことを思い合わせると、「三度三度ご飯を作る」説は崩壊したと言わざるを得ない。潔く白旗を揚げよう。因みに、ドン・ジョヴァンニの「ドン」も尊称であり、偶然だろうが、和洋の一致を見るのである。

いずれにせよ、私がおさんどんであることには間違いない。ご奉仕申し上げる相手は猫様方である。痛風で足が痛くても、そんなことはご主人様にはかかわりのないこと。毎日三度三度決まった時間になると、脅迫鳴きをして私に奉仕をせがむ。その間、通風で痛む私の足を踏むこともしばしば。

ところで、猫様が廃油缶を倒して油を舐めたり食品庫から引っ張り出してぶちまけた小麦粉を舐めてお腹を壊して床で「シリコスリ」をしてさらに「おさん(私)」の仕事を増やしたことを書いたがその後はどうかと言うと、シンクをすのこで被い、ゴミ箱にはボーズのスピーカーを重しとして置き、食品庫の扉前には空気清浄機を置く等の本格的対策が効を奏し、「事件」はぷっつり起きなくなった。それでも、わずかな油断を見逃す彼らではない。むしゃむしゃ音がするから見ると、しまい忘れた猫缶の中身に食らいついている。狙われるのは猫フードだけではない。私のお椀によそったご飯をちょっと目を離したすきに食べていた。私のお椀によそったのは私が食べるためであって猫様方のためではない。当たり前だ、と思うのはしかし人間だけで、猫様方からすれば目の前にある食べられるものはすべて自分のためのご馳走なのであり、それを取り上げようとする人間の行為は略奪以外のなにものでもないのである。

そうやってつまみ食いをしたとしても、猫フードはもちろんご飯だって毒ではない。昔の猫は、「猫まんま」と言って米飯を食べていた(食べさせられていた)。人間だって米飯ばかり食べていると脚気になる。ましてや猫は肉食動物なのだから米飯だけで十分なわけはない。だから昔の猫は短命だったのだろう。だが、毒ではないのだからそれが原因ですぐにどうこうということはない。その他、良からぬものを食べた形跡は絶えてない。だからか、最近の猫様は滅多に吐かなくなった。いくぶんふっくらしてきた感じもする。

以前は、猫の成人病(成猫病)を気にするあまり肥満にならないことだけに気を遣ってきたが、私と同じで(つうか、実年齢は私より10歳は上である)、これから成猫病って心配はうすいだろうから、太ってほしいと願っている。だから良い傾向である。

私のわずかな隙を見逃さない猫様方も、「今日は戸締まりが万全だ」と観念すると(空き巣か?)、一転、くつろぎモードになる。

例によって、真ん中に私を置き、左右に分かれてくつろぐお猫様方である。さしづめ私は、荒川と綾瀬川が一番近くなったところの両川の間にある土手である。

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コラールの成り立ちVol.8カンタータ第94番

2024-12-25 18:10:35 | 料理

いちど一段落した「コラールの成り立ち」シリーズだが、再開することにした。ブラタモリも来春復活することだし。ただし、ブラタモリは視聴者の熱い要望によって復活するのであるが、私のコラールシリーズは誰にも求められてないのに押し売りのように復活するものである。

今回のお題はカンタータ第94番(BWV94)。月に一度、仲間で集まって、バッハのカンタータの中から一曲選んで練習なしで3回ぶっ通して歌う会があって、その会の次回のお題曲である。終曲のみならず全体が元曲であるコラール又はその変奏から成っている曲(コラール・カンタータ)で、かつ、その源流(元曲)をたどる旅がなかなか数奇。本シリーズにうってつけである。

そのコラールとは、バルタザール・キンダーマン(Balthasar Kindermann(1636~1706))の……ということはコラールのいつもの例のごとくこの人が作詞をした、という意味であるが……「Was frag ich nach der Welt」(世に何を問う?)であり、こういう曲である(歌詞は第1節。メロディーはBWV94の終曲。なお、同終曲で使用しているのは第7,8節である(後述))。

第1節の直訳(拙訳)は「この世を、そして、その宝物を気にかける必要があるだろうか、もし、私が、主よ、あなたの傍らで喜んでいられるのなら。私は、あなたを唯一の喜びと定めた。なぜなら、あなたは私の憩いだから。この世を気にかける必要があるだろうか?」である。

8節ある歌詞はすべてそのまま、又はアレンジして使われる。すなわち、
第1曲は合唱で、ソプラノパートが第1節をこのコラールのメロディーに乗せて途切れ途切れに歌う。合間に入る器楽は技巧的なフルートのパートが目立つが背後の弦楽器が奏でるメロディーは元のコラール由来である。
第2曲はバスのアリアで、第2節をアレンジした歌詞を歌う。
第3曲はテナーが一人二役でコラール(第3節)とレチタティーヴォを歌う。コラール部分のメロディーは、3拍子にアレンジされているが元のコラール由来である。
第4曲はアルトのアリアで、第4節をアレンジした歌詞を歌う。
第5曲はバスが一人二役でコラール(第5節)とレチタティーヴォを歌う。コラール部分のメロディーは、アレンジされているが元のコラール由来である。
第6曲と第7曲はそれぞれテナーとソプラノのアリアで、歌詞は第6節をアレンジしたものを分割して割り当てたもの。第7曲のメロディーは一見元のコラールとは別曲に見えるが、根っこはコラール由来である(と、私は思う)。
そして、終曲(第8曲)でコラールは全容を現し、合唱が第7節と第8節の歌詞を元のコラールのメロディーで歌う。

では、その元曲であるコラール「Was frag」のそのまた源流へ遡ることとしよう。詩はここまでである。この先に源流があるのはメロディーであり、それはヨハン・ヘールマン(Johann Heermann(1585~1647))が作詞をした「O Gott, du frommer Gott」である。この賛美歌は、そのメロディーを「Was frag」のほかにも多くの賛美歌に供給している製造元である。供給先の賛美歌にはそれぞれの歌詞とタイトルが付せられ(OEMのよう)、それがさらにバッハのいろいろな曲の元曲になっている。例えば賛美歌「Gelobet sei der Herr」はBWV129の、同「Ich freue mich in dir」はBWV197a(第7曲)の、同「O Jesu,meine Lust」はBWV128(第5曲)の元曲である、という具合である。「Was frag」もBWV94のほか、BWV64の第4曲の元曲になっている。そして、その元曲の元曲が「O Gott」というワケである。

ところが、その「O Gott」についてはまだ先があった(製造元自身が下請けから供給を受けているごとし)。それは「Die Wollust dieser Welt」という賛美歌である(注1)(注2)。この「Die Wollust」の作詞者は、ヨハン・ヤコプ・シュッツ(Johann Jacob Schütz(1640~1690))。有名なハインリヒ・シュッツとは別人である。

これで終わりではない。メロディーについてはさらに先がある。それはアダム・クリーガー(Adam Krieger(1634~1666))の世俗曲「Seit daß der Tugend Pfad hat Hercules betreten」 であり、そのメロディーをアハスヴェルス・フリッチュ(Ahasverus Fritsch(1629 ~1701))がシュッツの詩「Die Wollust」(上記)にあてはめて賛美歌に仕立て上げたのである(注3)(注4)。世俗曲が宗教曲になるって話は「血潮したたる」を始めとしてよく聞く話である。これでようやく最上流にたどり着いた。筑波山の山頂近くのちょろちょろした水流を見る思いである。

以上の流れを相続関係説明図風に表すと次のとおりである。

なお、上図で多くの賛美歌がメロディーの供給を「O Gott」から受けているが、同時に、彼らは他からもメロディーの供給を受けている。すなわち、「O Gott」はあっちにもこっちにも通いまくって関係を結んでいるが、その「あっちやこっち」には他のメロディーも通ってきている、ということである。まるで、平安時代の婚姻事情である(?)

筑波山の山頂近くの水の流れってどんなだ?って声が聞こえた気がしたので、載せておく。

え?誰もそんなことを言ってない、空耳だ、でっちあげだって?そんなに声を揃えて言わなくてもいいのに……

注1:http://www.kantate.info/choral-title.htm#Die%20Wollust%20dieser%20Welt
注2:バッハ・コラール・ハンドブックP204
注3:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Die_Wollust_dieser_Welt_(Krieger-Fritsch_1698).jpg
注4:https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:O_Gott,_du_frommer_Gott_(third_tune)

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杖(痛風の友)

2024-12-25 09:54:35 | 健康

この杖は、母が使っていたものである。

病院に行く母に付き添ったときいつも見てたヤツ。母が病院に置き忘れたこともあったが回収して、結局、私が「相続」することとなった。形見のつもりで自分が使うことはないだろうと思ってたら、なんとなんと、今回多いに役立ってくれた。というのも、いつもなら1週間を過ぎると快方に向かう痛風が逆に威力を強めていて(本土に上陸しても威力を落とさない台風のよう)、特に寝ようと横になると激痛が走り寝られない。観念して病院に行こうか?でも、痛風で病院に行っても結局ロキソニンを処方されるだけ、という話もある、だったら、市販のロキソニンでよいのではないか、しかし、この痛さは耐えがたい、もしかしたら尿酸値を下げる薬とかをくれて、それで軽快するかもしれないとか考えて、「溺れる者は藁をもつかむ」で病院に行くことを決意。ところが、一歩玄関の外に出ようと思ったら一歩も歩けない。家の中では裸足でどうにか這いずり回っているが(猫の世話があるので)、靴を履くとなると痛い方の足がちょっと地面につくだけでも激痛が走る。どうしよう。すると、玄関の傘入れに挿してあった「母の杖」に目が留まった。これだ。使い慣れてないから上手く歩けたとは言い難いが、これなしには病院にはたどり着けなかったろう。「今回多いに役立ってくれた」とはそういうことである。杖をついたときのコツコツという音を聞くのは久しぶりである。

で、診察を受ける。やはり聞いていた通りであった。(先生)「ロキソニンを飲んでる?まだある?年末年始で足りなくなるか。じゃ、その間の分を出しときますね」。なんでも、尿酸値を下げる薬は腫れが引いてから飲むべきで、症状があるときに飲むと逆に症状が悪化するおそれがあるという。あ、その話、聞いたことがある。尿酸値が下がる過程で痛風発作が起きる、これは避けられない関門である、という話である。私自身、最初に痛風の発作がおきたのは禁酒をしたときだった。というわけで、結局、ロキソニンと湿布を処方してもらって、痛い足を引きずって帰宅した。まあ、薬局で市販のロキソニンを買うのも制約があったりするかね(以前、ある薬局に追加で買いに行ったら「市販の薬は受診するまでのつなぎです。早く受診してください」と言われた)。今回、年をまたいだ後の分もゲットできて少し嬉しい。ちょっと治った気分……と思ったら、夜中には相変わらずの激痛であった。

今回、尿酸値を調べる血液検査をして、先生も「どーせ値は高いんだろうけど」と言ってて、私も同感で、腫れが引いた頃に検査結果をふまえて今後どーするか(尿酸値を下げる薬を飲むか)を相談するということなのだけど、次の診療日って言われてないな。電話がかかってくるのかな?私、電話には出ないんだけど。なんか、そのままになっちまいそう。

それでも、今回だけは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」にはしないつもり。真剣に食事を考えよう。ビールは既に飲んでない(サワーに代えている)。鶏肉も最近控えている。肉よりも魚の方がまだ良いか?と思って、イワシのフライを作ったりしたが、

なんと、イワシやカツオはプリン体を多く含み痛風に悪いそうだ。知らないとは恐ろしい。そんなことをやってたから症状が悪化したのかも。まてよ。尿酸値を下げる薬を飲むと症状が悪化するということだったな。ってことは、イワシのフライを痛風発症後に食したことは良かったのだろうか、悪かったのだろうか。さすがに、この数日禁酒しているのだが、それで症状が悪化したのだろうか。だが、この腫れた足を見たら、どんな酒であろうとアルコールを摂る勇気はない。

実は、○日前(○には整数が入る)は私の誕生日で、貧乏な私でもこの日だけは誰憚ることなく……もともと人間は一人だから憚る人はいなかった……もとい!お天道様に憚ることなく「ちゃんとした」レストランで(ちゃんとしてないレストランってどこだ?)自分で自分を祝ってあげようと思っていたが、この事態だからお預けになっている。それどころか、この状態が続く限り家にあるモノで食いつながなければならぬ。米は買ったばかりでたくさんある。米ばかり食べて脚気になったらどうしよう(って、いくら何でも脚気になる前には腫れはひくだろう)。

病院は人でいっぱい。看護師さんと患者が「熱が39度」等々と話している。インフルエンザが大はやりらしい。コロナに罹った人もいるだろう。ウィルスが跋扈してそうな空間ではあるが、私は区のタダ券でインフルとコロナの予防接種を受けているからまあ大丈夫だろうと思っている。

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