”殺人獣医”と称されたビル・ミラーは、1950年代から70年代にかけて活躍した大物レスラーだった。マッチョ系ではないそのナチュラルなパワー・ファイトは、ドン・レオ・ジョナサンと双璧。アルゼンチン・バックブリーカー、ネック・ハンギング、ジャイアント・スゥイングを自由自在に使いこなした。ミズターXの別名ではあの力道山も苦しめ、カール・ゴッチと徒党を組みグレート・アントニオやバディ・ロジャースを控室で . . . 本文を読む
以前、ハーリー・レイスは紹介しているが、いろいろ古い資料を見ていたら面白いノートが出てきた。少年時代にプロレス・ファンなら経験があるだろう。雑誌から好きな選手の写真を切り抜き、一冊のノートを作ることを。これはハーリー・レイスの切抜きを集めた物だ。少年時代は外国人を追いかけていただけに、きっとレイスが好きな時期に作ったのであろう。レイスは若手時代から、プロレスが抜群に上手くその受身の大胆さは突出し . . . 本文を読む
”ロシアの怪豪”と呼ばれ、ニューヨークの帝王ブルーノ・サンマルチノからWWWF世界王座を奪取し、その名を轟かせた実力者。王者としては短期政権だったが、サンマルチノを破った実績がレスラー人生尾を変えたのだ。試合のスタイルはサンマルチノによく似たパワー&ラッシュが売り物。カナディアン・バックブリーカーやベアハッグを得意とした。昭和46年に日本プロレスに来日。その後は国際プロレス、新日本プロレス、全日 . . . 本文を読む
銀髪鬼、バンパイアの異名をほしいままにしたフレッド・ブラッシーは、プロレス界の名伯楽でもあった。ブレイクしたのが40代を過ぎてからで、西海岸のロス・マットでWWA世界王者になり、力道山のライバルとして日本でも浸透。得意の噛みつきは、TVを見ていた老人がショック死を起こす大事件にもなった。技らしい技は、フィニッシュとして多用したネックブリーカー・ドロップくらい。あとは噛みつきと急所打ちで勝利したも . . . 本文を読む
昔からモンゴル人キャラは、プロレス界でも別格的な存在だった。エル・モンゴル、モンゴリアン・ストンパー、キラー・カーンなどは、朝青龍や白鵬と比べると顔つきが全く違うが、弁髪スタイルがオリジナルなモンゴル人とされていた。今回、紹介するのがモンゴル人タッグチームの草分け、ザ・モンゴルズだ。
初代がジート&ベーポで、昭和40年代後半に「プロレス・アワー」という番組で、毎週その勇姿を見せていた。何しろ . . . 本文を読む
”黒い砲弾”の異名を持ち、その変形モーションのドロップキックは絶品。初来日した昭和45年以前から、再三に渡ってゴング誌が活躍を取り上げていたこともあり、その期待感はマスカラスの初来日に匹敵するほどだった。アーニー・ラッドと参戦した「NWAタッグ・リーグ戦」では優勝候補の一角と見なされたが、優勝戦に出場はならず…それでも、スクリュー式に飛びながら、背面式のように着地し連発の効くドロップキックはジ . . . 本文を読む
フットボールの名プレイヤーからプロ入りし、プロモーターとしてもらつ腕を振るったマット界のエリート。相手をボディスラムのように抱え上げ、そのまま落下する荒業オクラホマ・スタンピートの考案者。来日は日本プロレスと国際プロレスに1度づつ。それも大物待遇で迎えられたが、特に顕著な記録は残していない。最もプロモーターとしての顔を持つため、日本での成功は鼻から考えていなかったと思う。MSWAという団体のオー . . . 本文を読む
ドリー、レイスと共に70年代のアメリカン・プロレスをリードしたのが、フロリダを拠点に活躍したジャック・ブリスコだ。アマレスの猛者としてプロ入りし、南部を中心に台頭し、レイスを破りNWA世界ヘビー級王座を獲得した。筋肉質ではなく、ナチュラルでしなやかな肉体は強さを誇張することはなかったが、堅実な粘りのテクニックが光っていた。昭和49年1月に王者として来日。馬場、鶴田、ドリー、レイスらの挑戦を退け闘 . . . 本文を読む
NWAといえば、かつては世界最大の団体として君臨していたが、その新旧3大王者が日本で揃い踏みを実現したことがあった。昭和49年1月、全日本プロレスの「NWAチャンピオン・シリーズ」でのことだ。時の王者だったジャック・ブリスコ、前王者のハーリー・レイス、元王者のドリー・ファンクJrが同時期に来日したのだ。写真は昭和49年1月30日、日大講堂で3人が揃った名シーンである。
. . . 本文を読む
ご存知、帝王バーン・ガニアに次き長期間に渡って、AWA世界王座を保持した実力者。「相手がジルバで踊るならジルバで、ワルツを踊るならワルツで」という名台詞を残し、わかりやすく言えばリック・フレアーのような守りの試合巧者だった。金髪をなびかせたダーティー・ファイト、得意技は足4の字固めとフレアーの先人的な存在。ただフレアー以上にプロの妙技を見せつけ、負けそうで負けないプロレスの達人であった。ジャンボ . . . 本文を読む
鉄の爪エリックに対抗するようにAWAに出現したのだ、妖獣ラシクだった。世代は違うが必殺のブレーン・クローは、明らかにエリックのアイアン・クローを意識したもの。初来日が国際プロレスだったこともあり、日本ではイマイチ浸透しなかった大物レスラーだ。
元々はアマレスの強豪で、バーン・ガニアにスカウトされプロ入り。サンマルチノのWWWF世界王座に挑戦し、一躍その名が注目された。マントを着込み、コールされ . . . 本文を読む
今夜、午後7時よりテレビ朝日系列で放送される「50時間テレビ、伝説のスポーツ名勝負」で実に33年ぶりにあの、アントニオ猪木vsモハメド・アリが再現される。プロレスラーとプロボクサーの対決…それも現役の世界ヘビー級王者がプロレスラーと闘うなんて、信じられないことだった。私は当時、19歳で写真専門学校に通っていた。この試合の入場料は一番安い席で5,000円。今なら1,000円以上に相当する金額だ。私 . . . 本文を読む
テキサスの若馬、ビッグ・テキサンと呼ばれた元NWA世界ヘビー級チャンピオン。弱冠27歳で王者になった時は、日本では無名の存在だったが、初来日で日本のエースだった馬場、猪木と互角な勝負を展開。テンガロンハット、カウボーイ風のコスチューム、スピニング・トーホールドがトレードマークでその後は弟のテリーと共に、超人気者に。冷静沈着な兄と激情的な弟というコントラストが、ファンに絶大な支持を受けたのだ。
. . . 本文を読む
”白覆面の魔王”として日本で最も有名な外国人レスラーだったのが、このデストロイヤーだ。力道山の最後のライバルとして衝撃的な日本デビューを果たし、マスカラスが出現するまでマスクマンの第一人者に君臨していた。必殺の足4の字固めは、プロレス技の代名詞。どんな少年ファンも、この技からプロレスと出会った時代があった。
元々はフットボール出身で素顔でデビューしたが、白覆面に変身後にロス地区でWWA世界王座 . . . 本文を読む
史上最強のジュニア・ヘビー級戦士。アマレスで2度に渡り五輪出場し、メルボルン大会では銀メダルを獲得した本物アスリートで、アメリカン・ヒーロー。ボクシングでも全米王者になり、鳴り物入りで地元のオクラホマでプロレス・デビュー。NWA世界ジュニア・ヘビー級王座を通産12年以上も保持し、60年代から70年代にかけ無敵を誇った。
日本ではルー・テーズを破りTWWA世界ヘビー級、馬場&猪木からインターナシ . . . 本文を読む