去った7日の晩、入院中の大叔父が亡くなったと連絡がありました。
翌日夕方からお寺さんで告別式に列席ということで、8日は朝から準備に追われていました。
だいちも具合悪そうにしていたのですが、午前中は入用なものを揃えるのに追われ、帰ったら病院に行こうねと、その時は買出しに出掛けました。
お昼過ぎにいったん帰宅したら、もうだいちは帰らぬ旅に出てしまった後でした。
12年前、闘病の末母が帰らぬ人となり、四十九日までの毎週の法事に追われていた時、妹がふと「犬飼おう…」と言い出しました。
家族が誰も反対しなかったのは、やっぱり皆ぽっかり空いた寂しさをどうにかしたかったんでしょうねぇ。
そうやって我が家にやって来ただいちは、まだ法事中だった四十九日までの毎週毎週入れ替わり立ち代りにやって来るお客さんにも可愛がられ、私達の話をじっと聞いてくれる人懐っこい性格のわんこになりました。
そんなだいちにどれだけ救われたか分かりません。
初めてうちに来た時は、↑写真に写っている掌程の大きさの犬ガムがとてもおっきく見えるサイズだったのに、一年後にはあんなに胴が長く成長するとは思いもしませんでしたわ(笑)。
ようやく、こうやって文章にする決心が付きましたが、書いてるとやっぱり厳しいですねぇ(^_^;)。
8日は帰宅後にペットの葬儀屋さんに連絡。その夜だいちを引き取りに来て下さり、翌月曜に火葬・埋葬終了の連絡を頂きました。
その週は本当に慌ただしく、12日木曜には母の十三回忌、翌日は大叔父の初七日と盛り沢山で、
「きっとだいちは、自分らが落ち込む暇が無い時を選んで旅に出たんだろうねぇ。なんか、だいちらしいよね」などと家人と話しています。
あんまり落ち込んでだいちを引止めでもしたら嫌なので、気持ちは切り替えました。もう泣きませんよ~(*^_^*)。
だいちのいる慰霊碑におやつ持参で会いに行くのが、最近の日曜の日課となりました。
最後になりましたがこの場を借りて、だいちのこと応援して下さった方々に厚く御礼申し上げます。
本当に有難うございましたm(_ _)m。
翌日夕方からお寺さんで告別式に列席ということで、8日は朝から準備に追われていました。
だいちも具合悪そうにしていたのですが、午前中は入用なものを揃えるのに追われ、帰ったら病院に行こうねと、その時は買出しに出掛けました。
お昼過ぎにいったん帰宅したら、もうだいちは帰らぬ旅に出てしまった後でした。
12年前、闘病の末母が帰らぬ人となり、四十九日までの毎週の法事に追われていた時、妹がふと「犬飼おう…」と言い出しました。
家族が誰も反対しなかったのは、やっぱり皆ぽっかり空いた寂しさをどうにかしたかったんでしょうねぇ。
そうやって我が家にやって来ただいちは、まだ法事中だった四十九日までの毎週毎週入れ替わり立ち代りにやって来るお客さんにも可愛がられ、私達の話をじっと聞いてくれる人懐っこい性格のわんこになりました。
そんなだいちにどれだけ救われたか分かりません。
初めてうちに来た時は、↑写真に写っている掌程の大きさの犬ガムがとてもおっきく見えるサイズだったのに、一年後にはあんなに胴が長く成長するとは思いもしませんでしたわ(笑)。
ようやく、こうやって文章にする決心が付きましたが、書いてるとやっぱり厳しいですねぇ(^_^;)。
8日は帰宅後にペットの葬儀屋さんに連絡。その夜だいちを引き取りに来て下さり、翌月曜に火葬・埋葬終了の連絡を頂きました。
その週は本当に慌ただしく、12日木曜には母の十三回忌、翌日は大叔父の初七日と盛り沢山で、
「きっとだいちは、自分らが落ち込む暇が無い時を選んで旅に出たんだろうねぇ。なんか、だいちらしいよね」などと家人と話しています。
あんまり落ち込んでだいちを引止めでもしたら嫌なので、気持ちは切り替えました。もう泣きませんよ~(*^_^*)。
だいちのいる慰霊碑におやつ持参で会いに行くのが、最近の日曜の日課となりました。
最後になりましたがこの場を借りて、だいちのこと応援して下さった方々に厚く御礼申し上げます。
本当に有難うございましたm(_ _)m。