ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

言霊

2010-03-02 22:57:34 | Weblog
いろいろな人が、いろいろなことを考える。
こちらが発した言葉を、こちらの意図とは違うように受け取り、
言葉の亡霊が実体をおびて、一人歩きして行く。

最近「言霊」という言葉をよく思い出す。

ある人は、あまり嬉しくないことがあると呪詛の言葉を発する。
例えば、ある会社に対して「はやくつぶれてしまえ」など。
言い過ぎだとは思うけれど、本人にとっては、
言うことによってサッパリ忘れる、根に持たないという効能もある。
ただ、私はこういうネガティブな言葉を聞くと、
「言霊が・・・」と思うクセがあるので、あまり嬉しくない。

でも、言霊には違う側面もあることに気がついた。

言葉は、それを発した自分に対する自己暗示のほうが強い。
「私はダメな人間だ」と、言葉で発したとき、
無意識が漠然と感じていた「おそれ」が、明確なかたちを帯びる。

言葉は「自分の言葉」となったときに、自分に対して効力を発揮する。
たとえ相手が誤解したとしても、いちど言葉として発すると、
「そんなつもりで言ったのではない」と弁明する。
「ああ、そういう受け取り方もできますね」なんて言える余裕があることは稀だ。
そして、他人からの、「あの状況であの言葉を言ったら、
普通は逆の意味に受け取るだろう」という意見は、
言った本人には、まったく意味をもたないことがある。

つまり、その言葉を発した当人には、
言った人と聞いた人のどちらが、
より強く言霊の呪詛にからめとられているかは、判別がつかない。

だからこそ、言葉は概念であり哲学であるわけだけど・・・、
自分の言葉も他人の言葉も、すべて、
多面的な現実の一側面をうつしているにすぎないと思って、
つねにおおらかに受け止められるようになりたい。

久しぶりに三島由紀夫の『豊饒の海』でも読み返してみようかな。