毎日生きていれば、仕事でいろいろなミスもする。
しかも加齢を感じるようなミスが増えてきている。
でも、人の能力は年齢とともに、出っ張ったり引っ込んだりするものだから、
それを回避する方法を徐々に見つけていくしかないと思っている。
できる努力は、とりあえずする。
でも、できるようになるかどうかはわからない。
こんなだから、まあまあ、自分としてはいい状態だと思っているのだけど、
こんなとき、むかしから必ず、「元気ない?」「具合悪い?」と聞かれる。
リラックスしていて、頭にちゃんと血がまわっていて、内面が活性化している。
でも、そうすると、もしかしたら外側に近いところは省エネモードになっていて、
不活性な印象を与えてしまうのかもしれない。
若いころと変わったと思うのは、
「元気ない?」と言われると、むかしはカラ元気を出して、
その人のイメージの中にある「私」に戻ろうと努力したんだけど、いま、そんな気はない。
人生は常に過渡期だとあらためて思う。
日々うつりかわっていく自分と正面から付き合うのは、本当に難しい。
昨日は絶好調!と思っていたのに、今日は少し落ち込む。
そして、明日は、いま恐れているほどひどい日ではないかもしれない。
少しずつうつりかわっていくこと、それを見つめる努力をしていたら、
いつか、おだやかな自分にすぐ戻れる自分と出会えるかもしれない。
怒りや嫉妬は、きっとなくならないけれど、
そんなネガティブな感情に縛られる時間を、どこまでも短くできるかもしれない。
そんなことを考えているから、最近、仏教の本をよく読むのだけど、
どうしても浄土教がしっくりこない。
浄土教系の幼稚園に通っていたので、仏教のお話と触れたのは比較的早かったけど、
その後、どんどん、阿弥陀様とキリストとの違いがわからなくなって混乱した。
でも、『誤解された仏教』(秋月龍珉著)を読んで、なんだかスッキリした。
日本には日本特有の仏教の伝統がある。
それはそれで必要があって発展してきたのだと思う。
お葬式の時にしかほとんど出会わないし、死んだ人はみんな仏様のところに行けて、
お金払って戒名をつけてもらって成仏できるようなんだけど、
それならキリストでもいいじゃないか、戒名代がないぶんキリストの方がいいかも、
とすら思ったことがある。
だから、「いやいや、仏教って、そもそもね」と、「そもそも論」を潔癖なくらいに展開してくれて、
すごくスッキリした。
しかも加齢を感じるようなミスが増えてきている。
でも、人の能力は年齢とともに、出っ張ったり引っ込んだりするものだから、
それを回避する方法を徐々に見つけていくしかないと思っている。
できる努力は、とりあえずする。
でも、できるようになるかどうかはわからない。
こんなだから、まあまあ、自分としてはいい状態だと思っているのだけど、
こんなとき、むかしから必ず、「元気ない?」「具合悪い?」と聞かれる。
リラックスしていて、頭にちゃんと血がまわっていて、内面が活性化している。
でも、そうすると、もしかしたら外側に近いところは省エネモードになっていて、
不活性な印象を与えてしまうのかもしれない。
若いころと変わったと思うのは、
「元気ない?」と言われると、むかしはカラ元気を出して、
その人のイメージの中にある「私」に戻ろうと努力したんだけど、いま、そんな気はない。
人生は常に過渡期だとあらためて思う。
日々うつりかわっていく自分と正面から付き合うのは、本当に難しい。
昨日は絶好調!と思っていたのに、今日は少し落ち込む。
そして、明日は、いま恐れているほどひどい日ではないかもしれない。
少しずつうつりかわっていくこと、それを見つめる努力をしていたら、
いつか、おだやかな自分にすぐ戻れる自分と出会えるかもしれない。
怒りや嫉妬は、きっとなくならないけれど、
そんなネガティブな感情に縛られる時間を、どこまでも短くできるかもしれない。
そんなことを考えているから、最近、仏教の本をよく読むのだけど、
どうしても浄土教がしっくりこない。
浄土教系の幼稚園に通っていたので、仏教のお話と触れたのは比較的早かったけど、
その後、どんどん、阿弥陀様とキリストとの違いがわからなくなって混乱した。
でも、『誤解された仏教』(秋月龍珉著)を読んで、なんだかスッキリした。
日本には日本特有の仏教の伝統がある。
それはそれで必要があって発展してきたのだと思う。
お葬式の時にしかほとんど出会わないし、死んだ人はみんな仏様のところに行けて、
お金払って戒名をつけてもらって成仏できるようなんだけど、
それならキリストでもいいじゃないか、戒名代がないぶんキリストの方がいいかも、
とすら思ったことがある。
だから、「いやいや、仏教って、そもそもね」と、「そもそも論」を潔癖なくらいに展開してくれて、
すごくスッキリした。