ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

失うこと

2013-10-08 01:48:38 | Weblog
日付がかわり、10月8日になった。

忘れていたのだけど、母の命日だ。
母の誕生日はよく覚えているのに、なぜ命日を忘れてしまうのだろう。
父は逆だ。誕生日は忘れるけれど、命日はよく覚えている。

今年の夏、親しい人のお母さんが亡くなった。
しかも3人も!!!
そして私は上海にいるので、何の役にも立てなかった。

電話やメール、スカイプ、いろんな手段で連絡が来た。
私に連絡が来るのは、私が両親の死を経験しているからなんだな、と思った。

死は生の延長。
のこされるものが、自分以外のある生命に対し、
自分が出来る限りの精一杯をぶつけ、
向き合うための猶予をもらう時間なんだと思う。

だから、生と同じように死も続く。特別なことではない。
死は瞬間ではなく、それは望まなくても、失い続けるという意味で続いていく。

いろいろな執着がある私だから、
もちろん死んだ人に対しても、いろいろな執着がわく。
これは、私の心が見せる「うたかた」だからコントロール不能だし、
あるようでなく、ないようで、心の中にどっかと居座るもの。

どんなに小さくてもいいから、「失う」という経験は大切だと思う。
むかし勉強から逃げていた私は、高学歴の人たちが享受するある価値を失った。
これは、失い続ける経験のわかりやすい例だろう。

それを、言葉の上ですり替えても、何の意味もない。

最近の教育では、順位をつけないらしいけど、
これは根本的に間違っていると思う。

小さい経験でいいから、失う経験、負ける経験をさせたほうがいい。
そうしないと、向かい合うべきときに、気づくことができないから。

連休終了

2013-10-08 01:15:04 | Weblog
今日で連休も終わり。明日からは久しぶりに出社。
出社は久しぶりだけど、連休中もダラダラと仕事をしていたので、
なんだか久しぶりの感じはしない。
中国人みたいに「休みだもんね。知るもんか」というふうに割り切れない私は、
なんとも要領が悪いと思う。

こういうのを、執着心と言うのだろう。

そして、バックグラウンドで仕事のことを考えながら、本を読んだ。
『誰も書かない中国進出企業の非常なる現実』と、
まだ途中だけど『チベットの歴史と宗教 チベット中学校歴史宗教教科書』。

こちらでは、お酒の席で当たり前のように語られることが、
日本だと本になってしまう不思議を感じたのが1冊目の本。
もちろん本になるからには、著者がちゃんと取材しているわけで、
私たちが酒を飲みながら話しているのとは確度が違うわけだけど、
ほんの少したどれば関係者にあたるせまい中国では、
けっこうそこそこの信憑性があるネタが回ってくる。

とりあえず、日系企業の苦境を、
日本では尖閣問題のせいにしたがるようだけど、
こちらでは、ちょっと違う印象だ。
今年に関して言えば、為替のダメージの方が大きかった。
そして、中国系企業も閉口しているのが、人件費の高騰。
すでに上海より日本で作った方が安いものはたくさんある。
私も先日、日本の印刷屋を使った。
ただ、軍が考えていることは違うだろう。そんなもんだ。

チベットの歴史教科書は「うーん」と、うなる内容が満載だ。
これは、思想史なんだと思う。

日本は戦後、歴史教育として、いわゆる偏った内容にせざるを得なかったので、
弥生時代に稲作が、とか、東山文化が、など、
それによって生活や文化の何が変わったのかを考えることをせずに、
ひたすら、塗り替えられるかもしれない考古学を勉強していた。

チベットでは、中学の段階で、非常に高度な論理学を学ぶ。
これを歴史と宗教の側面から学ぶのがすごいと思う。

教育に正解はないと思う。
大人の事情が絡んでくるものだし。

でも、自分の執着心と向き合う準備を中学生のころからしている人と、
私のようにいつまでもズルズルと割り切れなくて、全部が中途半端になる人間とでは、
その心の中にある幸福感が全然違うような気がするんだ。

領土の問題も、そんなふうに考えられればいいと思うのだけど、
中国人相手だから、まあ、無理だよな。
日本以外にも、さんざん領土問題を抱えている国が相手なのだから。

でも、その端緒を開いたのは英仏のアヘンだったけど、
乗っかって無茶したのは日本だったわけで、
日本は、もう一度、満洲を考え直すときなんだと思うんだ。