3日、4日と大阪出張でした。新幹線に乗ってからほとんど曇り空でしたが、富士山が奇跡的に頂上が見えました。最勝の訪問地は帝塚山です。
ランドマークは小さい古墳でした。
囲われていて中に入れませんでした。
他の資料の紹介です。「築造当初の前方後円墳の形をほぼ残す帝塚山古墳は全長約120m/高さ約7~8mの国史跡。採集された埴輪などから古墳時代中期(5世紀頃)のものと推定される。市街地化が進むこの一帯にはかつて古墳が多く存在していたと考えられていて、寛政10年(1798)頃に刊行された『摂津名所図会』には、当時付近には前方後円墳の塚が他にもあり、地元では大伴金村塚と鷲住王の塚を「帝塚山」といった、と記されている。また近年、帝塚山古墳からほど近い帝塚山東遺跡では弧を描いた幅の広い溝が見つかり、埴輪が多く出土したことから古墳の周濠であることが判明。「万代古墳」と名付けられている。」 と書かれているものがありました。
2日目は甲子園球場の近くにある施設と淀屋橋にある施設を訪問しました。甲子園球場ではオープン戦が行われていました。
阪神電鉄の甲子園駅は改修中です。一部は出来上がっていました。
甲子園の仕事を終えて淀屋橋に行きました。向こう岸は日本銀行です。
こちらは淀屋橋と大阪市役所です。
淀屋橋は大阪市のメインストリートである御堂筋の一部となっており、
国道25号に指定されています。元々は土佐堀川に架かる橋の名前だが、その後地下鉄御堂筋線と京阪電車の駅名(淀屋橋駅)とされたことから、駅周辺および中之島東部一帯の地域名にもなっているということだそうです。橋の上流市役所の隣が中之島図書館茶色の煉瓦の建物は大阪市中央公会堂です。
下流には中之島フェスティバルホールやセントラルタワーがあります。
橋の袂に「かき広」がありましたが、ノロウイルス食中毒は大丈夫でしょうか。
淀屋橋の施設の1Fの神宗という店のところに梅の花が少し咲いていました。
神宗のHPより「神宗の歩みは、天明元年(一七八一)、初代・神嵜屋宗兵衛が大坂・靭に海産物問屋(三町問屋)を構えたことから始まりました。
いま皆様にご愛顧いただいております品々の原型が創り出されたのは、その後、嘉永年間 に京町堀(元ざこば)へ移った頃。以来、海産物問屋として鍛え上げた材料を選ぶ眼と極め尽くした技、品質への妥協を許さない高い心意気を連綿と伝え継いでまいりました。
北海道道南産の天然真昆布だけを使い、独自の加工法を用いた塩昆布をはじめ、鰹昆布、ちりめん山椒、鰹田麩などいずれも、品質と味覚の向上に日々精進を重ね、いつも一番おいしい味をお客様にお届けしております。」ということだそうです