2回目の手術の後、入院していたリハビリ病院を2016年3月18日に退院したので、ちょうど2年たちました。その後も通院リハビリで3か月通った病院の近くを久しぶりに訪れてみました。リハビリ病院の前の道路を水神橋を渡って荒川区の汐入公園を散策しました。
水神大橋の上流側に河津桜が咲いていました。
★ランドマーク水神大橋:水神大橋(すいじんおおはし)は、隅田川にかかる東京都道461号吾妻橋伊興町線支線の橋。西岸は荒川区南千住八丁目、東岸は墨田区堤通二丁目。橋名は東岸にある「隅田川神社(水神宮)」に因みます。
創架は1989年(平成元年)3月です。もともと「水神の渡し」という渡船場があった場所で、錦絵に描かれています。
広重 名所江戸百景
墨田河橋場の渡かわら竈 より
渡し場はもう少し下流の白髭橋の近くのようですが。筑波山の見る手前が綾瀬川との合流地点のようです。
。遠くに東京スカイツリーが見える下流方面です。
。ここでもヒヨドリがいっぱいいましたが、近寄るとすぐに飛び立たれてしまいました。ここに一羽写っていました。
上流方面は奥に見えるのは隅田川と綾瀬川が合流するところです。
合流する地点がほぼ直角に曲がって曲尺のようだということから、この場所を鐘ヶ淵となった云う説もあります。
★ランドマーク鐘ヶ淵:江戸時代に、うぐいすの名所として知られた鐘ヶ淵は、隅田川がこの辺で直角に曲り、それが大工の使う指矩(さしがね)に似ているところから「かねが淵」と呼ばれるようになったということだそうです。ここは綾瀬川が合流することもあり、昔の舟人からは航路の難所として恐れられ、とくにその名が高くなったようです。
その後、この名称からさまざまな伝説が生まれました。たとえば台東区の石浜にあった普門院が亀戸村に移転する際その梵鐘(ぼんしょう)が川に落ち、今にいたるまで引き揚げられずに沈んでいるという話や、その寺を石浜の法源寺(現 保元寺)といい、あるいは橋場の長昌寺とも称し、またある将軍が家臣を水中に潜らせて、その鐘を見とどけさせたなどという話などが伝えられています。
明治時代に、この周辺の開発が進み、紡績工場が建てられて、社名を鐘ヶ淵紡績株式会社と称したことから後に鐘紡の名で知られるようになりました。その鐘紡も昭和44年に閉鎖されました。
公園の中に白い花の木がありました。
ハクモクレン?コブシでしょうか。
下流に向かって隅田川の堤を進むと真っ白なユキヤナギが咲いていました。
さらに進むと黄色い花がレンギョウです。スカイツリーのところに見える橋が白髭橋になります。