宿泊研修会の翌日は弥彦神社参拝でした。宿泊施設は月岡温泉の白玉の湯華鳳でした。庭がライトアップされていました。部屋は8階でしたが吹き抜けから見える屏風やクリスマスツリーきれいに見えました。温泉は広いいくつもの浴槽があり、露天風呂は硫黄のにおいがしていました。翌朝の庭です。寒桜?が咲いていました。敷地の塀の所にはさざんかが咲いていました。
帰る途中で弥彦神社を参拝しました。一の鳥居です。
由緒によると「弥彦神社の御祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。
天照大御神の御曾孫で、神武天皇御東征に功績をたてられた後、越の國開拓の命をうけ、漁業・製塩・農耕・酒造等越後産業文化の礎を築かれた。神社創建年代は詳かではないが、社記によれば和銅(わどう)4年[711年]に神域を広げ社殿を造営、延喜式(えんぎしき)[927年]には名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられた。古くより民衆の篤い信仰を集めており、歴史ある大々神楽講や初穂講をはじめ多くの崇敬者により、連綿とその信仰心は受け継がれている。また現在の社殿は、明治の大火後、大正5年に再建されました。」ということだそうです。こちらは境内の御手洗川(みたらしがわ)にかかる半円形の橋で、別名「御神橋(ごしんきょう)」と呼ばれています。“神様の渡る神聖な橋”として建造され、人は決して渡ることはできないそうです。旧本殿址で、この脇に御神木があります。
御神木は椎の木のようです。社伝によれば御祭神が越後国開拓のために、弥彦においでになったとき、携えられた杖を地にさし「この地方が私の永住するにふさわしい所なら、根を生じ芽を出し繁茂するであろう」と言われ、そのことばどおり見事に生育されたと伝わっているようです。枯れた神木は初代の羽衣の松を想像させます。二の鳥居
随神門(ずいじんもん)脇に菊祭りの名残が残っていました。
拝殿です。明治45年の炎上後、大正5年に再建した社殿。参拝や祈祷をするための施設で、平成10年9月、国の登録有形文化財となりました。
後ろは弥彦山です。
こちらは摂社・末社(せっしゃ・まっしゃ)
摂社とは彌彦神社の神様のご子孫を祀った神社、末社はそれ以外の神様を祀った神社だそうです。奥にあるのが
十柱神社
(とはしらじんじゃ)大己貴神(おおなむちのかみ)と大地・水・山・海・土など国土の安全を守護する十柱の大神を祀る【国重要文化財】
あいにくの雨模様で、写真の写りもよくありませんが、どうやら雨に降られずに参拝できました。
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