憲法記念日の今日は、新宿東口で憲法を守れの街頭演説を聞きに行きました。その足で花園神社方面に向かいました。新宿遊歩道公園 新宿遊歩道公園四季の路は、昭和45年3月に廃止された都電13系統(新宿駅前~水天宮前)の専用軌道敷を、新宿区が東京都より譲渡を受けて整備し、昭和49年6月24日に遊歩道公園として開園したものです。途中にゴールデン街の入り口があります。一度もなかの店には入ったことがありませんが、 ウイキペディアによると、もともとは新宿駅東口にあった闇市(和田組マーケット)が起こりである。1950年ごろ東京都が駅前の闇市を撤去した際の替地として当時都電沿いの土地であった場所に移転してきた(都電の跡が現在、四季の道という遊歩道)。当時は繁華街から離れた場所であり、ほとんどの店が飲食店の名目で赤線まがいの営業をしていた。風俗営業法の許可を取らないもぐり営業のため、俗称で青線と呼ばれた。歌舞伎町付近にはこれ以外にも青線が集まっており、都内でも有数の売春街であった。
売春防止法施行(1958年)の後は飲み屋が密集する「ゴールデン街」と名を変えた。この街の店は、文壇バー、オカマバー、ボッタクリバーの3つに分類できるとも言われた。店内は3坪または4.5坪と狭く、カウンターに数人並ぶと満席になる。
文壇バーには、作家やジャーナリスト、編集者らが集まり、(全共闘世代などが)熱い議論や喧嘩を繰り広げる場所でもあり、佐木隆三や中上健次などが常連として知られた。バーが営業を始める時刻以降に行けば、誰かしら著名ライターに逢える地域でもある。
バブル経済の最盛期には地上げ屋に狙われ、放火事件などもあったが、この街に愛着を持つ者も多く、現在でも1950年代の雰囲気を残す場所として続いている。とうことです。
花園神社ウイキペディアによると、新宿の街の中心にあり、新宿総鎮守として江戸時代に内藤新宿が開かれて以来、街の守り神として祀られている。また敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている事でも知られている。朱塗りの鮮やかな社殿は、参拝客の他、休憩場所や待ち合わせ場所として使われ、当社に人影が途絶える事がない。とありました。
靖国通りからの入り口左手に唐獅子の説明がありました。
こんな、神社の中に社がありました。ここは芸能浅間神社です。全国の浅間神社の中でも、「芸能」に関わりのある例は珍しいそうで、この神社は敷地内には芸能人の奉納者の名前が多く並んでいました。敷地内には、藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』の歌碑が建立されていました。
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