ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

鳥取砂丘・鳥取城跡

2014年06月13日 10時19分46秒 | 訪問地周辺散策

2日目の鳥取は雨模様でした。仕事は午後からで、終わった後は広島まで移動なので、午前中の時間が空いています。3度目の鳥取ですが、やはり砂丘へ行こうと思ってバス停に行きました。平日は鳥取駅から砂丘へのバスが1時間に1本程度です。9時40分に乗り遅れてしまい次は10時50分でした。コインロッカーに荷物を入れて駅の周辺をぶらぶらしてバスを待っていました。駅の南口には

因幡の白兎のモニュメントがありました。駅構内には砂の人形が飾ってありました。雨が結構降っていましたが、バスで砂丘に向かいました。

雨で砂の表面がぬれていました。長靴を貸してくれるようですが、前回は靴のまま砂丘の上まで行きましたが、今回は展望台に向かいました。

砂丘からリフトで行くことができます。展望台からの砂丘です。雨は止んでいましたが海は良く見えませんでした。こんなものを見つけました。記念樹です。赤いキョウチクトウです。

仕事を終えて広島に向かう列車16時21分発なので、1時間ほど時間が空いてしまいました。市内循環の100円バスに乗ってみました。あてはなかったのですが、鳥取城跡と公園があるというので降りてみました。小雨の中傘もささずに歩いてみました。

こんな図を見つけました。碑は中の御門のところにありました。

山(久松山)の上は、霧がかかっていました。

鳥取城は、因幡を統治した山名氏の出城として、1545年(天文14)に山名誠通(やまなのぶみつ)が久松山に築いたと伝わっています。
1581年(天正9)、当時の鳥取城主山名豊国は、羽柴秀吉の鳥取城攻めによって、同盟を結ぶ毛利氏に背いて秀吉に降ったため、家臣に追放されたともいう。代わって城主に吉川経家(きっかわつねいえ)を迎えるが、秀吉の2回目の鳥取城攻めで落城し、経家は自刃したということです。
 
 関ヶ原の合戦後、姫路城主池田輝政の弟・池田長吉(いけだながよし)が城主となり、山上・山下の城域を拡張していき、1632年(寛永9)、岡山城に転封した池田光政に代わって池田光仲(みつなか)が入り、以後、鳥取城下は光仲を藩祖とし、直系子孫によって明治まで12代238年間つづいたそうです。

天球丸です。

こんものもありました。

これで降りてきましたが、バスが来ないので、とりぎん文化会館(鳥取県民会館)前から駅までタクシーになってしまいました。

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