ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

向島百花園

2014年08月22日 23時53分20秒 | 身辺出来事

向島百花園の集会場(御成座敷)で、友人を祝う会がありました。40年ほど前に、職場の仲間で月見の会をして以来の園内での宴会です。

向島百花園は江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。。。花としては端境期のような状況でしたが、結構見られました。萩のトンネルはまだ咲いていませんでした。因幡の白ウサギを連想するので好きなガマの穂です。小さいのでコガマというらしいです。その他の花

モミジアオイもフヨウもムクゲ、ハイビスカスも同じアオイ科フヨウ属らしいです。オクラもアオイ科だそうです。ムクゲとハイビスカス、オクラの写真はお盆に田舎で撮ったものです。もいろいろありました。ススキもようやく穂を出してくれています。長く咲いてくれtれいる百日紅見えない方が良いという方もいましたが、スカイツリーもよく見えます。

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