ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

熊谷寺(ゆうこくじ)

2014年06月04日 23時22分34秒 | 訪問地周辺散策

関東地方では最も暑くなる熊谷市に出張でした。今回で3回目でしたが前2回ほどは暑くありませんでした。それでも駅前にある霧(ミスト)の噴射はありがたいです。前回は気づきませんでしたがこんなものもありました。私の母校でもある熊谷高校出身の元日本代表監督宿沢広朗氏や熊谷工業高校の活躍などラグビーに係わる人材が多く、また熊谷には立派なラグビー場があることなどから、ラグビータウンの象徴として埼玉県ラグビー協会の寄付により作られたものだそうです。

さらに駅前にはこんな像がありました。熊谷直実です。

熊谷商工会議所ホームページによると、こんなことが書いてありました。

熊谷次郎直実(1141-1207)
平安末期から鎌倉時代初期、武蔵国熊谷郷(現・熊谷市)で活躍した武将。 父・直貞は熊谷郷の領主となり、熊谷の姓を名乗る。 当初は平家仕えていたが、石橋山の戦い以降、源頼朝の御家人となり、 数々の戦さで名を上げ、鎌倉幕府成立に貢献する。
一ノ谷の戦いでは、平家の若武者、平敦盛を打ち取るが、 息子ほどの年齢の若者の命を奪ったことによって 戦の無情さや世の無常観を感じ、に深い傷を負う。 これが後の出家の動機となったといわれる。 この時のことは「平家物語」の中に描かれ、能や歌舞伎でも 熊谷直実の無常観とし上演されている。
もともと気性が荒く、直情型で反骨精神の強い直実は 源頼朝の命令を拒否したため領地を没収されたり、挙句には領地問題の訴訟に際して 頼朝の目前で髪を落とし、出家してしまう。
その後、法然に弟子入りし蓮生(れんせい)と名乗り、京都・東山で修行を重ねる。直実は熱心な念仏信者となり、各地に寺院を開基している。
1198年、粟生の西山浄土宗総本山光明寺を開基すした後、熊谷郷に戻った後は、現在の熊谷寺(ゆうこくじ)で念仏三昧の生活を送った。とありました。

熊谷市では、郷土が生んだこの歴史上の人物を郷土の誇りとしてたたえ、 駅前にブロンズ像を建てた。とうことだそうです。

私にとっての熊谷次郎直実は歌舞伎に上演される話を祖父から寝物語に聞かされたことです。

次に時間がなかったので、タクシーで八木橋デパートまで行き、そこにある熊谷寺を訪れました。残念ながら中には入れませんでした。外から撮ってみました。隣はお稲荷さんでした。奴稲荷神社は、熊谷次郎直実の守護神(弥三左衛門稲荷)として、元久2年(1205)た熊谷直実の邸内(熊谷寺内)に創建したといわれています。

 

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