ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

夕陽ヶ丘(上町台地)

2013年05月25日 11時23分03秒 | 訪問地周辺

地下鉄谷町線の夕陽ヶ丘駅で降りて散策しました。このあたりは昔から台地で、その昔はすぐ下まで大阪湾が入り込んでいたようです。昨日紹介した愛染院や大江神社、清水寺すべてこの台地の上にあります。また、昨年訪れた生國魂神社のすぐ南側になります。
最初に通りかかったのが清地蔵陸奥宗光の愛娘清が20歳で亡くなった時に、妻と共同で安置したものだそうで、清の等身大のお地蔵さんです。「宗光に追慕の意を表す碑」や陸奥宗光の父「伊達宗広の句碑」も隣接して建てられています。
陸奥 宗光(むつ むねみつ、天保15年7月7日(1844年8月20日) - 明治30年(1897年)8月24日)は、幕末から明治時代の武士、政治家、外交官。カミソリ大臣と呼ばれ、伊藤内閣の外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった。江戸時代までの通称は陽之助(ようのすけ)。
中に入ると藤原家隆の塚がありました。藤原家隆は藤原時代末期の5代の天皇に仕えた有名な歌人で79歳の時に官を辞してこの地に隠棲した。その翌年の春の彼岸にここの高台から西の海に落ちる夕日を見て、その荘厳さに心を打たれ
「契りあれば なにわの里に やどりきて 波の入日を 拝みつるかな」と歌によみ、直に落髪して仏性と号し、その4月9日に消え入る様に一生を終えたということです。現在の地名「夕陽丘町」は藤原家隆のこの話に基づくものだそうです。
七坂と湧水台地から西が海であったなごりで坂が多くありますが、天王寺七坂と呼ばれています。北から真言坂、源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂で、これは天神坂の途中にある当時の湧水の雰囲気を表したものだそうです。湧水も「天王寺七名水」というらしいです。
目の前の寺は興禅寺です。寺記によると早創年代は不明だが、元は住吉大社の北百歩ばかりの所にあり三柱の神を鎮守とし、法橋定朝作の観世音菩薩像を祀っていたと記されています。万治3年(1660年)、月舟宗胡を請して開山に迎え禅堂、庫裏を創建し、後に明治13年(1880年)、現在の場所へ転地しています。境内に「厄除け不動明王」が安置されており、厄除けの寺として知られているそうです。
駅に戻る途中にも寺がありました。真光院です。中にこんなものもありました。
地下鉄から京阪電車に乗り換えるので天満橋で降り、昼食でした。天満橋は大川に架かる橋で、難波橋、天神橋と共に浪華三大橋と称され、最も東(上流)に位置ています。すぐ下流には天神橋があります。




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