ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

豊田市・挙母神社

2014年10月23日 23時51分54秒 | 訪問地周辺散策

豊田市に出張でした。こちらも3回目になりますが、いつもは豊田美術館のある山に行っていましたが今回は時間もなかったので、挙母神社に行ってみました。

豊田市の観光案内から「挙母神社の創建については諸説あります。一般的には、1189年源義経の家臣である鈴木重善(善阿弥)が奥州の義経のもとに向かう途中、義経が死んだと聞いてこの地に留まり、その後大和吉野より「子守明神」を勧請して祀ったと言い伝えられています。「挙母祭り」が行われる神社としても有名な挙母神社。江戸時代には「子守大明神」と呼ばれ、今でも初宮まいりや、七五三まいりなど、我が子の健やかな成長を願う人たちが多く参拝しています。自動車産業のお膝元だけあって、交通安全を願う自動車祓いに訪れる人も数多くいます。左手が自動車お祓いの場所です。

今年の挙母祭りは10月18日と19日に行われたようです。訪れたのは10月22日でしたので、祭りが終わったばかりの時でした。 

豊田市観光協会のHPによると「毎年、10月の第3土曜に試楽祭、日曜に本楽祭を開催。試楽祭では町内を山車が曳きまわり、夜は挙母神社にて七度参りが行われます。本楽祭では、挙母神社にて山車の曳き込み、山車の曳き出しが行われます。夜は、矢作川の河畔にて花火が奉納されます。」「ワッショ、ワッショ」のかけ声のもと、大量の紙吹雪が舞う中を山車が練り歩く様が圧巻の挙母まつり。荒々しく躍動的な力強さと、八輌の山車や紙吹雪による華やかさを兼ね備えた、三河地区でも有数のおまつりです。起源は古く、江戸時代後期から明治初期に今の形になったと言われ、挙母城下の心意気が今に伝えられています。」とありました。訪れた日は雨上がりで、挙母神社に行く途中の歩道が紙片で埋め尽くされていて、それを清掃する人がいましたが大変なようでした。なぜこんなに汚れているのかと不思議でしたが、原因がわかりました。祭りに使われた紙吹雪の残骸だったようですね。

子守稲荷です。「子守の宮」と呼ばれるように、昔から「おこもりさん」と言われ、親しまれて、安産祈祷、初宮詣り、七五三詣りと、多くの人が参拝するそうです。

神社から帰って訪問先の施設に向かう途中でネコさんに出合いました。

自動車の間に入ってしまい様子をみていたら相棒が顔を出しました。ちょっとお邪魔だったようです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 熱田神宮 | トップ | 宝蔵院 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

訪問地周辺散策」カテゴリの最新記事