葛飾区細田にあるひまわりテニスクラブで墨田区役所のテニス部の女子の実業団に試合があると応援に向かいました。自宅からは8km以上離れていますが、自転車で行きました。途中にいろいろな社寺仏閣がありました。疲れて休みながら散策したのかが宝蔵院と八剣神社でした。八釼と名の通り屋根が立派でした。隣にお寺さんがあるようなので寄ってみました。入り口のようなところにこんな碑がありました。表に回ってみると、宝蔵院と書いてありました。本堂です。宝蔵院は、葛飾区観光協に案内によると「1395年創建。1758年の宝暦事件で京を追われた本堂良喜(ほんどうよしのぶ)がこの寺に落ち延びた時、後を追ってきた妙姫(たえひめ)が背負ってきたと云われる薬師如来立像が境内のお堂に安置されるなど、様々な逸話が残る。秋には1000本以上の彼岸花が咲き、石仏群を背景に神秘的な美しさをたたえる。」と書かれてありました。隣の八剱神社はもと別当だったようです。
こちらが薬師堂中には観光協会の写真にあったような像があるのでしょうか。
こちらも新たな発見です。わけもわからずに撮りましたが、この碑は白蓮の歌のようです。「衆生あり祈願成就のよろこびを代々に伝えし御仏ぞこれ」とかいてあるようです。
昭和38年には東方に中川放水路が完成し、その記念に堤上に、「和光の鐘」を吊った鐘楼だそうです。井上靖の碑があります。
宝暦の頃 国事に勤むる男女この寺へ逃れしが捕吏の襲うところとなりて 当寺の住職と共に討たれしという哀史傳われり 寺鐘の失われしはその頃のことにして 爾来堂宇荒廃のまま 時移り 世は変り 今日まで鐘楼建つことなし
昭和の住職関谷宣雄師 鐘楼再建を発願して多歳 浄財を得て 昭和三十八年春 和光の鐘楼の建立を見る往古迦膩式迦王悪龍の請に依って伽藍を建て 鐘を打ってその瞋心を息むという 諸々の悪龍の瞋心ここに息むべし時恰も新中川放水路開鑿に当たり 宝蔵院はその流れの岸に臨めり 晨夕の鐘声は水底に没せし農家 耕地のためにまた新しき供養の意味を持つと謂うべし 井上靖
境内にはザクロの実が熟れていました。
鐘楼の下には10月桜(?)が咲いていました。
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