世田谷区梅ヶ丘で世田谷のうたごえ愉快な仲間特別バージョンがあったので、参加してきました。少し早めに行って周辺を散策してみました。
梅ヶ丘駅と会場の梅ヶ丘パークホールとの間に小奇麗な公園があったので寄ってみました。花壇にはストックや
ボケなどが咲いていました。
北沢川緑道公園と案内あがりました。
★ランドマーク北沢川緑道:北沢川は、世田谷区上北沢を起点に、赤堤を通り、環七を越え、代沢小学校を かすめ、淡島通りを淡島交差点近くで突っ切り、池尻で烏山緑道と合流して、目黒川に流れている川です。もともと北沢川は水量の少ない川でしたが、玉川上水からの分水が江戸幕府に認められ、人工の水路が作られ、北沢川は支流となりました。その結果、北沢川は流域一帯に生活用水、農業用水を供給する北沢用水として機能する様になりました。
時代は江戸、明治、大正、そして昭和と移り、それまでの川は、子供達が入って遊べる位きれいでしたが、昭和30年代には生活廃水が流れ込み次第に汚れていき、ドブ川となり、昭和40年代には、 暗渠(あんきょ) (覆いをしたり地下に設けたり、外から見えない様にしている水路)となってしまいました。現在は、北沢川緑道として遊歩道や公園などに姿を変えています。
公園散歩の途中で犬を散歩中のご婦人に出合い、羽根木公園を教えていただきました。
梅林がありました。ちょうど良い日あたりでほっこりしていました。梅のシーズンにはもう一度来てみたい場所です。
銀杏並木が見ごろでした。
なにやら記念碑のようなものが見えたので近づいてみました。
歌碑がありましたが誰のものかよくわかりませんでした。中村汀女歌碑「外にも出よ ふるるばかりに 春の月」でした。
「外にも出よ ふるるばかりに 春の月」
★ランドマーク中村汀女 歌碑「外にも出よ ふるるばかりに 春の月」:この句は、俳人中村汀女の代表句の1つで、昭和21年の作品です。
中村汀女は、大正・昭和期の俳人で、高浜虚子に師事し、昭和22年俳誌「風花」を主宰し、日常生活を繊細で情感豊かに詠んだ作品を数多く発表した事で有名です。明治33年熊本市に生まれ、本名は中村破魔子(ハマコ)。
昭和12年から世田谷区代田に住み、閑静な世田谷の自然に親しみ、羽根木公園付近をよく散策したということだそうです。中村汀女は、女流俳人の第一人者として活躍し、昭和63年9月20日に逝去されたということでした。
なにも知らずにふらりと寄ったところにもいろいろな歴史があることを感じました。
前々日の11月27日に田舎の同窓会の幹事会に行ってきました。いつもの本庄市の徳樹庵です。すっかちこちらも色付いていました。山茶花も咲いていました。
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