施設訪問の途中池上本門寺を散策しました。余り時間がないので目についたところだけ写真に撮りました。前田利家室の墓
力道山の墓という案内があり、行ってみました。
力道山は、大相撲の関取から未知のプロレスに転向、昭和30年代のテレビ普及に貢献、日本中にプロレスブームを生み出しましたが、やくざに刺されたキズがもとで死亡、享年39才の若さであった。戒名は大光院力道日源居士。
こんな写真がありました。今は整備されすぎてなかなか当時を想像することはできません。写真の右手、橋を渡ったところに見えるのが
この鬼子母神ではないでしょうか。池上鬼子母神堂は、大正9年(1920)厳定院40世、山田潮栄上人が「子育て鬼子母神」を勧請し、昭和6年(1931)本門寺総門前に別院として池上鬼子母神堂が建立されたということだそうです。
道路を挟んだ向かいにある(写真の左側)のは本成院です。
本成院は、弘安5年(1282)上の北谷の地に、日蓮聖人の直弟子日向聖人の庵室として開創、その後東谷にあった本成坊が廃寺となり、これと合併し再興され、享保年間(1716-1736)に現在地に移り再建、本成院と称するようになったということです。
本成院観音堂
池上本門の多宝塔の隣は大坊です。日蓮宗本山 池上 大坊 本行寺は、日蓮宗の宗祖である日蓮大聖人がご入滅(にゅうめつ)、すなわちご臨終された地(ご霊場)。大聖人3大聖地の1つともされています。
本堂に
霊場
日蓮大聖人は、今から700余年前の弘安5年(1282年)9月8日、常陸国(ひたちの国/現在の茨城県北部)での湯治療養などのため、9年間にわたり住み慣れた身延山久遠寺(みのぶさん くおんじ/現在の山梨県巨摩郡身延町に所在)を後に、同月18日、武蔵国池上郷(現在の東京都大田区)の鎌倉幕府の作事奉行であった池上宗仲公(いけがみむねなかこう)の館に着きここで亡くなったようです。池上宗仲公は日朗の弟子・日澄に館を寄進してお寺としたのが「長崇山 本行寺」(通称「大坊」)です。
こちらは、大聖人ご入滅時に時ならぬ花を咲かせた桜は、今も「お会式桜(おえしきざくら)」ということで、旧暦10月頃に花を咲かせるようです。10月桜の起源でしょうか。?
これで散策を終えて上池上の施設に向かいました。
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