亀戸あさくさ古道のこの写真に出ているお寺さんや神社をたびたび訪ねていますが、今回は下の絵にある、まだ見ていなかった宝蓮寺と浄心寺を散策しました。
現在の宝蓮寺は蔵前通りに面しています。
本堂
寶蓮寺「東林山・華蔵院・寶蓮寺」
真言宗智山派に属し、今から約700余年前の嘉元元年(1303年)に俊鑁法印によって創建された。その後、昭和20年3月10日の東京大空襲で伽藍は全て焼失しましたが、昭和39年11月に本堂を再建、昭和55年12月に客殿・庫裡が造られています。
当初江戸横山町にあり、後でこの地へ移転しています。荒川辺八十八ヶ所霊場73番札所です。
由緒ある石像と思われますが説明書きがないのが残念です。
この宝篋印塔は塔身が2段で各々に蓮台が付いています。基礎に万人講とあり、講の人々が寄進したもので、文化元年建立の銘があります。
こちらも古そうですが。
墓地も古いお墓があります。
次に浄心寺に向かいました。何度か寺の前は通ったことがありますが、中に入るのは初めてです。
浄心寺です。
山門の両側に地蔵さんがあります。左手の六地蔵はかなり新しいものです。
右手には
古い地蔵さんもありました。
丸彫り立像で頭部が破損したのか補修されている。下部もヒビが入っており痛々しいが、ご尊顔が優しく癒される。ということで
江戸期のもであろうと推測されるということです。
本堂の裏に回ろうとしたらこんな石碑がありました。
亀戸事件、うすうすは知っていましたがここに碑があろとは思いませんでした。
(碑裏)1923年(大正12年)9月1日関東一帯を襲った大震災の混乱に乗して天皇制警察国家権力は特高警察の手によって被災者救護に献身していた南葛飾の革命的労働者9名を逮捕、亀戸署に監禁し戒厳司令部直轄軍隊に命じて虐殺した。惨殺の日時場所ならびに遺骸の所在は今なお不明である。労働者の勝利を確信しつつ権力の蛮行に斃れた表記革命戦士が心血をそそいで解放の旗をひるがえしたこの地に建碑して犠牲者の南葛魂を永遠に記念する。
1970年9月4日 亀戸虐殺事件建碑実行委員会
正面の下のところには
犠牲者氏名年令 川合義虎 22 加藤高春 27 北島吉蔵 20 近藤慶造 20 佐藤欣司 22 鈴木直一 24 平澤計七 34 山岸実司 20 吉村光治 24
と書かれています。
古地図に「亀戸あさくさ古道」を載せてみました。今回は⑥と⑦でした。
次回は逆井の渡しから龍眼寺までのところをすべて網羅したものをアップしたいと思います。
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