ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

新宿御苑桜2018年(3月23日)

2018年03月23日 23時26分36秒 | 花の散策

曙橋の鍼灸治療院に通う途中で、早歩きで御苑の桜を撮ってみました。いつもの千駄ヶ谷門から入ります。入った右側に高い桜の木があり3-4分咲きでした。休憩所の手前の染井吉野奥のピンクはカンザン

下の池と中の池の間の枝垂れ桜には多くの人が集まっていました。

枝垂れ桜を囲むように人が集まっていました。

近くにもピンクの桜が高遠小彼岸と書いてあります。

ドコモタワーの前の景色です。桜に交じって黄色い花があります。

 サンシュユ

日本庭園の入り口の手前に陽光でしょうか。

時間がないので、日本庭園奥までは行きませんでした。

 

ピンクの桜に多く人が集まっています。 

少し離れたところにもありました

★ランドマーク新宿御苑の桜:大都会の中のオアシス。園内には約65種類ものさまざまな桜1000本があり、2ヶ月以上お花見が楽しめる。3月下旬にはヤマザクラなどの一重咲き種、4月上旬にはイチヨウやカンザンなどの八重咲き種が次々とつぼみを開き、園内を鮮やかに彩る。

お花見人気度全国2位 東京都内で2位だそうです。

玉藻池に向かいます。

高遠小彼岸のようです。

大木戸門を出ると散りかけている白い花がありました。

駐車場の脇にはシモクレン(紫木蓮)

四谷地域センターのところの桜を見ながら鍼灸治療に向かいました。

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桃の花とユキヤナギ(白髭東公園、墨田区)

2018年03月20日 13時11分49秒 | 季節の花

2年前に入院していた都立ヒバびりテーション病院の前にある白髭東公園のユキヤナギを見に行きました。公園にはいるといい匂いがしてきました。沈丁花でした。沈丁花のところのソメイヨシノが咲きかけていまし。

次に目についたのはピンクの花でした。ものの花です。

花の下には水仙などが咲いています。

菜の花もいい匂いをさせていました。

桜の下に小さなが花がイヌフグリです。

ようやく木母寺の前のユキヤナギのところにたどり着きました。

奥にリハビリテーション病院が見えます。

★ランドマーク白髭東公園:墨田区の北端、隅田川に沿うような南北に細長い公園で、緑とレクリエーションの場です。
公園の東側には、13階建の高層住宅が並びます。公園と住宅、そしてリハビリ専門病院等をあわせ、この区域一帯は、江東デルタ地区の防災拠点。もし大地震や火災が起きた時には、公園は避難広場となります。

背景に見えるの高層住宅は防災団地と呼んでいます。

★防災拠点:白髭東公園は、江東地区防災拠点の指定を受けている白髭東地区内に位置し、災害時用の各種設備が設置されている。

白髭東地区には、他に災害医療センターとしての機能を持つ東京都リハビリテーション病院 や、災害時に巨大な防火壁となる変形構造を持つ都営白鬚東アパート(防災団地)などの防災施設が集中的に建てられている。
公園は団地と隅田川とに囲まれていて、住宅地の大規模火災時に火の手から守られるように想定されている。
東白髭公園を含む防災拠点の設置は東京都市計画事業白鬚東地区第一種市街地再開発事業によって行われた。
また、隅田川を挟んだ対岸には白鬚西地区市街地再開発事業によって整備された、同じく江東地区防災拠点の指定を受けている汐入公園があり、水神大橋によって繋がれている。

この後で隅田川沿いの桜の咲き具合を見に行きました。

東京での開花宣言は3月17日ということで、この日(19日)はまだ本当に咲き始めたところでした。茶屋のテントが張られていました。

道を隔てて三囲神社があります。ピンクの桜はオオカンザクラでした。菜の花のいい香りがしていたので振り返って撮りました。

さらに、少し気になっていたスカイツリービューストリートに咲いているハナモモを見に行きました。

白い沈丁花です。

団地に帰ったらここでもユキヤナギが白くなっていました。

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汐入公園の河津桜と隅田川堤のユキヤナギ

2018年03月19日 21時46分57秒 | 花の散策

2回目の手術の後、入院していたリハビリ病院を2016年3月18日に退院したので、ちょうど2年たちました。その後も通院リハビリで3か月通った病院の近くを久しぶりに訪れてみました。リハビリ病院の前の道路を水神橋を渡って荒川区の汐入公園を散策しました。水神大橋の上流側に河津桜が咲いていました。

★ランドマーク水神大橋:神大橋(すいじんおおはし)は、隅田川にかかる東京都道461号吾妻橋伊興町線支線の橋。西岸は荒川区南千住八丁目、東岸は墨田区堤通二丁目。橋名は東岸にある「隅田川神社(水神宮)」に因みます。

創架は1989年(平成元年)3月です。もともと「水神の渡し」という渡船場があった場所で、錦絵に描かれています。

広重 名所江戸百景
墨田河橋場の渡かわら竈 より

渡し場はもう少し下流の白髭橋の近くのようですが。筑波山の見る手前が綾瀬川との合流地点のようです。

遠くに東京スカイツリーが見える下流方面です。。ここでもヒヨドリがいっぱいいましたが、近寄るとすぐに飛び立たれてしまいました。ここに一羽写っていました。

上流方面は奥に見えるのは隅田川と綾瀬川が合流するところです。

合流する地点がほぼ直角に曲がって曲尺のようだということから、この場所を鐘ヶ淵となった云う説もあります。

ランドマーク鐘ヶ淵:江戸時代に、うぐいすの名所として知られた鐘ヶ淵は、隅田川がこの辺で直角に曲り、それが大工の使う指矩(さしがね)に似ているところから「かねが淵」と呼ばれるようになったということだそうです。ここは綾瀬川が合流することもあり、昔の舟人からは航路の難所として恐れられ、とくにその名が高くなったようです。

その後、この名称からさまざまな伝説が生まれました。たとえば台東区の石浜にあった普門院が亀戸村に移転する際その梵鐘(ぼんしょう)が川に落ち、今にいたるまで引き揚げられずに沈んでいるという話や、その寺を石浜の法源寺(現 保元寺)といい、あるいは橋場の長昌寺とも称し、またある将軍が家臣を水中に潜らせて、その鐘を見とどけさせたなどという話などが伝えられています。

明治時代に、この周辺の開発が進み、紡績工場が建てられて、社名を鐘ヶ淵紡績株式会社と称したことから後に鐘紡の名で知られるようになりました。その鐘紡も昭和44年に閉鎖されました。

公園の中に白い花の木がありました。

ハクモクレン?コブシでしょうか。

下流に向かって隅田川の堤を進むと真っ白なユキヤナギが咲いていました。

さらに進むと黄色い花がレンギョウです。スカイツリーのところに見える橋が白髭橋になります。

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東禅寺(東京都港区)江戸名所図会めぐり

2018年03月15日 23時24分46秒 | 江戸名所図会めぐり

午前中に港区で会議があったので、品川駅まで足を延ばして東禅寺を散策しました。山門

★ランドマーク東禅寺:国指定史跡 東禅寺

 東禅寺 は、幕末の安政6年(1859)、最初の英国公使館 が置かれた場所です。東禅寺は、臨済宗妙心寺派 に属し、開基の飫肥藩主伊東家の他、仙台藩主伊達家、岡山藩主池田家等の菩提寺となり、また、臨済宗妙心寺派の江戸触頭でもありました。

 幕末の開国に伴い、安政6年6月、初代英国公使(着任時は総領事)ラザフォード・オールコックが着任すると、東禅寺はその宿所として提供され、慶応元年(1865)6月まで7年間英国公使館として使用されました。その間、文久元年(1861)5月には尊皇攘夷派の水戸藩浪士に、翌2年5月に松本藩士により東禅寺襲撃事件が発生し、オールコックが着した「大君の都」には東禅寺の様子や、東禅寺襲撃事件が詳述されています。

 現在の東禅寺の寺城は往時に比べ縮小し、建物の多くも失われていますが、公使館員の宿所となっていた「僊源亭」やその前の庭園などは良好に残っています。庭園と僊源亭を含めた景観は、公使館時代にベアトが撮影した古写真の風景を今に伝えています。

 幕末期の米・仏・蘭などの各国公使館に当てられた寺院は大きく改変され、東禅寺が公使館の姿を伝えるほぼ唯一の寺院であることから国史跡に指定されました。 

平成24年3月 建設  東京都教育委員会

江戸名所図会より江戸切絵図

★最初のイギリス公使宿館跡:

安政5年(1858)7月に帰結された日英通商条約により、翌6年6月6日、イギリス初代公使オールコックらがここに駐在し、わが国最初のイギリス公使宿館となった。文久元年(1811)5月28日夜、水戸浪士の襲撃事件、同2年5月29日夜警固士のイギリス人殺傷事件があったが、明治6年(1873)ごろまで使用された。

 当時、公使館にしようされたのは大厳間および書院と奥書院であったが、現在その一部である奥書院(5.4x9.0m)と玄関が旧時のままよく保存されており、そのほかは昭和初年に改築された。

阿形(あぎょう)の仁王像です。

吽形(うんぎょう)の仁王像です。

境内に入ります。三重塔が見えてきました。平成4年に建てたもののようです。

鐘楼です。

宝物殿の正面玄関は19世紀中頃の部材を利用していということだそうです。

眼前に東京湾が広がることから海上禅林とも呼ばれたそうです。大きな石灯籠がありまさいた

 東禅寺事件:幕末の安政年間(1855年 - 1860年)以降、当寺は西洋人用の宿舎に割り当てられた。安政6年(1859年)には日本初のイギリス公使館が当寺に置かれ、公使ラザフォード・オールコックが駐在した。 

安政7年1月7日(1860年1月29日)、公使オールコック付きの通訳小林伝吉が門前で2人の侍に殺害された。 

文久元年(1861年)、攘夷派の常陸水戸藩浪士によって寺が襲撃される(第一次東禅寺事件)。オールコックは難を逃れたが、書記官らが負傷し、水戸藩浪士、警備兵の双方に死傷者が出た。翌文久2年(1862年)には護衛役の信濃松本藩藩士伊藤軍兵衛によって再び襲撃され、イギリス人水兵2名が殺害された(第二次東禅寺事件)。

などなど、まだまだいろいろと歴史があるようです。長い三℃をあるいて帰りました。

門を出たところに公園がありました。

看板が出ていたので、公園の注意書きではなく、この辺の歴史が書いてるといいな!と思って覘いてみたら希望通りの看板でした。

なんだか港区の文化度の高さを感じました。

ここから午後の仕事で東京タワーの下にある施設に向かいました。

施設の庭にはミツマタが咲いています。

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オオカンザクラとヒヨドリ

2018年03月13日 23時37分05秒 | 花と鳥

旧中川の河津桜並木にあるオオカンザクラが咲きました。メジロでなくヒヨドリが蜜をついばんでいました。

河津桜より高いオオカンザクラです。河津桜よりソメイヨシノに近い色をしています。

その高い木の上にヒヨドリらしきものが止まっていました。

低いところに降りてきたのでいっぱい撮りました。残念ながら高級カメラではなくスマホで撮っています。

この写真ではヒヨドリの特徴がわかります.

メジロと同じように体をひねって蜜を吸っています。

まだ河津桜も見られます。

ふれあい橋です。

ふれあい橋の袂に黄色い小さい花が咲いていました。

ピュウガミズキでしょうか。アジサイ園のアジサイも芽吹いていました。

亀戸中央公園のアンズの花が咲き始めました。

梅林の白梅は満開を過ぎています。

龍巌寺のカンヒザクラです。

小さなメジロが一羽でした。

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