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アメリカとNATOがトルコの“重要な”役割を賞賛した

2019年12月03日 | 国際
12月3日 アメリカのトランプ大統領とNATOのイエンス・ストルテンベルグ事務総長が、12月3日、シリアのテロリストISILとの戦いにおけるトルコの“重要な役割”を強調しました。

 Hurriyet

2日間のNATOサミットの前にロンドンで行われた共同記者会見で、2人は、NATOはトルコと“非常に良い関係”にあると語りました。トランプはまた、自分はエルドアン大統領と個人的に良い関係にあると言いました。

トランプ大統領は、ISILのリーダー、アブー・バクル・アルバグダディを死に至らしめた10月26日の作戦でのトルコの役割を賞賛し、「3週間前、アルバグダディを追い詰めるにあたって、トルコは大きな力になったと、私は言いたい。わが国は、トルコとトルコ軍が完全に管理している地域から撤退した。トルコまったく力になる」と語りました。

ストルテンベルグ事務総長は「われわれのISILとの戦いにおいて、トルコはきわめて重要だ」と言いました。「ISILを敗退せしめたトルコはトルコベースのインフラを使ってテロリスト・グループを支配下に置き、領土を解放した」とストルテンベルグ事務総長は力説しました。「ISILとの戦いで、トルコは主要な役割を果たした」


自由の詩人ナムク・ケマル

 トルコの著名な詩人で知識人であるナムク・ケマルの死後13年になります。ナムク・ケマルはまた、トルコ・ナショナリズムの作家で、ジャーナリストで、劇作家で、政治家でもありました。彼は祖国と自由の詩人として知られ、当時の最も重要な知識人の1人でした。

 Hurriyet

ナムク・ケマルは1840年12月21日、トルコ北西部テキルダーで、ムスタファ・アスムとファトゥマ・ゼフラの子として生まれました。子供時代はテキルダーの知事だった祖父コニチェリ・アブドゥラティフ・パシャとともに暮らしました。

その後、家族とともにイスタンブルに移り、学校に通い、アラビア語、ペルシャ語、フランス語も学びました。ナムク・ケマルは1860年代、自分の思想を形成しはじめました。祖父が新しい職に就くと、彼は祖父とともにオスマン帝国中を旅しました。旅行中も彼は学業をつづけ、また狩猟、射撃、槍投げの訓練もしました。

トルコ北東部カルスで出会った師、ヴァイスサデ・セイイド・エフェンディが、彼に詩を書くようすすめました。祖父がソフィア県の知事になった1855年、彼もブルガリアに定住し、セルビアの裁判官の娘ネシメ・ハヌムと結婚しました。

その後、彼はイスタンブルの翻訳局で働きはじめ、知識人らと交流するようになりました。彼は、トルコ文学の西洋化をリードしていたイブラヒム・シナシと出会い、西洋文学を学びはじめました。彼はトルコの伝統的な詩のスタイルではなく、西洋の詩のスタイルを取り入れました。文明と進歩の考え方が、彼にとって最も重要な問題でした。

1865年、彼は新聞“Tasvir-i Efkar”紙に論説を書きはじめ、1872年、“Ibret”紙に寄稿しはじめました。1873年、彼は演劇への関心を示し、4月、最も有名な作品のひとつ“Vatan Yahut Silstre”が上演されました。

この演劇のため、彼は多くの仲間とともに逮捕され、追放されました。追放後、彼はイスタンブルに戻り、国策会議のメンバーになり、オスマン憲法をつくる委員会に参加しました。1879年から、彼は、レスボス、ロードス、キオスの知事を歴任しました。1888年、彼は肺炎のため、キオスで没しました。

彼の有名な小説には、“Intibah Yahut Serguzest-i Ali Bey” “Cezmi”などがあります。演劇では“Vatan Yahut Silistre” “Akif Bey” “Gulnihal” “Kara Bela” “Zavalli Cocuk” “Celaleddin Harzemsah”が、また、詩では“Vaveyla” “Murabba” “Vatan Mersiyesi”が挙げられます。


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