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イラン人ツーリストがヴァンに群がり、ホテルは満杯

2022年06月06日 | 観光
6月7日 イランの3日間の休日が始まって、イラン人たちが東部ヴァン県に集まってきたため、ヴァンのホテル占有率は100%に達しました。

 Hurriyet

「連休の初日には、約5000人のイラン人が入国しました」と、「ヴァン・ホテル・観光業者協会」のユヌス・ユクセル議長が、6月5日、デミルオレン・ニュースに語りました。通常、ヴァンに出入国する人は1日800人くらいですが、連休の初日には、早朝から、ヴァン県サライ地区のカプキョイ税関ゲートをイラン人たちが通過しました。

「ヴァン市はイラン人の来訪を喜ばしく見ています」とユクセル議長は付言しました。ツアー会社のオーナーたちによると、この活気の理由は、2年間のコロナ・パンデミックが終息したためだそうです。

「イラン人たちは国境から最も近いヴァンを好みます。パンデミック後、私たちはイラン人たちからの大きな需要を実感しています」と、旅行社のオーナー、メルジ・サアデトさんは言いました。

ヴァンを訪れるイラン人の数は、2016年には220,000人でした。翌2017年には、その数は2倍の440,000人になりましたが、2018年には230,000人に減少しました。

2020年3月24日には、パンデミックによって、カプキョイの税関ゲートが車と歩行者に対して閉鎖されたため、ヴァンに来るイラン人は73,000人になり、翌年10月9日、ゲートが完全に再開された後も、ヴァンを訪れるイラン人は16,000人に過ぎませんでした。

デミルオレン・ニュースによると、いま、ヴァンの商店主の多くは、イラン人ツーリストに対応するため、現代ペルシア語を話せる人を雇っているそうです。


アウトレットモールを訪れる客が、コロナ前のレベルを超えた

アウトレットモールを訪れる買物客の数がコロナ・パンデミック以前のレベルを超えました。コロナ状況がよくなって、利益が出ている業界のひとつは小売業だと、業者たちは言っています。

 Hurriyet

パンデミックが始まった頃は、ウイルスの拡散を抑制するために、ショッピングセンターとアウトレットモールは閉鎖されましたが、規制が解除されると、たちまちショッピングセンター、とりわけアウトレットモールに買い物客が戻ってきました。

経済環境によって、予算を意識するようになった消費者たちは、イギリスやアメリカの買物客のように、アウトレットモールに向かい始めました。「ショッピングセンター委員会」のヒュセイン・アルカシュ議長は、外国のアウトレットとトルコのそれとは若干違いがあると言いました。

「外国のアウトレットは、通常、町や都市の外にありますが、トルコのアウトレットは市内にあります。共通の特徴は、国内外のブランド品を、手ごろな値段で提供していることです」とアルタシュさんは説明しました。

「トルコ・ショッピングセンター&小売業者連合」のアルプ・オンデル・オズパムクチュ委員長は、「買物客たちは次第にアウトレットを訪れるようになってきました。この時期が過ぎても、買物客たちのアウトレットへの関心は消えないでしょう」と語りました。

パンデミック状態が良くなってから、来客数は大きく増えました」とイスタンブルの「212アウトレット」のマーケティング・ディレクター、ブラク・サユンさんは言いました。「いま、パンデミック前より多くのお客様が来ています。人々は手ごろな値段と、多くの商品を選べる点で、アウトレットに目を向け始めたのでしょう。うちのアウトレットモールは140ブランドがあり、占有率96%です」

「人々は値段をより注意するようになり、セールの商品を捜すようになりました。セールの商品を買うためだけに、市外から見えるお客様もいらっしゃいます」と、イスタンブルのあるアウトレットモールの経営者は言いました。


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何百万リラもかけて、アララット山麓に小さな林をつくった男

2022年06月06日 | 国内
6月6日 何百万リラも費やして、子供時代の夢を実現し、東部アール県の村に林をつくった男がいます。

   
 Hurriyet

ビジネスマンだったカディル・アルディンさん(53)は、2015年にリタイアした後、アール山(アララット山)の麓に位置するオルテュリュ村に移住しました。アルディンさんはそこで30,000平米の土地を買い、仕事を始めました。

彼は地下水を掘り出し、草原の中央に灌漑システムを設置し、5000本の苗木を植えました。彼のくじけない努力は、やがて報われました。彼はいま、子供のとき夢見たような林を手に入れました。彼の林には、果樹を含む、さまざまな樹木が繁っています。

彼は人工の小さな滝を造り、バンガローハウスも建てました。「私は子供時代の夢のために500万リラ使いました。子供の学校が夏休みになると、家族といっしょにオリュテュ村を訪れています。いつかここに移住することも考えています」とアルディンさんは言いました。

アルディンさんは3000本の果樹を含め、5000本の苗木を植えました。「私がこの作業を始めたときは、だれも私を信じませんでした。草原の真ん中の土地では樹木は育たないと、みな思ったのです。でも、私はあきらめず、7年間がんばりました。いま、この土地は、マスの池や、小さな滝や、バンガローハウスのある林になっています」

現在、アルディンさんは、観光事業のチャンスを探りながら、レストランを建設中です。「アララット山が大きな可能性を与えてくれます。アールには世界中の人々がやってきます。私たちはツーリストたちを林の中で迎えます」と彼は言いました。


・・・アララット山はノアの箱舟が流れ着いた山と言われています。

世界最初の天文学の学校「ジャジャベイ・マドラサ」が修復される

中央アナトリアのクルシェヒル県にある「ジャジャベイ天文学マドラサ」は、ユネスコの世界遺産の暫定リストに入っていますが、現在、修復作業が進行中です。

   
 Hurriyet

ジャジャベイ・マドラサはセルジュク時代の1271年から1272年の間に、クルシェヒルの首長ヌレッディン・ジブリル・ビン・ジャジャ・ベイによって、宇宙を観察する世界初の天文学の学校として建てられました。1907年には、学校はモスクに変えられました。歴史的建物の修復作業は、湿気から建物を守るために、2019年に始まりました。

修復作業の最初の段階はすでに終了し、現在、第2段階が進行中です。建築家やエンジニア、美術史家を含む専門家チームが修復を担当しています。修復コストは1800万リラと推定されます。

専門家たちはロケットに似た観察ピットと柱に特別の注意を払っています。建物のドームに石のブロックを据えるために、セメントを含まない特別の工業用混合物が使われています。

「以前の修復作業で、ドームとヴォールトがセメントで覆われてしまったのが問題です。それ以来、建物に水がしみ込んでしまったので、私たちは塩類化の原因になっている水漏れを防ぐために、もう1度、セメントで蔽っています」と、修復チームの建築家ウトゥク・ユジェルさんは言いました。

「セメントの層をはがしたら、建物の深いひびが現れました。なので、私たちはまず補強をしなければなりません」とユジェルさんは付言しました。

約60人の人々が、24時間体制で働いていると、彼は言いました。「私たちはここで、まさに歴史を掘り出しているのです。だから、非常に注意が必要です。なにか見つかったときは、私たちは大喜びします」


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