もう、今週末はお盆であります。もうとっくの昔に両親をなくした私は、やはりお盆と言いますと、お墓参り、なのですね。GO to Iwate 岩手に帰ろう。親に感謝の気持を伝えよう。生きてる時にまるで伝えられなかった感謝の気持ち。おーっ、そうよ、有名なことわざ「親孝行、したいときには親はなし。」全くですよ、この言葉。今、自分、この年になり色々なことが見えてきてわかってきて、、。今でしたら心から「ありがとう」が言えます。子供の頃は「なんて口うるさくてうるさい母なんだろう!あーやだやだ、口を開けば勉強しろしか言わないぜい」と何とも罰当たりなことを思っておりました。今思えば、ああ、あの時母の説教をきちんと聞いてもう少し真面目にやっていれば、もすこしまともな大人になれていたかもしれません。これこそが、、後悔先に立たず、なのです。今頃後悔しても、やりなおしはきかないのです。それが人生。仕方がない、実際昔は、勉強が、とにかく嫌いだったのですからね。毎日がパラダイス、ひたすら遊んで遊んで遊びまくり、、。そして学期末には超低空の通信簿を渋々母に見せ、またまた雷⛈を落とされる。忘れられない母の言葉「あんた、、大したものねえ。毎日毎日母さんがこんなにあんたにガミガミ言ってんのに、それでも勉強しないんだもん。すごいわ、、私なら、毎日こんなに説教されるくらいなら、しぶしぶでも勉強するわね。」そこまで言われても、勉強しませんでした。したくなかった。嫌いだった。私と違って当時は優秀だった兄は、わたしがいつも母から怒られてるのを遠くから見ていて、あとからそっと励ましてくれるのでした。「まあな、お母さんも、お前の事が心配で叱ってんだから、あんまりお母さんの事悪く言うなよ。」「宿題終わったら、トランプしてあげるから待ってろな」私は、宿題なんかしないからいつも暇こいてテレビばかり見ていた。それに飽きるとマンガを読み出す。それにも飽きると、寝る、、。なんちゅーことや。ほいで、また母から叱られる。確かに私は、無類の怠け者だったのだ。しかし、、怠け者のくせに、私は自信家だったので始末が悪い。何に自信持っていたのか。、、ここからが益々悪い話になる(-_-;)。「私みたいに、正真正銘の勉強ぎらいの人間が、、成績、確かに悪いには悪いが、全くしてない割には、どん底ではないじゃないか!」という全くもって意味不明の自信である。ただし、この「内心自信あります的気持ち」は、母には決して打ち明けませんでした。言ったらどうなるかわかっていたからです。鬼嵐のように叱られることになるわけですから。お母さん、ホントにすまなかったね。ほんとにね、今はね、わかるんですわ、お母さんがなぜあんなに鬼のように私を叱ったのか。心底私を心配してくれてたのですよね。すみません。当時は、お母さんのそんな想い、まるでわかりませんでしたし、わかろうともしませんでした。稀に見る大ばかでした。
お母さんは、そんな大馬鹿の私を見捨てることもなく、諦めることもなく、いつかはわかってくれるだろう、という思いで厳しくも温かく?接してくれましたね。
最近はですね、毎日のように「お母さん、ありがとうね、本当に感謝してます」と心の中で(いや、時々言葉にも出して)言ってます。
とりあえず、、お盆くるよ。お墓参りに行くからね。待っててちょうだいよ。
おーい。