今年は何だかやはり例年とは違う感覚の年ですな。うまく言えませんが、、なぜか、ホラーを読みたくて仕方ありません。。昨日本屋さんで、あの本買いたいな、と思っていた訪ねた本屋さんで、その目的の本は買わずに、表紙からしてすでに怖い、この2冊を買いました。困りますなあ、、何がって、わたし、このような本を読むと夜眠れなくなるんです(-_-;)。昨夜、鈴木光司さんの話を一つ読んだのですが、案の定、寝付かれませんでした。、、2冊もあるため、しばらく眠れない夜が続く事でしょう。ちなみに、鈴木光司さんのはなしは、かなり、、でした。それにしても、、錚々たる顔ぶれではありませんか。これが推理小説ではなくホラーっつーんだから、、ねえ。ゾクゾクしますね。
この方の絵や漫画、もしくは作者の名前を目にしただけで、必ず引き寄せられたかのように買ってしまうと言う本があるわけで、、。皆さんにもありますか?、、このかた、、そんな中のひとり、、楳図かずおさん。、、今を去ること五十年、、いや、それ以上前か。近所には本屋さんはなく、そのかわり、一軒の、絵に描いたような貸本屋があった。小さなおばあちゃんがその店の多分店主だったのだろう。客が見せに足を踏み入れると、呼び鈴があるわけでもないのに、すーっと店に出てきて椅子に座った。当時まだ小学校の低学年だった私は随分とその店を利用させていただいた。貸本屋だから長時間の立ち読みは禁止🚫。短時間でこれだ!と借りる本を決め小銭をポケットから取り出す。一冊十円から二十円くらいだったような。詳しいことは忘れた。狭い店内にマンガ本が所狭しと並んでいる。、、その中で特に気に入っていたのが、他でもない、楳図かずおさんの恐怖漫画だったのである。同じ本を期間をあけ何度借りて帰ったことか。、、怖いんです。怖いんだけど読まずにはいられなかった。夜布団に入ってから、もそもそと手元の電気スタンドをつけ、読み始めるんです。隣の部屋に両親が寝ているんだから怖くないぞと自分に言い聞かせ、決死の覚悟で読むのです。、、涙が出るくらい怖い話もマジでありました。特に怖かったのは、現代版雪女みたいな話が、、もう、、怖くて脳みそが痺れました。あまりに怖くて「おかあちゃーん!おしっこ!」(当時2階に寝ていた私は夜、一階にあるトイレに一人で行くことが、怖くてできなかった)。と叫ぶ事も多々ありました。
そんな思い出深い楳図かずおさんの本ですが、先日久々に本屋さんに立ち読みしに行ったところ、事もあろうに、目的の文庫本の横にキラキラと輝いて置かれている手はありませんか!ひょえー、、なぜここに恐怖本が?!どうやら、7巻目がちょうど発売されたばかりの模様です。迷わず買いました。、、おかげで買う予定の本を、一冊諦めました。(楳図かずおさんの隣にあった本は買いましたよ✌。)
表紙の絵が何やら芸術的ですね。驚いたことに、あれほどたくさんの楳図かずおさんの作品は読んできたのに、、知らない話が殆どで、改めて楳図かずおさんの凄さを感じた次第です。うーん、、怖かった。でも、面白かった。
ちょっと寄り道、、徳島を舞台とした小説、にお登勢、があり、解説書いてたら読みたくなり、、図書館で検索したら、当然といえば当然、、ありましたー📗。ただし、あまり今は読まれていないのか、地下の書架にあるとの事で、5分くらい待ちました。こんな感じで、貸し出し係のお姉さまが、古くて、、すみません😓と何故か詫びるハプニング発生。いやいや、お姉さんあなたが悪いわけじゃないし、そもそも古い本てのも味があって、わしゃ好きですよ。この本なんですが、、値段見ると、ほらね、わかりますでしょ、やっぱり相当昔の本なのよ☝
そしてね、、この表紙ね、、なんと、あの!佐藤忠良さんが書いてるのよ、彫刻家のあのら有名な佐藤忠良さんよ!たまげた。ちなみに、昭和51年に、、図書館にはいって来たのね、。まあ!よくまあ破れずに、、!
そしてね、、この表紙ね、、なんと、あの!佐藤忠良さんが書いてるのよ、彫刻家のあのら有名な佐藤忠良さんよ!たまげた。ちなみに、昭和51年に、、図書館にはいって来たのね、。まあ!よくまあ破れずに、、!
短編だけど読むのにすごく時間がかかる小説ってのがたまにある。だいたいそんな時は、その話が心に深く残ったりする。
もともと怪奇小説が大好きな私なので、タイトルに惹かれ、そんなにたくさん同時にに読まれるわけないのに、そこにあった3冊全て借りてきてしまった。東雅夫さんが選んだり書いたりされた本は大抵読んでる。そしてそれらは間違いなく面白いのだ。
で、今回借りてきた3冊の本のタイトルがこれ。怪奇小説となってるが、怪奇と感じない話がいくつかある。3にではないが、吉本ばななさんの小説も載ってて、その小説も何となく心に残った。怪奇小説とは感じなかった。
今読んでる③。数日前に読み始めた「蛼橋」が、なんだろうな、、読み終えたあと、亡くなった友達や両親やわんにゃんうさ鳥、他、今となってはただ懐かしい、いろんな人(🐶🐱🐦🐰)達みな、心に甦ってきた。驚くことに、この話が書かれたのは、あの、決して忘れられない東日本大震災の前の年だと言うのだ。、、遅かれ早かれ人(他全て)は、生まれたからにはいつか必ずこの世に別れを告げ、別の世界に旅だつわけだけれど、生きてる時は、当たり前のように生きて、それが当然の事と思い、疑わず、特に意識せず毎日を過ごしてる。それでも確かに、あの震災の時、岩手出身の自分は、大きな荒れ狂う波や、全てを根こそぎ海に持ってゆかれ何も無くなった町の光景などを見て、価値観そのものががらっと変わったはずだった。一番大切なものは何か。明日どうなるかなんて本当にわからない。こんな生き方でいいのか。(←この問いだけは「いいわけないだろ」と即座に心が答えたのは覚えてる)。
それでも、、あれほどまでの事があっても、やはり、時の流れとともに、徐々に忘れていった。戒めの気持ちも、変えねば、、と思った漫然とした日々の過ごし方も、、結局何も変わらないままだった。有名な作家が言ってた。「尻に火が着けば、まあ、そこで初めて気がつくんでしょうけど、ひどい人になると、火がついてることさえ気づいてなかったりする。」私はその、ひどい人、の部類だ。間違いなく。、、、
話を「蛼橋」に戻そう。読み始めから最後まで、、鈍感な私は、この話がどんな展開になり、どんな結末になるのか、さっぱり予測できず、いちいち、え、なんで?なに?と考えながら読み進めて行った。与平という子の結末を知った時に初めて、もしや、、とやっと話の最後が予測できたのだが、結局話の最後は自分が思っていたのとはちょっと違ってて、それで、どうなったかと言うと、ちょっと苦しさを感じるほどの切なさ、哀しさで気持ちが埋まり、でも、それだけじゃなくてしまいには温かさまで感じられた。小説を読んだあとの受け止め方は、それこそ千差万別、、。ある人は泣くくらい感動した話でも、ある人には特に響かず、というのもままある事だろう。そしてそれが小説というものだろう。
響いた。とりあえず、ワタシには響いたのだ。
、、ついに読み終わりました。文庫本ですが、上下巻あり、読むには時間かかりました。
何度も書いてますが、久々に、引き込まれるような本に会いました。これは、前々回、例の図書館に行った際、たまたまある箇所が、地元ゆかりの本を集めたコーナーとなっており、そこに上下巻両方置かれていました。となりにも、有名な作家の推理小説が飾られていました。そちらは、電車ミステリー。そちらにも興味を惹かれ。「湯殿山、、村」を読み終えたら次はそれを読もうと思っていたのですが、先週、読み終えた「湯殿山、、」の上巻を、返しに行ったところ、すでに、特設コーナーは、別の催しに変わっていて、本の入れ替えがされていて、読みたかった推理小説は見当たらなかったのです。、、それはさておき、今回夢中で読んだ「湯殿山麓呪い村」、は、ミステリーとオカルト、歴史、様々な要素を持ち、それだけだと読んでるうちに金縛り状態になるような怖い部分を敢えて入れてくれたのか。。なぜ、事件解決に大きく貢献する大学助手兼、私立探偵、の主人公が、大食いキャラなのか?なぜ、そのような設定が必要だったのか。さっぱしわからないが、でも、即身仏やミイラ、殺人、と、決して明るくないない内容のこの小説の中で、唯一ホッとできるのが、主人公滝連太郎(この名前がまず、おやおやという感じだよ)が、ハンバーガーや天丼、駅弁などをバカ食いしてる場面なのだ。
内容はよくまとまっていると思った。
よくこんな人間関係を思いついたなと、感心した。そして、出羽三山のことなども結構詳しく書かれている。発売されてからかれこれ四十年以上も経つ本だが、その間全く知らずに来たなんて、、映画化さえされているというのに、、。
というわけで、最後の結末は、かなり予想外で驚いたし、「えー、こうなっちゃうのかい?!」だったが、それもまた、よし。何はともあれ、読み終えた。ε-(´∀`*)ホッ