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源平合戦の終結が近づいてる、、。富士川の戦い 鎌倉時代の一歩手前

2024-01-10 23:40:59 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
年末年始は食べて飲んで寝て、をひたすら繰り返していたので、歴史の勉強もすっかり途切れ、いろいろなこと忘れてしまいました(-_-;)。頼朝が鎌倉幕府を開く手前でずーっと足踏みしてます。一体いつになれば鎌倉時代にたどりつくのでしょうか。、、松の内も終わり、また細々と書いていきたいと思います。
昨年、源頼朝が何をしたところまで書いたかはうっすらと覚えているのですが、他はさっぱり😂。
では、、始めたいと思います。以仁王の令旨により、平氏を何とかしてくれ、という声が広がり、もとより平氏に対して面白くない感情を抱いていた人たちは立ち上がり始めました。その中の一人、、が、源頼朝。戦に敗れて流され、その後長きにわたり表に出ることはなかったのですが、以仁王の声により見事復活。、、が、しかし、平側と戦おうにも兵力は不足してたし、作戦もなかなかうまくいかず不意打ち攻撃なども受けたりして、先に書いた石橋山の戦い、でも壮絶な戦いを強いられ負けてしまいます。命からがら船で現千葉の、安房方面に行きます。普通に考えたら石橋山の戦いで頼朝はやられてしまいそうなものです。事実、危なかった。しかし、頼朝というのは相当な強運の持ち主なのか生き延びるんですね。洞窟みたいなところに潜んだり、山に隠れたり、、大変なことの連続でした。それは、一人では決して成し遂げられる事ではなく、何故かしらいつも助けてくれる人がいたからです。例えば、です、
石橋山の戦いで、大庭景親側の兵士だった梶原景時は山中でもはやこれまでか、、やられるくらいなら自害したる!と刀を抜きかけた頼朝を逃してくれたのが、後に頼朝に重用される梶原景時、、。不慣れな山道で迷いそうになった時、その辺の道に詳しい土井実平が助けてくれました。、、頼朝って、そーゆー人。人望があったのか「この人を助けてあげたい」と思わせるような何かを持っていたのか、、。いずれにせよ、こうして頼朝は何度も訪れる危機を何とかすり抜け、そして生き抜きます。
頼りにしていた千葉の豪族たちは、頼朝の期待に応えてくれました。「みなさん、平氏打倒に手を貸して。」にちゃんと応えてくれたのです。頼りにした人その1→先に書いた、上総広常、兵20000。 頼りにした人その2→千葉常胤、兵300。加えて駿河の戦いで平氏を破っていた甲斐源氏の兵約四万( ゚д゚)も加わり頼朝軍の兵士の数たるや、も〜大変。雪だるま先に増えていき、それでは平氏も大変だ、というわけです。実のところ、この時すでに兵士の力は弱くなっていたのでしょう。兵を集めたには集めたが、何といいますか頼朝ほど用意周到だったわけではなく、言ってみれば、ああ😮‍💨、寄せ集めみたいな風でもありました。ですから棟梁に対しての忠誠心というのも、ぶっちゃけ「はあ、まあ、それほどでも〜(^.^;」てな感じのかたもいらしたかも、、。事実、戦いの最中に源氏側に寝返る武士も結構いたらしいです。まあ、気持ちはわからなくもないが。
そんなわけで、長かった源平合戦(治承・寿永の乱)もいよいよ終盤への差し掛かります。余力があまり残っていなかったであろう平氏軍も、プライドがあるため戦わないわけにはいきません。が、、、こんな感じになりこんな結果に、、。
平軍、戦う前に撤退、となったのです。そして、この頃、非常に大きな出来事がありました。平清盛の病死、です。こりゃ大打撃だよ。
つづく




逃げた場所が大当たり🎯 鎌倉時代の少し前

2023-12-27 00:51:22 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
勝つ時もありゃ負ける日ももちろんありますがな。、、ということで、平氏と戦いながら、いつか来る幕府開きのその日まで苦労の連続の頼朝でありました。結局、兵力と戦力の不足で石橋山の戦いに敗れ、頼朝はまたまた逃げることになりました。どこへ?千葉へ!って、近いじゃん。と思われる方もありましょうが、何しろ頼朝の場合身を隠し、小さな?船で行かねばならないのですから、これはもう、大変です。多分敵方に見つかれば間違いなく討たれてしまうでしょう。子供の時みたいに「こんな小さな子を、、💧」と助けてくれる人も多分もういません。ですから必死で逃げたに違いありません。そして、何とか無事にたどり着きました。安房国へ。この、安房へ行ったのが良かった。非常に良かった💡。ここには、頼朝の力からになってくれる力のある豪族たちがいたのです。人は多分一人では何にも成し遂げられません。信頼できる人間の助けや支えがあってこそ、大望を叶えられるのですね、多分。ということで、その助けてくれる、支えてくれる人間が千葉にいたということです。しかも沢山。さあ、組織作りさ基礎固めさ。となった時に、特に頼りにしたのが上総広常となります。このかた、、知りませんでしたが、大河の、鎌倉殿の、、では佐藤浩市さんが演じたようです。石橋山の戦いで敗れた時の頼朝の軍がわずか三百人程度だったのに、この上総さんは、なんと、二万人✌近い兵を持っていたというのですからたまげます。広常はほんとによく戦い、頼朝を助けたのですが最後の方には頼朝から忠誠心を疑われ悲しい最後を遂げます。頼朝って、、悪い人じゃないんだけど、なにかこう、結構疑り深い人な感じがします。それは何故かと言いますと、上総にだけでなく、いとこ、兄弟とかでさえも疑っちゃったりしてますからね😤。結論として上総さんは、特に頼朝を何とかしてやろうなんて思ってなかったみたいです。報われませんなあ 、、😞。

話を戻します。安房に行き、せっせと組織づくりに励んだ頼朝は、有力な豪族たちに「打倒平で頑張っとります、皆さんお力貸してください」とお触れを出し、いっぱい兵を集めましたとさ。

川→山→寺→峠 終わりから始まり、に向かって、、。 鎌倉時代の少し前

2023-12-14 23:30:58 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
もう、、傾き始めていたであろう平氏の政権、でもまだまだ力は残っていた。、、以仁王(と源頼政)により「平氏を倒せ〜」という令旨がだされ、全国に広まり、平氏に対し不満をいだいていた武士たちはじわじわと行動を起こし始める。長きに渡り伊豆の蛭ヶ小島に流されていた、後に鎌倉政権を開くことになる源頼朝もその一人でした。何たって、平治の乱で平氏から父を討たれ、自分も小島に流されたのだ。憎き平氏を今度こそ討ちましょう、と気合十分。行くで行くで〜。で始まったのが石橋山の戦い。が、、初めこそ調子良かった源氏側は、ここでも、平氏にやられちまいます。平氏の兵の数がとてつもなく多く、太刀打ちできず、、みたいな感じか。まずい、、😥。が、ピンチ続きでも強運なのか、人望がそうさせるのか、必ず助っ人がいて頼朝を守ってくれるんですよね〜。強運の神か何かが付いてるのかしら💖。戦いの際、落ち合う予定だった三浦の軍が雨のため到着できず、これはマズいとなった時も、勝ち目なく山の中に隠れた時も、必ず頼朝には敵の中に「助けてくれる人」がいたのです。こんな事、普通はないですよね。そして、頼朝は、このような時に頂いた「恩」を忘れない人でもあったようです。山中で隠れてた時に敵側の武士、梶原景時に見つかったのですが、見逃してくれたんですな。この梶原を、頼朝は後にしっかり重用してます。というわけで危機の連続だった頼朝は、それらを様々な人達の助けも受け、お船に乗り何とか安房国に行き着きます。
ここから、頼朝の本格的な巻き返しが始まるのです。ドラマチックとさえ思える巻き返しが。

甦る、頼朝、、。 鎌倉時代の、ほんと一歩前。

2023-12-03 11:52:18 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
以仁王に平氏打倒の命令を出すよう直言した、摂関源氏の系譜の生まれである源頼政ですが、令旨を発令した以仁王と共に戦い、宇治で敗れ、こちらも亡くなってしまいます。が、以仁王が戦死だったのに対し、頼政は負けを悟り自刃します。歌人でもあった彼は、辞世の句も詠んでおります、、。この時代を生きた武将たちは、色々な意味で強いですよね。自刃自体非常に苦しく辛いことで、とてもじゃないが平静な気持ちなど保っていられないと、私などは想像しただけで気絶しそうになるのですが、頼政は(例え表向きだけだったとしても)冷静に辞世の句を詠んでいるわけです。んー、、💧
では、、その辞世の句を、、。埋木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける。

志半ばでこの世に別れを告げねばならない切なさ辛さが詠われているのですね。この戦では、頼政の子供たちも次々と戦死し、頼政の心中の哀しみはどれほど大きかった事でしょう。戦、また戦、、で気の休まる暇などなかったのではないかしら、、。さて、感傷に耽る間もなく、時代はまた一歩、鎌倉時代へと進んでいきます。二人がなくなったあと、「以仁王の令旨」は全国に更に広がり、反平氏の武士たちが次々と立ち上がります。、、その中に「平治の乱」で、わずか13歳で父と共に戦い、父を亡くし自分は伊豆に流された、、あの(!)源頼朝がいたのですー。うわあー😱あの時清盛の乳母の憐れみを受け死罪だけは逃れた、あの、源頼朝が、再度、平氏に立ち向かうのです。運命というしかないか、これは。「事実は小説より奇なり」を地でゆくような話ですな。
でも、さすがにこの段階ではまだ彼自身、いずれ武家政権を発足し、一時代を築き上げる将軍にまで昇りつめるとまでは予想してなかった、んじゃないかな。か、、鎌倉時代が急速に近づいてきた〜。








以仁王が立ち上がる 鎌倉時代の少し前

2023-12-01 23:55:11 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
後白河法皇が、2度目の幽閉をされてしまって、天皇には清盛の孫が安徳天皇として即位しております。もう誰も清盛を止められません。、、しかし、当然のことながらこの状況に歯ぎしりをしてる人は多く「いつか清盛を🤬!」と思っていたのです。その事を知ってか知らずか、清盛の横暴ぶりには拍車がかかる一方でした。多分知ってはいても、その時の清盛にはそれを止めてくれる人が周りにいなかったのでしょう。やはりこの頃の清盛は少し異常と言えるほど「平が、平らが...!」とすべてを平に染めようと必死になり過ぎだった感があります。実際法皇の下で仕えていた太政大臣、検非違使、関白などをみな罷免し、平一門で固めたのです。こんなことが通るわけがありません。幽閉された後白河法皇をしきりに気の毒がる人もいました。当然反感も強まります。
そして、ここで、一人の皇族が立ち上がります。彼こそが「以仁王(もちひとおう)」です。


彼は、れっきとした後白河法皇の子供であり、学もあり人望もあるかたでした。次期天皇の可能性もあった人でしたが、清盛の妻の妹、である平滋子に阻まれ(ことごとく平に阻まれる(-_-;))結局天皇の座は平の子、孫、である高倉天皇及び安徳天皇に奪われます。( ・ั﹏・ั)これでは以仁王も報われません。この状況に「平を討ちましょうや💪」と以仁王に進言したのは平の宿敵である源氏、頼政でした。このまま平に好き放題させておくわけにはいかない、と皆も感じていました。「よし!平氏を、討伐せよ😡」以仁王が令旨を発します。この命令はまたたく間に全国の武士たちに知れわたりました。「やるぞ!過去にやられた仕返しだ!」と人一倍燃えたのが源氏です。源氏にとっては再起をかけた戦いが始まろうとしていたのです。、、がー、、。令旨を発した以仁王は、挙兵の計画が平に漏れ、彼は臣籍降下となり、終いには皇族ですらなくなってしまいます。(あんまりじゃないかい😭。)そして結局奈良の寺社に逃れる途中の、宇治で平と交戦となり、戦死してしまいます。亡くなってはしまいますが、この、以仁王の令旨をきっかけに源氏🆚平が再び激しい戦いを始め、歴史が大きな転換点を迎えるのですから、以仁王の行ったことは大きな意義がありますね。以仁王という名前も、何だかかっこいいですね。