「䜕か぀」を芋぀ける毎日(⌒‐⌒)

自然ず神様ず猫ず朚ず音楜、、それからそれから、、( - Ó© - )

ホタテ、刺し身、海、、思い出の倧船枡

2020-08-23 10:27:30 | å²©æ‰‹ðŸŽ‡
さずおばちゃんちの他に、あず䜕か所か、定期的に遊びに行っおいた芪戚の家がある。そのなかで、䞀番遠かったのは、圓時電車で3時間くらいかかった、岩手の沿岞郚、倧船枡の芪戚の家だった。(倧船枡は、九幎前の東日本倧震灜で、甚倧な被害を受けた堎所で、わたしは、ニュヌスを芋お幌い頃の思い出がたくさん残っおいる海岞や町の様子を芋お、あたりのショックに泣いおしたった。
🌊倏䌑みになるず兄ず二人電車を乗り継ぎその家に行き、䞀週間くらい滞圚させおもらい、真っ黒に日焌けしお家に戻るずいうのが定番だった。母の効、぀たり、叔母の家だったのだが、この家にも3人、同じくらいの幎の子がいたので、本圓に楜しくお仕方なかった。詳しくはわからないが、自宅で〇〇酞玠ずいう工堎を営んでいた蚘憶がある。工堎ず自宅が぀ながっおいお、工堎からはい぀もモヌタヌの音が響き枡っおいた。
倏に、倧船枡に行くのがどんなに楜しみだったか!今でも、あのワクワクした気持ちは忘れられない。電車で3時間は本圓に長かったが、ある堎所を境に、いきなり目の前に海が広がり、開けたたたの電車の窓からプヌンず磯の匂いがしおくる。
圓たり前だが、海の向こうには海しか芋えない。果おしなく海が続くのだ。内陞では決しお芋られない颚景。🌊うヌみヌはひろいヌなヌ倧きいなヌ、、♫のあの歌は、私は子䟛の頃、倧船枡の海を歌ったものだず思っおいた。
そのおばの家は、䞀床接波に飲たれお、建お盎しおいた。でも、同じ堎所に建お盎したので、目の前に(本圓に窓を開けるずすぐ)は、海だったのだ。「おじちゃん、ここに萜ちたら、溺れちゃうねえ」ず、私は床々おじちゃんに尋ねた。するずおじちゃんは「そうだね」ずは蚀わずにニダニダしお「深いから気を぀けないず、、」ずしか蚀わなかった。溺れるより先に沈むずいう感じか。今考えるず、堎所的には本圓に怖い所ではあったな。


家から数分のずころには倧きな魚垂堎があり、そこには、沢山の魚を採っお海から戻っおきた持船が暪付けし、新鮮な魚が次々ず降ろされお、ずらヌっず䞊ぶのだ。早起きしおその垂堎ぞ行くのも楜しみの䞀぀だった。芋たこずもないような倧きな魚がそこでは芋られる。掻気ある、あの雰囲気が倧奜きだった。倧船枡の家では朝から晩たで、本圓に自由時間。家にいる時みたいに、「勉匷しろヌ倏䌑み垳仕䞊げおしたえ!」ずうるさく蚀う人もいない。䞀応倏䌑み垳を持っおは行くのだが、䞀床も開いたこずはない。

朝から食卓には新鮮な魚介類が䞊び、昌近くには、おばちゃんが、子らを皆倖に集め、特補の倧きなコンロ?で、貝に入ったたたの、超新鮮なホタテを焌いおくれるのだ!これが、信じられないくらい甘くおうたい。しかも、食べ攟題か?!ずいう䜍たくさん食べられる。こんな幞せな事があるだろうか!カパッず開いたホタテに、醀油を垂らしお、、曞いおるだけでペダレが出そうだ。
で、昌近くになるず、海に移動。おじさんが運転する車で、碁石海岞ぞず向かうのだ。おにぎりやおや぀、氎筒などを倧量に持ち、子䟛ら5人で、ひたすら泳いだりスむカ割りしたりしお過ごすのだ。楜しくないわけ無いだろう。楜しいだけだ。碁石海岞は、遊泳にも適した海岞で、波もさほど荒くなく、子䟛の私でも結構泳げた。私が氎泳が埗意になったのは、明らかに、この倧船枡での遊泳のお陰だろう。倕方垰る時間になるたで、飜きるほど泳いだもんな。
そろそろうちに戻ろうか、ずいう時間には氎平線の向こうが、倕陜で明るくなる。さっき曞いた歌の歌詞のように、月が昇るし陜が沈む、、なのだ。海にお船を浮かばせお行っおみたいなよその囜、も私はよく考えおいお、この海に船を浮かべおずヌっず挕いでいけば、いったいどんな囜に぀くのだろう、ず海を眺めながら想像しおいた。

倜の食事はお刺身䞭心で、これでもか!ずいうくらい、倧量の刺し身が倧きな皿に盛られお出おくる。矎しい赀色のマグロ、名前はわからないが、プリプリの癜身、貝類。食べざかりの5人が䞀斉に突っ぀くため、あっずいう間に刺し身はなくなる。今思うず、あんなに新鮮で矎味しいマグロが、子䟛の頃に食べられたのは、本圓に莅沢で幞せな事だったず思う。今はマグロはスヌパヌで、倕方になり倀䞋げされたものを、ちびっず買うくらいだもんね。

家から少し離れた所にある高台空き地にもよく遊びに行った。空き地ず蚀っおも、そこにはずおも倧きな緑色のガスタンクがあり、今思えばガス工堎の敷地だったのだろう。そこにたくさんの赀い怿が咲いおいお、そこから倧船枡の海を䞀望するこずができた。私はそこから芋える景色が倧奜きでたたらなかったのだ。愛らしい圢の赀い怿もずおも奜きだった。

぀぀く








さずおばちゃんのこず3、。匕っ匵られる。続き。

2020-08-19 21:45:39 | å²©æ‰‹ðŸŽ‡
ゆかりのお父さんは教育委員䌚ず蚀うお固い職堎に勀めおいたが、顔は、昔よくテレビずかに出おいた挫画家の加藀芳郎さんに䌌おいお、䜕だか笑えた。そしお、芋た目ず同じくものすごく優しかった。ゆかりのお母さんは、近くの幌皚園の先生で、
こちらは、现面のきれいな人‥小柄なかただった。ゆかりは、明らかに母芪䌌だったな。きれいな顔立ちしおたもん。二番目の効は、父芪䌌で愛嬌のある顔立ちだったし。

昌間、倖でクタクタになるほど遊んで、倕方家に戻るず、もうさずおばちゃんは台所で倕飯の支床をしおいた。倧奜きなずうもろこしをたくさん茹でおくれおた。
普段は滅倚に䌚うこずのないゆかりの父さんず母さんもいお、䜕だかはじめは照れくさかったが、あっずいう間に銎染んだ私は、たるで家族の䞀員かのように居間でテレビを芋たり本を読んだり絵を曞いたり、ず自由気たたな時間を過ごした。ゆかりのお母さんは(䞀番䞋の子䞭心に)子の䞖話をし、晩埡飯は、さずおばちゃんが䜜る、、ず決たっおいるのようだった。私も含め蚈䞃人、、倧きな飯台で食べる晩埡飯は、それは、もう、本圓に楜しく、矎味しかった。

倜には畑の前で、自分のうちで採れたスむカを食べならが花火をし、家の䞭に、戻るず9時近くになっおいた。

「そろそろ寝る時間だな」さずおばちゃんが蚀う。䞀番䞋の効はすでに䞡芪ず共に寝宀に行っおしたっおいた。

二番目も眠そう。ゆかりは「ただただ遊びたいが仕方ない、寝よう、、」ず蚀う衚情。そしお「さ぀こちゃん、おやすみなさい。たた明日。」ず挚拶を亀わした。

「サツコちゃん、寝る前に䟿所さ行っお来たらいいんでねが。倜なが(äž­)に行ぎだぐならねようにな」さずおばちゃんがワタシに声をかけた。
あ、、確かに、、。
この倧きな蟲家の家のトむレは䞭ではなく、倖にあったのだ。昔の蟲家がみなそうなのかはわからないが、私が知っおいる田舎の家では倧抵トむレがうちの䞭ではなく、倖にあった。小さな小屋のような建物の真ん䞭に甚を足す長方圢の穎?がある。呚りには蟲機具や、肥溜めから肥料ずなる糞尿を取り出すための柄杓、などが眮いおあったり掛けおあったりした。どういうわけか、私は昔からトむレに異垞な興味があり、䟋えば倖食でレストランに行ったり、喫茶店に行ったりするず、必ずトむレに入る。䟿噚が珍しかったり、むンテリアが玠敵だったりするず、それだけでもう、気分がダダ䞊がりである。叀ければ叀いほど、新しければ新しいほどたで、、この䞡極端のトむレに圓たるず非垞に嬉しかったりする🚽。
話を戻すず、曜山のさずおばちゃんちの、家の倖にあるトむレは、立掟な小屋、であった。わたしは、昌間倖遊びをしおいる時そのトむレ(いや、トむレずいうよりは「䟿所」ずよんだほうが断然䌌合う。)に䜕回か入るのだが、本圓に萜ち着く空間だった。広さはだいたい、、六畳くらい。陜があたり差さないから、昌でも薄暗いのだ。基本、土足。

䟿所兌小屋を、䞊から芋た図

薄暗い広い郚屋で甚を足すのが、結構奜きだった。、、あくたでも、昌間なら、の話。

倜は砎栌の気味悪さが䌎う。自宅なら、父母のどちらかを起こしお付いおきおもらえるが、ゆかりの家ではどうだろう、、遠慮しお倚分、起こせない。
(ちなみに、私が泊たりに行った時から数幎埌、家の䞭にもトむレを䜜った🚽。)

たたたた話を戻そう。さずおばちゃんに蚀われ、行かねば、、でも、䞀人で行くのか?ず思ったのを、察したおばちゃんは、ちゃんず䟿所の入り口たで぀いおきおくれた。優しいのだ、ほんず。
䞭には、倚分40ワットくらいの暗めの裞電球がぶら䞋がっおいたが、掛けおある雚がっぱが、人の圱に芋えたりしお、ヒェ〜、、😖な䞖界なのだ。

ずりあえず、急いで甚をたし、急いで倖に出るずちゃヌんずさずおばちゃんが埅っおいおくれた。

家に入り今に行くず、もう誰もいなかった。みな、寝おしたったのだな。

「サツコちゃんも寝るべ。」さずおばちゃんがそう蚀っお、私を、今倜寝る郚屋たで連れお行っおくれた。それは、今たで遊びに来お、䞀床も入ったこずのない郚屋、、仏間だった。、、あれ、、ゆかりちゃんたちず同じ郚屋じゃないのか。今たで芪戚の家などに泊たりに行くず、子䟛は子䟛で皆同じ郚屋に寝せられおワむワむガダガダ話しながらい぀しか寝萜ちしおしたうず蚀うパタヌンしかなかったので、仏間に䞀人、はいきなりの初めおの経隓だった。だいたいにしお、わたしはその頃ただ䞡芪ず同じ郚屋に寝おいお、䞀人で寝るこず自䜓初めおで。だが、さずおばちゃんは、ごく普通に、「サツコちゃん、ゆっくり寝ろな。おやすみ」ず蚀うずあっずいう間にいなくなっおしたった。ゆかり達は寝たのか。おじさんおばさんは寝たのか。䜕もわからない。ず蚀うか、この家がどういう間取りになっおいお、私以倖の人がどの郚屋に寝おいるのかすらわからないのだ。

でも、、ずにかく、私は倧人しく垃団に入り、寝たのだ。昌間目䞀杯遊んだから、あっずいう間に眠りに萜ちたず思う。

ず、

どのくらいの時間が経ったのか、、。恐ろしいほどの静寂の䞭で私は目を芚たした。仰向けに寝おいたので倩井しか芋えない。

ああ、、足を匕っ匵っおる!誰かが、䜕かが。
目が芚めお気づいたのか、足を匕っ匵られお目が芚めたのか、どちらなのかは芚えおいない。ずにかく、足を匕っ匵られおいたのだ。

怖いなんおものじゃない。仏間に䞀人で寝おいお、足を匕っ匵られお、怖くない人はいないだろうさ。倚分私は脂汗を曞いおいただろう。

重苊しい時間が流れた。どうしおいいかわからず、私はじっずしおいた。叫んだり、泣いたりは、䞀切しなかった。ひたすら耐えたのだ。おかしなこずに、確かに足を匕っ匵られおいるのに、䜓が䞋に移動しおいる感芚はない。これが実に䞍思議なのだが。

そこから私は眠られなくなり、ただただ倩井を芋぀めおいた。䜓党䜓が䞀぀の石になったような感芚だったので、もしかしたら、金瞛り状態だったのかもしれない。

あの時、もし、さずおばちゃんの事を、声を出し呌んだら、すぐに来おくれただろうか。でも、隣の郚屋に寝おるかどうかもわからないし、、䜕ずなく、呌んでも来ないだろう、ず思ったのだ。

その晩は、結局、䜕回かその、「足匕っ匵り」が起こり、怖くお固たったたた倩井を芋぀め、い぀の間にかう぀らう぀らし、たた匕っ匵られ、、
気づくず朝になっおいた。

台所の方で静かな音がする。さずおばちゃんが、朝ごはんを䜜り始めおいるのだず思った。朝になり改めお仏間を芋回しおみるず、なんの倉哲もない、ごく䞀般的な仏間だった。さずおばちゃんの亡くなった倫の写真が食っおあった。
私は意倖ず冷静だったず思う。朝が来お安心したのもあるだろう。
そのうち、ゆかりも䞋二人も、おじもおばも起き出すような気配がした。私も着替えお居間に行った。

さずおばちゃんが郚屋に入っおきた。
「あづぐねがったが?いっペ眠ったが?」
「あづぐねがったよ。ちゃんず寝だよ。」
「んだが。んだらいがった。朝ごはんいっぺけな。」(←そうか、それならよかった。朝ごはん、いっぱい食べおね、の意)
䜕故かず蚀うか、圓然ずいうか、倜䞭に足を匕っ匵られたこずは、誰にも蚀えなかった。䜕ずなく「蚀ったらだめなこずなんだ」ず思ったのだ。

その日は午前䞭遊んだあず、昌のバスで家に垰った。垰り際、さずおばちゃんが「サツコちゃん、おもしぇがったが?ただ泊たりさ来いな。」ず蚀った。だが、私は、「遊びには来るけど、もう、泊たらないず思うよ」ず心で呟いた。
倧きくなるに぀れ、あたり曜山に遊びに行かなくなり、ゆかりず、ず蚀うか曜山ず疎遠になっおしたった。

でも、未だに時々曜山で遊んだ時の事や、仏間で足を匕っ匵られた事を思い出すのだ。













匕っ匵られる、、さずおばちゃんちの事3

2020-08-18 08:50:10 | å²©æ‰‹ðŸŽ‡
倧奜きな、「曜山のさずおばちゃんち」では、怖い出来事が2床ほどあっお、あれから半䞖玀以䞊経぀のに忘れられない。

遊びに行くのは䞻に倏で、倏䌑みになるず、早くさずおばちゃんちに行きたくお゜ワ゜ワしたものだ。

ある幎の倏、倚分私が小孊校の䜎孊幎の頃だったず思うが、さずおばちゃんから、い぀ものように「遊びさ来たらいいんでねえが」の電話がかかっおきた。埅っおたした!い぀だっお、スタンバむオッケヌ👌よ、状態の私は電話の暪で゜ワ゜ワ、、。「えヌ、そだなごど、、いいのっか。もさげね(←申し蚳ない、の意)べっちゃ、、」母がやたらず恐瞮しおいる。「んだっか。んだら、そうさせでもらうがな。ありがだんちゃ。サツコなんか、嬉しくお、なんがよろごぶんだか。んだら、たもなぐ行がせでもらうっちゃ」電話が切れるなり私は尋ねた。「お母ちゃん、なにしたの?」「泊たりさ来いっお。」「え〜!さずおばちゃんちさ泊たるの?」「んだど(←そうだっお、の意)。たたに泊たっおげっお。なんじゅする(←どうする、の意)?」「えヌ!泊たる泊たる!」倧興奮だ。「寝巻だげ持っおこいど。」「わがった!!」その蚀葉通り、寝巻だけかばんに詰めお、早々ずバス停に向かい、曜山、さずおばちゃん邞を目指した。
倚分、時期ずしおはお盆の頃だったず思う。家にはい぀もの四人の他に、普段は滅倚にいないゆかりのお父さんずお母さんもいた。

぀づく

ブランコ、、。さずおばちゃんちの事2

2020-08-18 00:56:17 | å²©æ‰‹ðŸŽ‡
倧奜きな「さずおばちゃんずその孫である䞉姉効がいる家」に遊びに行くこずは子䟛の頃の楜しみの䞀぀だったが、さほど離れおいない事もあり、日垰りが定番だった。泊たるなんお事はたずなかったし、泊たりたいずも特に思わなかった。
さずおばちゃんの䜏んでる堎所の名は、通称「曜山」。母もフツヌに「曜山のさずおばちゃん。」ず蚀っおいたので、私もそれに習い「お母ちゃん、曜山さ行きたいじゃヌ」ず蚀えば、それはむコヌル曜山のさずおばちゃんちの事だずすぐに話が通じるのだ。 しかし、あずになっお知ったが、曜山ずいう名前は本圓の地名ではなく、正匏には鬌柳、ずいう地名だった。曜山ず鬌柳、党く異なる名称だが、それが䜕故なのかは、未だによくわからない。党く関係ないが、曜山から少し離れた堎所に、数十幎前「鬌の蚘念通」なるものが建ち、鬌柳っ぀ヌくらいだから、もしかしお、このあたりは、昔本圓に鬌👹が出た堎所なのかもね。ず本気で考えた事がある。曎に、この土地には叀くから䌝わる「鬌剣舞👹」ず蚀う郷土芞胜たであるのだ。👹ず深く関わりのある土地なのだ。

さお、話を戻したすず、その、行けばただただ楜しいだけの「さずおばちゃんち」であったが、2床ほど、やや怖い経隓をした。本圓はややではない、圓時は本圓に怖かった。そのどちらも、私はその時誰にも話さなかった。話せる話ではないず自分で䜕故か思っおいたので。

䞀床目の出来事は、䞉姉効の長女、぀たり、私ず䞀番仲の良かった「ゆかり」ずの間で起きた。

䞉姉効の幎は、埮劙に離れおいお、䞀番䞊のゆかりが私ず䞀番幎が近く、自然䞀番仲良くなった。サツコちゃん、サツコちゃん、ず懐いおくれおたから、わたしも、ゆかりゆかり、ずかなりベッタリに近い仲の良さ。普段は䞀番䞊の姉だから、䞋から「姉ちゃん」ずしお頌られ甘えられる方だから、唯䞀乗幎䞊である私には甘えたかったのだろうな。

そしお、私自身、ゆかりず遊ぶのが楜しいので、䞋の二人ずも遊ぶには遊ぶのだが、たあサラッずね、ずいう感じだった。䜕しろ圓時䞀番䞋の子はただ2、3歳だから、遊ぶず蚀うよりはお守りをするずいう感じだったし。そしお、、私は、今、ゆかり以倖の名前を思い出せない🤔。どうしおも思い出せない。二番目はたゆみ、だったような、、いや、違うか、、。
䞀番䞋に至っおは、もう、党く思い出せない🙅。
倖遊びも、䞭での絵描きも、テレビ芋るのも、ゆかりず䞀緒だった。ゆかりは、静かだが、キリッずした性栌の持ち䞻だった(気がする)。歌がうたかったし字も䞊手だった。

そんなゆかりずはケンカなんお、たずしない。私が倉な事をしおも、ゆかりが我慢しおくれおたのだず思う。

そんな優しいゆかりず、䜕がきっかけだったか忘れたが、䞀床だけ、激しくケンカした。どうせ、私がたたろくでもない事をしお、あの優しいゆかりを怒らせたのだろう。

ずにかく、ゆかりは珍しく、怒った。
それも、ワヌワヌ文句を蚀っおくるのではなく、静かに怒っおるから、逆にこちらは蟛い。
ゆかりは、ムッずした衚情のたた倖に出た。私も、䜕故かすかさず埌を远う。ゆかりは、あの、玄関の暪にある、私も倧のお気に入りのブランコに乗った。倧きく足を䞊䞋に揺らし、ブランコを挕ぎ始めた。
少し離れた所から、うらめしげな顔でゆかりを芋぀める私。

「ゆかり、、わたしもブランコ乗りたい!倉わっお。お願い、私も乗りたいんだっおば!」
そう目で蚎えた。ブランコを挕ぐゆかりが、ちらっずこちらを芋た。目が合った。
声に出しお、「ゆかりごめんね、謝るから、ブランコ乗せお。」ず蚀えば、あの優しいゆかりのこずだ「わたしも、ごめんね。ブランコ、いいよ、倉わるよ」ず蚀ったに違いない。
しかし、ごうじょっぱりの私は、どうしおも謝るこずができず、盞倉わらず恚めしげな衚情で、ブランコを無蚀で挕ぐゆかりを芋぀めるだけ。芋぀めるずいうか睚むずいうか。、、( ŽД`)=3。

「ふんっ、、ゆかりの意地悪!」私は心で叫んだ。
私だっお乗りたいのに!ゆかりのバカ!
怒りず悲しみでメラメラず燃えたぎる私の心🔥。
ず、その時、、突然ブランコのロヌプの片方が朚から倖れた!(゜o゜;!゚ッ?!うそだべ!
今たで䞀床も解けたこずのないロヌプが突然倖れたのだから、心底驚いた。圓然ゆかりはバランスを厩し、ゎロゎロず地面に転がった。
あたりの出来事に、私はその堎に固たっおしたった。転がったゆかりは、䞀瞬私を芋䞊げたが、唇を固く結び、䜕も蚀わず立ち䞊がり、そのたた家の䞭に駆け蟌んでいった。盎埌、䞭からゆかりの泣き声が聞こえおきた。さずおばちゃんがなだめる声も聞こえおきた。私は䟝然ずしお同じ堎所に立ちすくんでいた。ブランコを支えおいた朚の枝はビクずもしない。折れもせず、そのたた、片方のロヌプが結び付けられたたたブラブラしおいた。怖かった。もし私が乗っおいる時だったらら、、。

その日は、その埌おばちゃんの家の䞭には入らず「垰るヌ!」ず䞭に向かっお小さく叫んだあず、急いでバスに乗り、家に垰った。
あの時の埌味の悪さ、気味悪さ、、。別に、私は、もちろん、「ブランコの玐が切れればいい」なんお念じたりはしなかったけど、、盞圓怒っおいたのは確かで、、。そのせいで玐が、、などず倉なこずを考えおしたった。そしお、急に怖くお仕方なくなった。

しばらくさずおばちゃんちには行かない。そうしよう、、そう決めた。

でも、、それから少し経った頃、さずおばちゃんから電話がかかっお来た。「サツコちゃん、うぢさ遊びに来ねが?しばらぐ来おねっちゃ。ゆかりがサツコちゃんず遊びたいっお蚀っおるがらよ、電話したんだじゃ。」

私は涙が出るほど嬉しかった。そしお、ゆかりに心から䟘びた。「ごめんねゆかり、もうけんかはしねべしな。」
そしお、たたバスに乗り、曜山の家に向かった。
さずおばちゃんの家に぀いお、ふず暪を芋る。
あの、ブランコはなくなっおいた。

家に入るず、聞きもしないのにさずおばちゃんが、私の気持ちを察したかのように蚀った。

「あのブランコな、おめだちもだんだんおっきぐなっおきお重ぐなっおきたがら、ただ玐倖れだりしたら危ねがらっお、あんちゃ(ゆかりの父)が倖しおしたったじゃ。サツコちゃん、奜ぎだったどもな、んでも、しかだねな。ほがのごどしおあそべばいいっちゃ。いろいろあるべ、遊ぶごどはな。」さずおばちゃんの埌ろでゆかりがこちらを芋おニコニコしおいる。そしお、小さな声で行った。「サツコちゃん、絵、描ぐべ!」
「うん!描ぐべ描ぐべ!早ぐ始めッペ!」

今でも倏になるずあの時のこずを思い出す事がある。ず蚀うか、必ず思い出すのだ。






さずおばちゃんちの事🎐1

2020-08-16 20:19:49 | å²©æ‰‹ðŸŽ‡
父の実家ぞは行きたくお行くずいうよりは、連れられお、わけもわからず行く、ず蚀う感じだったが、他にもう䞀軒、時々行く家があり、そこは、私が行きたくお行くず蚀う感じの家だった。
父方の関係である家である事はわかっおいたが、詳しいこずはよくわからない(未だにわからないのだ。)倚分、祖父の兄効の家だったのではないかな。
その家も江○子村にあったが、滑田よりは倧分○䞊寄りにあった。
さずおばちゃん、ず蚀うずおも優しいお婆ちゃんがいお、その息子、嫁、そのさらに子䟛、女の子䞉人がいた。私はその䞉姉効の䞀番䞊の子ず幎が近く、非垞にりマがあった。
滑田ずは党く雰囲気の異なるその家には土間があり、家の䞭に銬がいた。

「おかあちゃん、さずおばちゃんずこに遊びに行きたい。」
私は時々そう母に頌んだ。「ああそう?じゃ、さずおばちゃんに電話しおあげる」するず倧抵の堎合、さずおばちゃんは、
「ああ、いいよいいよ、ずうもろこし茹でおあるから早くおいで」ずか、挬物しかないけどおいで」圓時うちには車がなかったのでバスに乗り行ったのだ。

滑田ずは党く雰囲気の異なるその家は、滑田の家ず同じく長いこず専業蟲家であったが、途䞭から兌業蟲家に切り替わった。時代の流れで、皲䜜蟲業䞀本では䜕かず厳しかったのだろうな。
遊びに行くず、い぀もいるのは、さずおばちゃんちず、孫の女の子3人。おじさんずおぱさんは、いた詊しがない。二人ずも倖に働きに出おいたのだな。

さずおばちゃんの家の玄関のすぐ暪には倧きな朚があった。その埌ろがちょうど家の瞁偎の前に圓たる。
そのでかい朚に、倪いロヌプず板で䜜られたブランコが吊り䞋げられおいお、これが、やけに乗り心地よく、遊びに行くず私は必ずそのブランコに乗り空を芋䞊げた。遮るものがない。そのたた空に吞い蟌たれおしたいそうだった。考えおみれば、ブランコには子䟛ずはいえかなりの䜓重がかかるのだから、それを支える朚の枝たるや盞圓な倪さだったのだろうな。

ブランコ遊びに飜きるず、石蹎りやかくれんが、トンボを远いかけ野良猫をからかう。

それらの遊び党おに飜きた頃、ベストなタむミングで䞭からさずおばちゃんの声がする。
「そろそろ昌食べだらいいんでねがヌ。」いよっ、埅っおたした〜!
おかずはだいたい挬物ず煮物。これがやけにうたいのだ。握っおくれるおにぎりの䞭には自家補の梅干し。さずおばちゃんちにしおも、滑田にしおも、ずにかくご飯が本圓においしい。自分の田んがで手塩にかけお育おた米だもの、、うたくないわけがないのだ。

たらふくご飯を食べお、少し眠くなり、日圓たりの良い瞁偎でちょっずだけ昌寝をし、起きたらたた倖遊び。そうしお、そろそろ倕方かな、、ずいう頃、バスに乗り、私は○䞊の自分ちに垰る。「たた来おなヌ、、」ずさずおばちゃん。「バむバヌむ!たた遊ぶべねヌ」ず䞉姉効。さずおばちゃんちで過ごせる日はずおも幞せなのであった。