「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

自然と神様と猫と木と音楽、、それからそれから、、( - ө - )

お盆前なので、、母への感謝。深く深く

2023-08-07 22:14:00 | 今も心に、、
もう、今週末はお盆であります。もうとっくの昔に両親をなくした私は、やはりお盆と言いますと、お墓参り、なのですね。GO to Iwate 岩手に帰ろう。親に感謝の気持を伝えよう。生きてる時にまるで伝えられなかった感謝の気持ち。おーっ、そうよ、有名なことわざ「親孝行、したいときには親はなし。」全くですよ、この言葉。今、自分、この年になり色々なことが見えてきてわかってきて、、。今でしたら心から「ありがとう」が言えます。子供の頃は「なんて口うるさくてうるさい母なんだろう!あーやだやだ、口を開けば勉強しろしか言わないぜい」と何とも罰当たりなことを思っておりました。今思えば、ああ、あの時母の説教をきちんと聞いてもう少し真面目にやっていれば、もすこしまともな大人になれていたかもしれません。これこそが、、後悔先に立たず、なのです。今頃後悔しても、やりなおしはきかないのです。それが人生。仕方がない、実際昔は、勉強が、とにかく嫌いだったのですからね。毎日がパラダイス、ひたすら遊んで遊んで遊びまくり、、。そして学期末には超低空の通信簿を渋々母に見せ、またまた雷⛈を落とされる。忘れられない母の言葉「あんた、、大したものねえ。毎日毎日母さんがこんなにあんたにガミガミ言ってんのに、それでも勉強しないんだもん。すごいわ、、私なら、毎日こんなに説教されるくらいなら、しぶしぶでも勉強するわね。」そこまで言われても、勉強しませんでした。したくなかった。嫌いだった。私と違って当時は優秀だった兄は、わたしがいつも母から怒られてるのを遠くから見ていて、あとからそっと励ましてくれるのでした。「まあな、お母さんも、お前の事が心配で叱ってんだから、あんまりお母さんの事悪く言うなよ。」「宿題終わったら、トランプしてあげるから待ってろな」私は、宿題なんかしないからいつも暇こいてテレビばかり見ていた。それに飽きるとマンガを読み出す。それにも飽きると、寝る、、。なんちゅーことや。ほいで、また母から叱られる。確かに私は、無類の怠け者だったのだ。しかし、、怠け者のくせに、私は自信家だったので始末が悪い。何に自信持っていたのか。、、ここからが益々悪い話になる(-_-;)。「私みたいに、正真正銘の勉強ぎらいの人間が、、成績、確かに悪いには悪いが、全くしてない割には、どん底ではないじゃないか!」という全くもって意味不明の自信である。ただし、この「内心自信あります的気持ち」は、母には決して打ち明けませんでした。言ったらどうなるかわかっていたからです。鬼嵐のように叱られることになるわけですから。お母さん、ホントにすまなかったね。ほんとにね、今はね、わかるんですわ、お母さんがなぜあんなに鬼のように私を叱ったのか。心底私を心配してくれてたのですよね。すみません。当時は、お母さんのそんな想い、まるでわかりませんでしたし、わかろうともしませんでした。稀に見る大ばかでした。
お母さんは、そんな大馬鹿の私を見捨てることもなく、諦めることもなく、いつかはわかってくれるだろう、という思いで厳しくも温かく?接してくれましたね。
最近はですね、毎日のように「お母さん、ありがとうね、本当に感謝してます」と心の中で(いや、時々言葉にも出して)言ってます。
とりあえず、、お盆くるよ。お墓参りに行くからね。待っててちょうだいよ。
おーい。

白い影。

2021-05-23 23:23:15 | 今も心に、、
こんなことがあるのか?。うん、ある。昔からあったよ、何度か。
、、今年2021は、好きだったかたや大切なかたとのお別れがやけに多くて、実は凹みそう。てか、凹んでる⤵。
4月の初めに、また一人大切なかたが、お亡くなりになった事を知らされた。2年前のちょうど今頃、私は彼女のお見舞いに行き、また来年必ず会いに来ますね、と約束して別れたのだが、予測しなかったコロナのせいで結局会いに行けなかった。今年は何とか行かれたらいいなと思っていた矢先の訃報だった。、、コロナが恨めしい。ほんとに。、、会えないまま別れを告げなければならなかったご家族の気持ちを思うと胸が締め付けられる。
そして、、今日の多分午前2時か3時だと思うが、ものすごい金縛りにあった。金縛りというか、仰向けに寝ていた私の体の上に、誰かが乗っかっていたのだ。本当にずっしり重くて、動けなくなってしまった。その後なんとか重いのを押しのけて?フと横を見た時に白い何かが動いていたのを見てしまいました。あ、、って。その後、部屋の明かりを付けて寝直したのですが、あまり寝た気がせず目覚めはよくありませんでした。
そして、今朝、午前9時過ぎに、その、4月のはじめに亡くなった人の家族のかたからメールが届いた。今日が四十九日だと。
驚きました。ああ、そうだったかと。夜中に来たのはあのかただったのだ、多分。お別れを告げに来たのだなと。
寂しいけれど、さよならなのだ。もちろん忘れはしませんよ、これからもあなたのことは。
でも、一つの区切りの日であることには違いありません。、、Yさん、さようなら。あなたのこと、忘れません。


盆に見る夢は、母の夢

2020-08-15 21:55:06 | 今も心に、、
盆に見る夢、、って何か特別なのかな。久々に印象深い夢を見て、思わずベッドのそばに置いていた紙に、内容を忘れないように書きなぐったよ。

一部と二部があり、一部は、穴場的な温泉施設を見つけた夢だ。炭風呂、という、ドアを開けると炭だらけの場所に風呂がある。サウナのような密閉された場所に済が敷き詰められ浴槽もある。フムフム、こりゃいいや、と思いつつ施設をウロウロすると地下への階段があり、そこには、とても美しい色の風呂があった。これまたいいねえ!と感動し、とにかく私は入りたい、風呂に入りたい、と思っているところで残念なことに目が覚めた。
しかし、休む間もなく?二部に突入。大きなお寺が舞台だ。長い列をなして人々が並んでいる。お寺へ向かう人々の列だ。すでにお寺がある高台に着いている人たちもいて、お寺の中の窓から外を見ながらの人も、ひたすらまっすぐ前を見ながらの人もいて、みなとにかくぞろぞろと歩いている。私はまだまだお寺の中までは入れそうもないな、とお寺の窓を見上げたら、母がいた!おお!お母さんだ!でも、遠くてこちらには気づかないだろうな、と思ったとたん、母が私に気づいたのだ!そして、手を振った。母の横には、私もよく知ってる人がいて、母と並んで前に進んでいる。知ってる人なのに誰なのかが特定できない。、、あれは、だれだったのか。
それにしても大きなお寺だった。
目が覚めてからしばらくの間、気分が良かった。

盆に見る夢は、盆らしい情景が描き出された。
不思議なことだが、私の夢には母は結構出てくるのだが、父はめったに出てこない。これもなにか意味があるのか、、ないのか、、ワタシにはワカラナイ。

お盆に見る夢、母の夢。




好きなことだけ。

2019-06-17 18:20:13 | 今も心に、、
好きなことだけしながら生きていくなんてことできるのかなあ。

考えてみたら、母は

多分、本当に商売が好きだったんだ。、

裸一貫?から店を開き、

一人で店をでかくして、

最後の最後まで

一人で全てを担ってた。

自営で生き抜いた、

あまりにすざましい生き方をした

母の背中

を、見る気がなくても見てきた私なのに、

今までは、自分も自分の力で何かをしてみたい、

と一度も思わなかった。

卒業後の進路も、迷わず会社員という道を選んだし。、、

何回か、冗談まじりの口調で母が言ったことがある。

「あなたは、自営には興味ないの?

自営は、大変だけど面白いよ。

この店継ぐ?」

私は

迷わず

「ない」

と答えたのではなかったか。

実際、まるで興味なかった。

勤め人

以外の選択



考えたことなかった。

なぜだ、

なぜだ、。

仕方ないや、実際あの頃は興味なかったんだもの。

それなのに、

なぜ今頃

この年になり

「母のような生きかた」

に憧れを抱くの?

、、

朝から晩まで働いた母は、

脳出血で倒れ、

倒れた翌日の明け方に

あっけなく

この世にさよならを告げ

七十二才で旅立っていったが、

前日まで現役でバリバリ働いたんだよね。

すごいな、、

やはりすごい人だったのよ、お母さんは!

と、今頃気づいた。

そして、私もなれるものなら

そうなりたい



今になり、強く思う。

遅いね。

気づくのが遅いよ。

こらこら、、(゚Д゚#)。

でも、遅くても気づいたんだから

まあ、いいじゃないか、、

と慰め半分で

呟いてみる。