少し偏った読書日記

エッセーや軽い読み物、SFやファンタジーなどの海外もの、科学系教養書など、少し趣味の偏った読書日記です。

樹木たちの知られざる生活

2021-11-27 07:00:00 | 読書ブログ
樹木たちの知られざる生活~森林管理官が聴いた森の声~(ペーター・ヴォールレーベン/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

5週前に紹介した『後悔するイヌ、嘘をつくニワトリ』と同じ著者。こちらが先に書かれて評判になったとのことなので、本屋で探してみた。

樹木という生物が、光というエサをめぐって個体同士、種同士の争いを繰り広げながらも、同時に、仲間や他の種とも協力しながら、全体として調和のとれた森という社会を創り出す。本書は、その全体像を、最新の科学的成果も引用しながら、たぶんこれまで誰も書かなかったやり方で描き出している。

植物が生きていることは理解しているつもりだが、やはり、光をはじめまわりの環境に受動的に対応しているだけ、という印象に囚われていたようで、読後感としては、「樹木について、私はほとんど何も知らなかった」ということに尽きる。

読んだ本の年間ベストテンを選ぶようなことは、面倒だし、それ以上に、偏った嗜好を持つ人間として僭越なことだと考えているが、たぶんこの本が、私としては今年のベスト5に入るのは間違いないと思う。

量子魔術師

2021-11-20 07:00:00 | 読書ブログ
量子魔術師(デレク・クンスケン/ハヤカワ文庫)

久しぶりの本格的なSF。少し厚めなので、それなりに時間はかかる。

主人公は、遺伝子工学によって量子コンピュータ並みの計算能力を獲得したホモ・クアントゥスの一人で、詐欺を生業とするはぐれ者。厳重に管理されたワームホールに宇宙艦隊を通す、という途方もない依頼に知的冒険心をかき立てられ、仲間集めに着手する。

デカいヤマのためにスペシャリストが集まる、という設定は、どうしてもあの映画を想起させる。招集されたのは、遺伝子工学によって肉体改造された人類のなれの果てや、宗教かぶれのAI(人工知能)。遺伝子工学者に、爆弾スペシャリストの女。そして、死病に侵された詐欺師。

物語が進行すると、敵の捜査や味方の裏切りなどが錯綜し、次第にスピードアップする。超弦理論をベースとする11次元時空の物理?が、派手なアクションを通じて鮮やかに描かれる。

ややネタバレ気味に紹介しても、物語の展開は、たぶんあなたの想像を上回るはずだ。こういうタイプのSFが好きな人にとっては、大好物の一冊になるだろう。

小説の読み書き

2021-11-13 07:00:00 | 読書ブログ
小説の読み書き(佐藤正午/岩波新書)

2006年に発刊された新書で、最近になってこの本の存在に気付いた。

この作者の本は、『ありのすさび』、『像を洗う』、『豚を盗む』のほか『小説家の四季』を読んでいる。いずれもエッセーで、他の作品を読んでいないのは、私の偏りのせいだ。私は恋愛小説とホラーは読まない。そして、基本、この作者は恋愛小説を書いている。

小説家の目で文学作品を読むと、読む作業を通じて小説は書き直される。読むことは書くことに近づき、ほぼ重なる。そのような視点で川端康成、志賀直哉、森鴎外、永井荷風、夏目漱石、中勘助、樋口一葉、三島由紀夫、山本周五郎・・・と24人の大家の作品を題材に、この人独自の「読書感想文」が展開される。それぞれのファンが読めば、火を吹いて怒りそうな切り口も。

取り上げられた作品は、読んだことがあるものが多い。20代前半までに読んだものばかりで、そういえば昔はこういうのも読んでいたなあ、という感じ。数年前に昔の本を大量に処分したので、手元にあるものはほぼない。

この人の文章はちょっと癖になるところがあって、恋愛小説のほうに手を出さないでいるのも、ハマったら面倒くさいな、という気持ちがあるからかもしれない。

それはあくまで偶然です

2021-11-06 07:00:00 | 読書ブログ
それはあくまで偶然です(ジェフリー・S・ローゼンタール/早川書房)

統計学をベースとする一般向けの読み物。「運と迷信の統計学」とあるが、ある珍しい現象が、単なる偶然なのかどうかは、統計学上の計算によって厳密に判別できる、という趣旨の本。解説書というよりはエッセーに近く、読みやすいと思う。

西欧世界では、キリスト教の影響が大きすぎるから、単に偶然に過ぎない現象も、神のはからい、とか特別のことのように考える傾向が非常に強く、そのような世界で統計学者であることは、かなりしんどいことなのかもしれない。

が、それはそれとして、実はこの本にかこつけて書きたいことがある。私はこれまで、財布を20回以上落として、すべて無傷で返ってきた、という経験を持つ。日本は落とした財布が返ってくる率が非常に高いらしいが、それでも無傷となるとどうだろうか。仮に6割として、それが20回以上連続するのは、相当に珍しいことではないだろうか。

この話をすると、誰も感心してくれない。たいていは、財布を落とした回数の多さにあきれられ、少し気の利いた人は、「あなたは一生分の運をそこで使い果たしている」という。

本人も、15、6回目あたりまでは全ての事例を覚えていたが、途中からは馬鹿らしくなって数えるのを止めてしまった。運がいいのか悪いのか、とこかく40代後半になって、財布を落とすことがなくなってようやく、大人になれたのかもしれない。

『運は数学にまかせないさい』というタイトルの本は同じ人の作品だ。どちらか一冊読めば十分だと思う、たぶん。