少し偏った読書日記

エッセーや軽い読み物、SFやファンタジーなどの海外もの、科学系教養書など、少し趣味の偏った読書日記です。

夜の蟬

2022-09-24 07:00:00 | 読書ブログ
夜の蟬(北村薫/創元推理文庫)

先々週に引き続き、北村薫の「円紫師匠と私」シリーズの第二巻。短編というには少し長めの3編が収録されている。

このシリーズの探偵役は円紫師匠だが、名前が明かされない「私」は、単なるワトソン役ではない。私の日常の中で謎が生まれ、その解明やその後の展開を通じて、私の物語が丁寧に描かれる。

1つ目の謎は、友人「正ちゃん」のアルバイト先の書店での小さな異変。何かと味のある正ちゃんの人となりが描かれるとともに、「私」の恋愛観や本を通じて知り合った男性への小さな恋心も挿入される。

2つ目の謎は、もうひとりの友人の「江美ちゃん」に誘われて出かけた軽井沢の別荘での、チェスの駒の紛失。季節の移ろいを主題とする和歌や、落語の三題噺をめぐる師匠との会話が楽しいが、この章の主役は江美ちゃん。

3つ目の謎は、シリーズを通じて言及されてきた、「文句のつけようがない美人」の姉に、間違って送られた歌舞伎座のチケット。その騒動を通じて、幼い頃から積み重ねられてきた姉との確執が、新たな展開をみせる。

つまりこの一冊は、二十歳の「私」の、ある種の成長物語なのかなと思う。加えて、軽快な会話や、文学、落語に関する知識がちりばめられた文章は、いつまでも読んでいられるほど心地いい。

「私」シリーズはこの後、『秋の花』、『六の宮の姫君』と続く。それぞれ趣向の異なる作品だが、いずれも長編なので、次の機会には第五巻を紹介したい。

プラハの墓地

2022-09-17 07:00:00 | 読書ブログ
プラハの墓地(ウンベルト・エーコ/東京創元社)

3年半前、アプリの存在も知らず、パソコン上でこのブログを始めたときに、最初に取り上げたのが、この作者の『バウドリーノ』だった。そのときに本書はすでに刊行され、また作者もすでに亡くなっていたことに、最近、気付いた。

物語の舞台は19世紀のイタリアとフランス。記憶の一部が欠落した主人公と、イエズス会の僧侶が、交互に日記を書く、というスタイルで話が進む。

主人公は、彼から遺産をだまし取った公証人の下で働きながら文書偽造の技を覚え、公証人への復讐を果たす。文書偽造と謀略の才能に目をつけた各国の秘密警察に重用されるようになり、ナポレオン3世の独裁、普仏戦争、パリ・コミューン、ドレフュス事件などの歴史に関わっていく。こうした物語が進むにつれて、主人公が地下道に隠した死体の数が増えていく。そして最終的に、プラハの墓地でユダヤ人が世界征服を計画したという『シオンの議定書』(史上最悪の偽書と呼ばれている)を、ロシアの秘密警察のために作成する。

主人公と僧侶の関係や死体の謎の解明は、ミステリとして楽しむことができるし、歴史の陰にある陰謀や『シオンの議定書』の成立過程は、史実と矛盾しない歴史フィクションとして読める。なお、主人公以外の主要な登場人物はすべて実在し、本書で描かれたような言動をしていた、とのこと。

非常に重厚な作品で、手に余るところはあるが、読了後に浮かんだ直感的な感想。宗教は確かに、人類に功罪をもたらしたが、それ以上に強力な共同幻想がある。それは国家だ。

本書からの引用。「貧しい人々に残された最後のよりどころが国民意識なのです。そして国民のひとりであるという意識は、憎しみの上に、つまり自分と同じでない人間に対する憎しみの上に成り立ちます。」

その憎しみは、本書ではもっぱらユダヤ人に向けられているが、それに替わりうるものは、現代世界にあふれている。

空飛ぶ馬

2022-09-10 07:00:00 | 読書ブログ
空飛ぶ馬(北村薫/創元推理文庫)

短編推理と、日常の謎。2つのキーワードでたどり着いた本書。

ミステリにおける「日常の謎」という用語を知ったのは、米澤穂信氏のエッセーから。そこで紹介されていた『六の宮の姫君』を読んでみると、なるほどの良作。それが「私」を主人公とするシリーズの4冊目と知って、1冊目を手に入れたのが本書。作者のデビュー作にして、「日常の謎」の走り。好みの短編推理でもあったので、いまさらではあるが、紹介したい。

主人公の「私」は、女子大生。友人の「正ちゃん」との会話がよい。で、探偵役は、縁あって主人公と知り合う落語家の円紫師匠。(作中にときどき落語のミニ解説がまじる。)「私」が遭遇する謎を、話を聞くだけで解明して見せる。その切れ味とともに、背後にある物語の、上質な読後感が残る。

扉に宮部みゆき氏の、裏表紙に鮎川哲也氏の推薦文が掲載されている。不明ながら、この作者のことを知らなかった。(高村薫と間違いそうになった。ごめんなさい。)ミステリを読まないことにしていたにしても。文庫本が発刊された1990年代は、私が過労死レベルで多忙だった時期だとしても。作家の名前くらいは見かけていたはずなのに。

という訳で、「私」シリーズのうち、短編集は取り上げてみたいと思っている。

読書セラピスト

2022-09-03 07:00:00 | 読書ブログ
読書セラピスト(ファビオ・スタッシ/東京創元社)

読書に関する海外作品。タイトルに惹かれて図書館で借りてみた。

読書好きで、国語教師の資格は持っているがまともに就職できずに中年に至った主人公は、どうやら「読書セラピスト」を開業したようだ。(作者が発明した怪しい職業かと思ったら、認知されている療法らしく、イギリスでは政府公認、イスラエルでは国家資格があるようだ。)

彼のもとを訪れるのは、髪型がどうやっても決まらない女性、夫に捨てられてカナダに移住する女性、仕事のために体重を増やしたい女性など、本では解決しそうにない問題を抱えた客ばかりだが、何とか商売になっているらしい、その様子を描いた物語。(それぞれに、処方する本が示されるのがこの作品の眼目。ちなみに、体重を増やすための本は、『あつあつを召し上がれ』(小川糸/新潮文庫))

その合間に、同じ建物に住む女性が失踪した後、殺される、という事件が起こる。懇意にしている古書店に彼女の本のリストが残されていたが、それに何らかの意味があることに気づいた主人公は、真相解明に乗り出す。

ということで、この本は、イタリアでミステリに与えられる賞を受賞しているようだ。(ミステリの部分に多くを期待してはいけない。)

内容から連想したのが、『追跡する数学者』(デイヴィッド・ベイジョー/新潮文庫)。20年来の友人で恋人でもあった女性が、351冊の本を遺して失踪した。遺された本と記憶を手がかりに追跡する数学者。本と本の装丁のことのほか、男と女とランニングのことを描いた、スタイリッシュでエロティックな本だった。それに比べてこちらの方は、ナイーブでシニカル、といえばよいだろうか。