少し偏った読書日記

エッセーや軽い読み物、SFやファンタジーなどの海外もの、科学系教養書など、少し趣味の偏った読書日記です。

科捜研の砦

2024-10-25 12:44:23 | 読書ブログ
科捜研の砦(岩井圭也/角川書店)

今年7月に紹介した『最後の鑑定人』の続編。

作品の順番では続編だが、内容は前日譚。

前作では、科捜研を退職して民間の鑑定所を開いており、別れた妻が同業で「科学警察研究所」に所属している、という設定だったが、今作では、4つの事件を通じて、元妻との出会いから別れの予兆、そして科捜研での挫折が描かれている。

いずれも、主人公とは別の人物の視点で記述されており、それぞれの立場や思いと同時に、寡黙で常に理知的にふるまう主人公の姿勢が浮き彫りにされる。

そしてそれ故に、最終章での主人公の葛藤が際立って見える。

次の続編(ぜひ、書いてほしい)では、民間鑑定所での活動、特に、少し癖のある助手の活躍が見たい。

雪山書店と嘘つきな死体

2024-10-18 12:59:05 | 読書ブログ
雪山書店と嘘つきな死体(アン・クレア/創元推理文庫)

米国コロラド州のスキーリゾートを舞台とするコージーミステリ。

主人公は、帰郷して姉とともに山小屋風の書店を切り盛りする女性で、姓はクリスティ。アガサの縁者であるかは不明だが、書店の看板猫の名はアガサ。事件のカギとなるのは、アガサ・クリスティの『春にして君を離れ』のサイン入り初版本。

という具合に、クリスティへのオマージュに満ちた作品。

主人公の日常生活や感情の動きをはじめ、他事記載が満載なのは、作品の性質上、やむを得ないところ。それも含めて、地元感にあふれた独自の世界を描いている。

殺人事件が起こり、捜査の過程で複数の容疑者が浮かび上がるものの、いつまでたっても真相に近づいている感触がなく、最後に主人公が、関係者が集まった中で犯人を指摘する。その展開は確かに、クリスティの作品を思い出させるところがある、と思った。

原題は Dead and Gondola
直訳すれば、「死体とゴンドラ」だろうか。「雪山書店」を加えたのは、作品世界の象徴としてふさわしいということもあるが、シリーズ化を見越して、今後も「雪山書店と・・・」というタイトルにするつもりなのだろう。

宇宙の終わりに何が起こるのか

2024-10-11 10:44:38 | 読書ブログ
宇宙の終わりに何が起こるのか(ケイティ・マック/講談社)

宇宙物理学者が、現在の物理学で想定される「宇宙の終わり」について論じた本。

取り上げられている終末パターンは5つ。

1 ビッグクランチ
2 熱的死
3 ビッグリップ
この3つは、宇宙の加速的拡大をもたらしているダークエネルギーの強さによって違いが生まれる。1では、宇宙はやがて収縮に転じ、特異点につぶれてしまう。2では、すべてが拡散して無に帰す。3では、2よりもずっと早く、宇宙はばらばらに引き裂かれる。現在の観測事実から、2が最も有力視されているようだ。

このほかに、特異なパターンが2つ。

4 真空崩壊
物質に質量を与えるヒッグス場は完全に安定ではなく、「真の真空」に転移する可能性がある。すると、その泡は瞬く間に宇宙全体に広がり、すべてを飲み込む。将来の話ではなく、今すぐにでも起こりうるが、その可能性は極めて小さいらしい。

5 ビッグバウンス
超弦理論から導かれたブレーンワールドを前提に、2つのブレーン宇宙が衝突を繰り返すサイクリック宇宙論に基づく終末。宇宙は縮小と拡大を繰り返すが、その内部の物質が無傷で残存するわけではない。

2022年1月に紹介した、ブライアン・グリーンの『時間の終わりまで』では、2を前提に宇宙の進化と終末を論じているが、3~5にも言及している。

宇宙の終末について、多くの研究者がさまざまな研究をしていることが紹介されている。そして、いずれにしても鍵となるのは、量子重力とダークエネルギーの解明、ということらしい。

車椅子探偵の幸運な日々

2024-10-04 12:52:08 | 読書ブログ
車椅子探偵の幸運な日々(ウィル・リーチ/早川書房)

原題は HOW LUCKY

舞台はアメリカ南部の、大学を中心とする街。主人公は26歳の男性。難病をかかえながらも、電動車椅子と複数の介護士に支えられ、親元を離れて一人で生活している。職業は、在宅ワークによる航空会社の苦情受付窓口。

ある日、玄関ポーチから、通りで若い女性が車に乗り込むのを目撃するが、その後、彼女が行方不明になっていることを知る。

その事件の顛末を描いたミステリ。しかし、タイトルから想像されるような、安楽椅子探偵の趣向ではない。

この本の魅力は、常に呼吸停止の危険に直面し、進行性のため悪化することはあっても回復の見込みのない難病を抱えた青年の、生活と意見を存分に描いているところ。

ミステリとしての出来映えはともかく、ミステリ仕立てでなければ、読みとおすのがずっと難しかっただろうし、そもそも、この本と出合うこともなかったかもしれない。

だから、日本語タイトルがミスリーディング、などというのはやめておこうと思う。

読みながら、原題と内容の関連がもうひとつ飲み込めなかったのだが、終盤に、一気に明らかになる場面がある。