神は数学者か?(マリオ・リヴィオ/ハヤカワ文庫ノンフィクション)
ハヤカワ文庫の<数理を楽しむ>シリーズ。著者はアメリカの天体物理学者。
数学は、そもそも人間が頭の中でひねり出しだだけのものではないのか。それがなぜ、宇宙の森羅万象を、これほどにも、よく説明するのか。という問題意識をテーマとする著作。
実用性など考えずに、知的好奇心から生み出された数学理論が、後に、特定の事象を非常によく説明するという例がよくある。例えば、18世紀に誕生した、ひものトポロジーは、物質の根源を探求する超弦理論に応用されている。そして、分野を問わず多くの最先端研究で、高度な数学が不可欠となっている。
著者は、数学は人類の発明なのか、それとも、もともと存在する真理の発見に過ぎないのか、という問いの形で、数学の発展史を概観する。
それほど読みやすい本ではないが、この本を取り上げたのは、巻末で小島寛之氏が紹介している言葉が秀逸だったから。
生物学者は、自分たちを化学者だと考えている。化学者は、自分たちを物理学者だと考えている。物理学者は、自分たちを神だと考えている。でも、神は数学者である。
これは、アメリカの数学者たちの間で流行っているジョークとのこと。小島氏は数学エッセイストで、これまでに読んだ作品は、どれも面白かった。
ハヤカワ文庫の<数理を楽しむ>シリーズ。著者はアメリカの天体物理学者。
数学は、そもそも人間が頭の中でひねり出しだだけのものではないのか。それがなぜ、宇宙の森羅万象を、これほどにも、よく説明するのか。という問題意識をテーマとする著作。
実用性など考えずに、知的好奇心から生み出された数学理論が、後に、特定の事象を非常によく説明するという例がよくある。例えば、18世紀に誕生した、ひものトポロジーは、物質の根源を探求する超弦理論に応用されている。そして、分野を問わず多くの最先端研究で、高度な数学が不可欠となっている。
著者は、数学は人類の発明なのか、それとも、もともと存在する真理の発見に過ぎないのか、という問いの形で、数学の発展史を概観する。
それほど読みやすい本ではないが、この本を取り上げたのは、巻末で小島寛之氏が紹介している言葉が秀逸だったから。
生物学者は、自分たちを化学者だと考えている。化学者は、自分たちを物理学者だと考えている。物理学者は、自分たちを神だと考えている。でも、神は数学者である。
これは、アメリカの数学者たちの間で流行っているジョークとのこと。小島氏は数学エッセイストで、これまでに読んだ作品は、どれも面白かった。