少し偏った読書日記

エッセーや軽い読み物、SFやファンタジーなどの海外もの、科学系教養書など、少し趣味の偏った読書日記です。

悪しき正義をつかまえろ

2022-10-29 07:00:00 | 読書ブログ
悪しき正義をつかまえろ(ジェフリー・アーチャー/ハーパーBOOKS)

ジェフリー・アーチャーの<ウィリアム・ウォーウィック>シリーズの第三作。今作では警部補に昇進し、内務監察特別班を指揮する。原題は「見て見ぬふりをする」という意味の慣用句。内部腐敗の摘発という、警察小説の王道テーマをどのように調理するのか、また、これまで積み重ねた設定をどのように展開するのか。

第一作の敵役は脱獄中。第二作で捕らえられた麻薬王は裁判にかけられるが、それを弁護するのは、第一作からおなじみの悪徳弁護士。第三作の敵役は、主人公と同期の、実績のある花形警察官。捜査班はこれらの敵役に対応していくことになるが、彼らは互いに結託する傾向があり、一筋縄ではいかない。物語では、捜査と裁判が並行して進み、捜査が成功しても、裁判では、悪徳弁護士の狡知や陪審制の制約から、十分な成果が得られない、というのもこれまでと同様。そして、次々と予想外の事態が進行し、やきもきしながらも、結局、作者の思うままに翻弄されることになる。

このシリーズの魅力のひとつに、第一作で登場した、美術品窃盗詐欺師の妻の存在をあげることができる。悪ではないが、完ぺきな善でもない。そのあたりの加減が、物語に陰影を与えている。間違いなく、この人物は次作でも登場するだろう。

次作では、主人公は警部に昇進し新たな任務につくことが、作中で予告されている。訳者あとがきでは、第四作“OVER MY DEAD BODY”は、2023年冬に刊行予定、とのこと。これも慣用句のようだが、あえて直訳すれば『俺の屍を越えてゆけ』ということになる。(そういうタイトルのゲームがありましたね。)

最終定理

2022-10-22 07:00:00 | 読書ブログ
最終定理(アーサー・C・クラーク&フレデリック・ポール/早川書房)

最近、東京創元社の作品が続いたので、早川書房にも義理立てをしようと図書館で探してみたら、少し古いが、巨匠2人の共著を見つけた。

最終定理とは、フェルマーの最終定理のこと。すでにワイルズによる証明が存在するが、本作は、たった5ページの「簡潔な」証明に成功した数学者の物語。数学の小ネタがいくつか出てくるが、基本的には、人類の宇宙進出に関わるSFなので、数学が苦手でも問題ない。

主人公の波乱万丈の人生と並行して、地球を監視する異星種族や、米国、ロシア、中国のパワー・ポリティクスの動向が描かれる。これらがどのように絡み合い、どのように収束するのかが、本書の趣向。

2008年に刊行された作品だが、現在の視点で読むと、大国間のパワー・ポリティクスの様相が楽観的過ぎて、現実味がないので残念、という面があるのは否めない。(まあ、ある時期までは、経済が発展すればおのずと民主化されるはず、という楽観論があったのは確かだ。)

しかし、テンポのよい物語の展開や、共著者が得意とするテーマへの収束は、久しぶりに、彼らの作品を読む楽しさを思い出させてくれた。

なお、作者もあとがきで断っているが、最終定理の「簡潔な」証明はできない、と考えるのが妥当。もうひとつ、本書には、リーマン予想が証明された旨の会話があるのが気になる。(もちろん、まだ証明されていない。)

すべては量子でできている

2022-10-15 07:00:00 | 読書ブログ
すべては量子でできている(フランク・ウィルチェック/筑摩選書)

著者は、強い力の理論(量子色力学)を導いた「漸近的自由」の発見でノーベル賞を受賞した物理学者の一人。

9年ほど前に、この人の著作『物質のすべては光』を読んでいる。質量の起源から大統一理論に至る最先端物理学を解説する内容で、タイトルは、「宇宙の本質は粒子ではなく、(かつて光の媒質と考えられたエーテルと同様に)時空を一様に満たす、多重超電導媒質としての空間そのものである」という著者の主張を端的に表したもの。

本書では、広大な空間と悠久の時間からなるこの宇宙が、ごく限られた素粒子とごく限られた法則によって構成されていることを、整然と解説していく。物理学からみたこの宇宙に対する理解の、現時点での到達点と、残された謎を語る内容。

特に印象に残ったことが2つ。著者も、限りない人間の可能性に対する脅威は、化石燃料の大量消費と核兵器だと考えている。

もうひとつは、ダークマターとダークエネルギーの説明。(最近の宇宙論に関する本には必ず出てくるが、本書の説明が一番わかりやすかった。)著者は、ダークマターの正体を「アクシオン」だと考えている。強い力の理論において見つかるはずの「対称性の破れ」が見つからないことを説明する粒子だが、まだ発見されていない。

タークエネルギーは、時空そのものにゼロでない密度を想定するもので、一般相対性理論の方程式における宇宙項と同じ意味をもつ。

著者は、何もない空っぽの空間を、一種の物質だと考えているようだ。一般相対性理論を一言で表すと、「時空は物質に、いかに動くべきかを教える。物質は時空に、いかに曲がるべきかを教える」(ジョン・ホイーラー)ということになるが、湾曲し、押し、振動する時空そのものが質量を持つことに何の不思議もない。

別の個所では、このような主張もしている。ある系の中で粒子のようなふるまいをする「準粒子」という現象があるが、空っぽの空間そのものが物質であり、その準粒子が「素粒子」だと考えるべきだ、と。

それが本書のタイトルの意味するところだと思う。前作のタイトルとは逆のようだが、実は同じことを言っているはずだ。

朝霧

2022-10-08 07:00:00 | 読書ブログ
朝霧(北村薫/東京創元社)

北村薫の「円紫師匠と私」シリーズの第五巻。

第三巻『秋の花』は、このシリーズにしては珍しく、女子高生の墜落死をめぐる謎が主題。第四巻『六の宮の姫君』は、このタイトルの芥川龍之介の短編が書かれた意図を推理するビブリオミステリ。大学生活も三年、四年と進み、「私」の成長物語は続いているが、それとは別の顔を併せ持つ長編。作品の紹介のみにとどめたい。

で、この作品は、卒論提出後から、憧れの職業であった出版社の編集者として活躍するまでの、一応の完結編に当たる物語で、第二巻と同様、「私」の周囲で起こる3つの謎を取り上げる。

1つ目は、俳句の世界を描きつつ、俳人でもある校長先生の、本屋での興ざめな行為の謎を解く。(美人の姉の結婚話が出てくる。)2つ目は、リドル・ストーリー(結末を示さない物語)をテーマに、男と女の間の暗い心理を描く。(職場の先輩の結婚話が出てくる。)3つ目は、祖父の日記に遺された暗号を解読する話。その重要な鍵には、師匠の落語の演目もからむ。(「私」の大人の恋が暗示される。)

一応の完結編、と書いたが、この本の十数年後に『太宰治の辞書』が出ている。「私」は結婚し、子どもがいて、出版社で編集の仕事も続けている。当初からの構想、というよりは、後日譚として読者への意外なプレゼントという色合いが強い。短編集だが、本に関する謎に特化しており、このシリーズの紹介は、第五巻をもって打ち止めとしたい。

シリーズを通じて、印象に残ったこと。

「日常の謎」というけれど、気付かなければ、そのままやり過ごされてしまう。謎に気付くためには、それに応じた知識や経験、観察眼が必要だ。水を飲むように本を読む「私」は、第六巻では、少なくとも本に関しては、円紫師匠と同等の域に達したのではないか。

あの本は読まれているか

2022-10-01 07:00:00 | 読書ブログ
あの本は読まれているか(ラーラ・プレスコット/東京創元社)

原題は“The Secrets We Kept”
原題の意味合いは、プロローグに書かれている。CIAで働くタイピストたちは、タイピスト以上の仕事をすることもあったが、その秘密をきちんと守った。

日本語タイトルは、いくらか斜め上の気もするが、文句をいうつもりはない。「あの本」がソ連の作家ボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』であることは、早くに明かされる。

1950年代後半、冷戦まっさかりの時代に、CIAが1冊の本を武器にソ連に作戦を仕掛けた、というのは実際にあったことらしい。それを題材に、女スパイたちのドラマを描いたもの。

大半が一人称で記述されており、最初のうちは、章によって視点が変わっていることにとまどうが、各章のタイトルが人物を表していることに気づくと、一気に読みやすくなる。

スパイ小説というよりは恋愛小説ではないか、という感想もありうるが、やはり新機軸のスパイ小説として評価したい。決してシリーズ化できない作品だと思うが、本来、スパイ小説はシリーズ化するのが難しい。ジョン・ル・カレの、あのシリーズは稀有な例外であり、たいていは、内部の裏切りや組織へのダメージなどにより、一貫性のある話を継続するのが難しくなる。(007は作品ごとに主人公も設定も変わり、継続性を維持するフリさえしていない。まあ、あの作品の性質上、非難すべきことでもないが。)

東側の国民弾圧の過酷さや、西側のこの時代の偏見など、心が痛む描写もあるが、物語に欠かせないパーツとして組み入れられている。読み進めるにつれてページをめくる勢いが増す。ハピーエンドとはいえないが、読後感は必ずしも悪くない。