災害予防調査会(プラネット通信ブログ)自治州と環境と防災と新エネルギー

防災環境研究30年。危険な高層ビルや地下開発が進まないよう、防災環境基準作りと対策を州で行うよう訴えるブログを開設した。

熊本地震の震度7二回連続が倒壊原因という嘘と姉歯問題ー後書2舛添問題とオリンピック施設②

2016-06-20 00:44:21 | 耐震基準はずっと嘘である
いってみればアテネでフランス貴族の遊びから発したオリンピックが、国家同士の国威高揚の場になったのが、ナチスのベルリンオリンピックだった。このオリンピックが第二次大戦につながった。

 実はベルリンオリンピックに次いで昭和15年の東京オリンピック開催が決まって東京の改造が行われていた。日本の満州併合を列強が国際連盟の場で非難した。松岡洋右が国際連盟を脱退してまぼろしのオリンピックとなった。

 ちなみにこの時の国連における松岡の演説は日本語だったが、ちゃんとリンカーンの「人民の人民による人民のための」の「人民」と言っていた。今は平気で何でも「国民」という言葉を使うが、これはナチスの言葉だと自覚すべきである。国際連盟脱退後、近衛内閣の国民総動員体制・翼賛国家日本で広めた言葉である。
 小学校を「国民学校」とか、内務省土木局を国土局とか言い換えた。戦後の角栄時代に突然下河辺敦を長官とする「国土庁」が作られたのは、翼賛体制への逆コースであるし、省庁改変で菅がやった行革も戦前回帰だった。

 戦前のオリンピック準備の一環として,当時日本が無理やり併合した満州から、朝鮮を通って満州の石炭を八幡製鉄に運ぶために(本当は満州併合の目的が満州の石炭でオリンピックが口実)、門司から東京までほぼ現在の山陽新幹線・東海道新幹線は、戦前決まっていたのである。

 時速100キロを超す流線型の新幹線もそのころ決まったスタイルだった。戦前の東京オリンピックに合わせて建設する計画が今と異なるのは、戦前の鉄道のエネルギーが石炭で戦後は電化で車両ごとにエンジンがついていることだった。
 ドイツのフォン・ブラウンがロケットを発明したので、信じられないことだが、ドイツでは戦前ロケット流線形の石炭列車が時速100キロ以上を出していたそうである。満州鉄道は戦前のドイツで出していたのをまねようとしたのだった。これを電化したのが東海道新幹線というわけである。

 だから戦後のオリンピックと新幹線計画を、戦争協力を反省した戦後の社会党が反対して当然だった。今の社民党や社会党出身の民主党議員らは、こういうことをほとんど何も知らないで行革民営化が一番正しいと20年間に本をダメにしてきた。
 

 戦前の国家体制も国家組織も社会主義の本質も、日本の誤りの原因も、野党が反対すべきものは何かも70年安保以後の社会党議員が知らないから、戦前を知っていた社会党員だったら憲法9条改憲案より先に防ごうとしたであろう翼賛体制逆コース、つまりナチス体制や、金融資本の統合による日本支配や海外の労働者支配を恥ずかしくも恐ろしくも村山内閣でやったのである。

 加藤紘一が村山政権の官房長官として、菅直人が96年自社さYKK路線だと言って厚生大臣として選挙で示した国民の意思に反してやった「金融ビックバン・省庁改変・平成の市町村合併・首相公選制改憲」こそ、まさに近衛翼賛体制の復活であった。

 現在の60年安保世代以降社会党出身者は、「60年安保反対の思想的バックボーン」を提供した「朝日・岩波の言うことが民主主義」と思っている。伊勢湾台風から国会議員の目をそらすために,日本企画院と東大戦争研究所族が岩波雑誌世界を使ったと私は状況証拠から思っている。事実、安保闘争の年のあと、清水以下岩波知識人安保反対論者たちは皆転んだのだった。

 近衛内閣のスポンサーが朝日新聞で、満州事変から日中戦争にかけて朝日新聞は戦争に徴収された子供や夫の安否を知りたい家族の購読者が激増した、戦時体制焼け太り新聞だった。戦時下の大本営発表ばかりを朝日新聞は報道したが、こんなおそろしい近衛国家総動員体制翼賛議員の生みの親の一部が朝日だというからびっくりである。

 戦前の議員の多くはその翼賛体制で、確実に小選挙区で一人だけの候補として議員になれたので反対するものはどれだけいたのだろう?だからこそ、伊藤英成議員に「鳩山一郎と西尾末広が翼賛議員にならなかった」と、鳩山由紀夫を菅の代わりに代表にするように頼んだ。

 その話はあとの機会にするが、戦後も朝日が村山逆コースと戦後最悪の首相小泉菅政権の生みの親、最大の応援団だった。このとんでもない体質が旧民主党から民進党に引き継がれているのは、朝日新聞出身の細川が作った日本新党が、議員候補を松下政経塾に頼ったからである。小沢がどうして「羽田初代首相をやめて細川首相にしたのか?わからないが、アメリカは細川と松下幸之助のつながりを「ナチ復活」として警戒していたと思う。
 
 だから私は「松下政経塾日本新党議員のうち直接菅と原発爆発とインチキ処理にかかわった者以外は、塾の洗脳を受けて右翼チックなのだから、政経塾を捨てて地方自治体の長に立候補せよ」とずっと言ってきた。立候補するなら「環境防災クラブ」は選挙区ごとに出かけて行って危険を教えるから勝てる可能性が高い。首長ならSPが付くから外部に支配されてインチキをしないで済むからと言ってきた。ただし長島議員までは私の許容範囲を超える。
 
 また東京都は国家並みで、3割自治の大阪とは異なる。雇用保険の代わりに生活保護を要求したお粗末派遣労組やNPOレベルに担がれた派遣村村長弁護士にも簡単に首長は務まらないであろう。都職員に共産党支持者が多かった時代ではないからである。
 青島が都知事として何にもできなかった理由は、国家公務員や都庁職員を従わせられるだけの有能な実務を知るスタッフがいなかったからである。美濃部には東大がついていただろうし、鈴木や石原は官庁がバックだった。

 98年、旧民主党事務局に働きかけて「野党の小沢と共産党を除いてすべての野党で学校や病院や公共住宅から環境と地震対策のための政党作ってほしい」といったとき、当然、98年にできた新民主党が、「旧民主党や今民進党や志位共産党がやっている重要なことは皆審議会の答申を議論せずに、与野党全会一致の戦時中の翼賛体制を復活させる野党になる」ことは債務不履行で、ありえなかったのである。

 舛添辞任追及の先鋒を務めたフジテレビとTBSが、辞任のあと「実は石原都政もこんなに無駄遣いをしていた」と放送した理由は、フジテレビは安倍の意向で舛添をやめさせようとしたらむしろ東京だけでなく全国各地で自公の参議院選にマイナスだった。
 TBSは舛添問題の反応が視聴者の反応がいいから、長野選挙区から出るTBSの杉尾の応援のために毎日午後ひるおびで舛添批判ばかりやって放送法と公職選挙法違反をしてしまっていたからと思う。
 だから双方が辞任後あわてて訂正していると思うが、そもそも石原慎太郎がどうして舛添の何倍もインチキだったのに野党の批判を受けないで当選し続けたのか?

 当時民主党は菅と政経塾議員を中心に阪神大震災隠しを自社さ民主党政権でできないから、小泉政権と石原を陰で応援してちゃんとした対抗馬をわざと立てなかったからである。そして後継ぎは菅の盟友として「高速道路民営化」猪瀬が都政を引き継ぐ予定で副知事になったと思われる。民主党政権が猪瀬でオリンピックをやろうとした、そのために他国より1000億円(円レート変動を換算すると700億?)以上も高いザハド案の新国立競技場のおかしな選定が民主党政権下で行われたと思うのである。

 実際猪瀬より舛添のほうが、東京都民の立場ではるかにオリンピックに対してまっとうな仕事をしたと思う。東京都の経費を節減し、東京湾8キロ開催のリスクを減らす努力をしたら、湾岸の危険を知らない自民党の都議会ボスの気に障った。これを安倍がトリプル選挙に利用しようとしたのではないか?

「改憲さえ主張しなければ一人区野党一本化など瓦解する」のに、参議院選自公負け要因を自ら作ってどんどん拡大させてしまったわけである。

 村山内閣は社会党の戦後の批判精神を受け継いで高速道路が阪神大震災で壊れた原因を追究することなく、消費税反対おばさんと、なんでも「民営化」で国会が責任追及をできなくすることが一番素晴らしいことと讃えた。

 80年代にはじまった朝日の翼賛報道へのリターンと、社会主義を知らない70年安保世代の勘違い社会党ーこれが政権を取ったら即社会党が瓦解した原因である。
 オリンピックだけでなく、95年の村山内閣の自社さYKK路線を、石原慎太郎と菅民主党と小泉純一郎と安倍晋三が引き継いで日本経済をつぶしたのである。

 世界一の日本経済の源がなにかも知らないで、その根元から皆刈り取って外資に唯どころか円安マイナス金利で渡して、日本を落日に向かわせた張本人こそ現日銀総裁黒田と自社さYKK小泉内閣の民営化路線の高橋洋一である。

 しかし最近は、安倍政権の経済運営は元々の自民党と官僚の共同作業に戻って「円安ドル還流銀行救済大企業つぶし日本売り」を以前よりしなくなっている。
 財政運営も、黒田がバンバン国債発行分を引き受けて世界中に過剰流動性を垂れ流して世界中を温暖化させることは少しづつ減ってきているのである。

 そもそも黒田こそ村山政権のさきがけ大蔵大臣が作った「失われた10年が20年であろうと22年目」に入ろうとすべての元凶である。自公と安倍が参議院選で負けないためには「改憲を言わないことで野党の改憲阻止一本化攻撃をそらす」「黒田の円安日本売りアベノミクスを宣伝しなければ、100円を超える円高が仮にあっても、今は日本経済が村山以降黒田がつぶして弱くなっているので一時的である」ことを説明するだけでいい。

 イギリスのEU離脱は恐れることではないのである。もともと英ポンドが黒田のおバカのおかげで、かってのオーストラリアドルのように高すぎるだけなので、貨幣価値が落ち着くところに落ち着くだけで何のことはないのである。今まで黒田のおバカがイギリスの傀儡としてかいがいしくポンド高を演出して奉仕していま捨てられようとして慌てているだけである。

 安倍は民主党のインチキ仕事を[TPP]や「20メートルの津波防波堤や原発処理ロードマップ」のように引き継いだ。小泉純一郎は、1995年の村山内閣の「120円円安金利0.5%をさらに悪い唯金利マイナス金利にした。自社さYKK路線こそ日本没落の原因である。

 アベノミクスは村山と小泉政権で榊原英資・黒田・丹呉がやった国民の金利泥棒、財投泥棒ー厚生年金と郵便局消滅政策に「アベノミクス」と名付けただけである。いずれも日本国を世界中の投機犯罪資本に売り渡した悪魔官僚現日銀総裁黒田と高橋洋一と竹中らがやったことである。
   
 この点だけが旧東京高商高専つまり一ツ橋出身で年齢が高い石原慎太郎はまっとうだった。都知事としてやったことの中でまっとうだったのが 黒田のマイナス金利で失敗させられた「新銀行東京」だったが大赤字になった。
 これは文春新書で「ドル帝国主義」を書いた吉川元忠の主張に沿って、石原都政が中小企業金融金融を国民金融金庫のように金利を上乗せしてリスクを取って育てようとしたものと思う。
 しかし民主党と小泉らが私たちの厚生年金と郵便局の貯金と保険を盗む03年のマイナス金利泥棒政策を国家権力でやった時に、民主党菅岡田克也枝野が、黒田高橋竹中路線こそ民主党の路線だと、郵政選挙で「年金を消費税」「郵政民営化の本家は民主党」とやって、小泉と一緒に新銀行をつぶしたようなものであろう。 
 新銀行東京のもう一つの失敗は、トップを銀行経営の本物のプロにしなかったことだった。日銀総裁黒田がマイナス金利をやめて背任詐欺化公職選挙法違反であるいは未必の故意の殺人で刑務所に入るまでは日本経済はどうやってもまっとうにならない!と思う。

 石原慎太郎は元運輸大臣で、阪神大震災のあと突然都知事になった時からオリンピックを口実とした旧日本企画院と東大戦争研究所の東京交通網の震度5インフラの阪神大震災基準作り直しを強引にやってきた。

 その際の東京都知事としての仕事ぶりが、舛添批判の中身そのままだった。それにプラスし
て、過去の報道を信じるなら「自分の子供の為に東京都の現代美術館を立てて作品を選ばせた」ならその建設費や絵画購入費など、舛添の美術館見学の何万?倍ものコストを都税から石原個人のために使っている?
 
 公用車の私的利用どころか「都知事でありながら登庁しない。せいぜい週2,3回午前10時ころから3時ころ」とかいう報道があったが追及したのはTBS毎日や赤旗だったのだから、舛添の前に石原慎太郎と猪瀬を先に追及すべきだった。ガラパゴス海域への船をチャーターしたクルージングとかの報道があった気がするが、事実なら一体いくらか?

 今回の舛添批判の急先鋒たちは、時事通信田崎をはじめとして週刊文春フジTBSと野党は皆このようなことを知っていて舛添だけが悪い、初耳だというような報道をしたのである。

 これほどひどい先例を作った石原都知事が3期も通用したのは、村山内閣の行革臨調路線が生まれたのは、中曽根首相の時で臨調事務局長だった日米開戦の時の作戦参謀が松下幸之助に頼んで松下政経塾を作った理由が、誰も知らないが新幹線の震度5耐震にあったからであろう。この事実こそ、東海地震説と「東海地震対策措置法」の本当の理由なのである。
 臨調国鉄民営化運輸大臣経験者の石原慎太郎と民主党の日本新党松下政経塾出身議員はツーカーの仲で、旧民主党からずっと菅直人は日本新党松下政経塾の「青嵐会」並みの若手ネオナチを側近としてきた。
 その菅直人を朝日やTBS毎日がリベラル代表扱いして「脱ダム騒動」に見られるように、下水管だけ日本中に100%広めて水浸し下水道ばかりの国土にしたのである。
 
 石原慎太郎は千葉から埼玉神奈川までの阪神大震災基準の環状高速道路網を1999年から推進した旧運輸省の傀儡である。だからこそ今唐突に「田中角栄本」を書いて『日本列島改造計画』をやり直しさせようとしているのである。

 つまり石原が都知事として関東知事会で推進した阪神大震災基準の高速道路と地下鉄作り直しが大間違いだから、熊本でも東日本大震災でも最新新幹線や最新高速道路が壊れた。だからもう一度日本列島の幹線鉄道と道路網を作り直すために大嫌いで馬鹿にしていた角栄を持ち上げる本を書いたと思われる。

 民主党の社会党系は、かって社会党が反対していた首都環状高速道路網や地下鉄大江戸線以降の大改造やレインボービルッジの代替として外洋に作った恐竜型ブリッジと湾岸の80年代埋め立て地を内側にするために更に埋め立てを推進する為に、オリンピックや高速道路網や築地移転などを口実にする、朝日新聞のある築地再開発の一番の協力者になってしまった。
 
 首都高や日本中の高速道路の阪神大震災基準の作り直しが危険であると2003年に都知事選の公約案にして菅を都知事にしようとしたら、菅は今まで民営化で無駄遣いをなくすといっておきながら、今度はなんと高速道路「無料化」を打ち出してやっぱり東大戦争研究所と日本企画院の傀儡として謀略ばかりを続けたのである。

 いずれにしても菅枝野のやったことはいつも反対者に対して暗殺と冤罪がまとわりつく!菅と枝野にちゃんと対抗すべきである!

 そういうわけで、東電について枝野が「選挙妨害だ法的手段をとる」というならやったらいいと思う。昨日の報道ステーションでは枝野が記者会見で語っている映像を挟んだが、いつの会見かテロップを入れるべきである。

 もし原発メルトダウンを知った菅と枝野がメルトダウンを公表すべきと東電や原子力保安院を促したのなら、どうして東電が私が官邸に電話して発表を促した直後5月より前にメルトダウンを発表しなかったのか?
 第一、今よりまっとうだった週刊文春が職場不倫をばらして、菅が連れてきたTPP担当の原子力保安院のスポークスマンがで退任するまで、1年メルトダウンを否定したのを菅枝野が放置したことがおかしい。 
 メルトダウンの可能性をわかりづらい言葉で表現しただけで、原子力保安院の国家公務員の配置換えを2回した菅内閣が、どうして1年間原子力保安院のスポークスマンとして、強引に東電がメルトダウンと言っても否定した国家公務員は更迭しなかったのか?

 たったこれだけの状況証拠で菅枝野の主張のおかしさがわかる。 
 枝野の一番の犯罪は、これを民事で追及して刑事告発するが、最近分かったが98年の野党三党再生法破りの主犯がむしろ枝野と仙谷の可能性があることだろう。その結果10万人以上が自殺に追い込まれた。枝野は不法行為と未必の故意の殺人の主犯の可能性がある。98年は殺人の時効がなくなった後なので、私は合憲という最高裁判例に疑問を持つが、今も刑事告発が可能であろう。不法行為は20年が再来年である。

 原発については、菅と大畠と海江田の後に野田佳彦の内閣で枝野が経産大臣になって、証拠隠しのために原子力保安院の組織を変えて原子力規制委員会にした。枝野の目的は、当時の東電や経産省首脳を皆首にすることあったと思う。

 そのために「1ミリシーベルトで危険」という嘘を使って、東電を「賠償金が必要だという口実で東電を税金で国有化した」と思うのである。ちなみに一回の胸のレントゲンは5ミリシーベルトらしい!この話も後で。