雑誌「WIRED」の最新号のタイトルは、「<わたし>の未来 Identity デジタル時代のダイヴァーシティー」である。
巻頭の編集長のエッセイは「最適化されてはならない」である。実に明確なメッセージだ。現下の情報差異消費資本主義に対して、われわれはどう向き合ったらいいのか。各人の心身の消費不可能な<辺境>としてある、脆弱な<趣味>や<美意識>の徹底的な洗練と自覚を梃子にして乗り切ろうとすること自体は、ほとんど不可能なのかもしれないが、そういう不可能への願いとして、この雑誌のコンセプトが提示されている、ということは、稀有な事である。趣味が良くなければ洗脳を解くことはできない。美意識に目覚めなければ、生成し続けるシステムに対して抵抗することはできない。さらには、システムの再生産の中でも置いて行かれるのだ。ということだろうか…。
第一に、表紙が美しい。これは某週刊誌の表紙とはまさに一線を画している。国分功一郎と熊谷晉一郎との対談という思想のデザインの仕方がいい。その対話を彩るYOUSUKE KOBASHI の絵が、みごとにこれに照応している。
たぶん今は封印されている種々の問題についても、若手のルポルタージュや写真をあくまでも全体の均整を損わないなかで少しずつ載せてゆくというかたちで紹介することは、この雑誌なら可能かもしれない。ほかに気になる記事をあげると、ネットという谷間の話。ロスタム・バトマングリのはなし。ツクルバの提案。おもしろい。こういうクールな雑誌を一部の若者だけのものにしておくのはもったいない。オジサンたちものぞいてみるべきだ。
※2020年12月13日に再度アップする。
巻頭の編集長のエッセイは「最適化されてはならない」である。実に明確なメッセージだ。現下の情報差異消費資本主義に対して、われわれはどう向き合ったらいいのか。各人の心身の消費不可能な<辺境>としてある、脆弱な<趣味>や<美意識>の徹底的な洗練と自覚を梃子にして乗り切ろうとすること自体は、ほとんど不可能なのかもしれないが、そういう不可能への願いとして、この雑誌のコンセプトが提示されている、ということは、稀有な事である。趣味が良くなければ洗脳を解くことはできない。美意識に目覚めなければ、生成し続けるシステムに対して抵抗することはできない。さらには、システムの再生産の中でも置いて行かれるのだ。ということだろうか…。
第一に、表紙が美しい。これは某週刊誌の表紙とはまさに一線を画している。国分功一郎と熊谷晉一郎との対談という思想のデザインの仕方がいい。その対話を彩るYOUSUKE KOBASHI の絵が、みごとにこれに照応している。
たぶん今は封印されている種々の問題についても、若手のルポルタージュや写真をあくまでも全体の均整を損わないなかで少しずつ載せてゆくというかたちで紹介することは、この雑誌なら可能かもしれない。ほかに気になる記事をあげると、ネットという谷間の話。ロスタム・バトマングリのはなし。ツクルバの提案。おもしろい。こういうクールな雑誌を一部の若者だけのものにしておくのはもったいない。オジサンたちものぞいてみるべきだ。
※2020年12月13日に再度アップする。