石原吉郎の詩を読む。たまたま手元にある「星座 第一号」という三十ページほどの小冊子で、表紙には「石原吉郎 書下し作品集」とある。昭和五一年五月矢立出版。定価500円。装丁が司修。詩七篇にインタヴューを収める。
気配
とどかねば
とどかなければ緑の極限へ
風の支度
水の支度
ながかったとは思わぬが
一度の食卓へ
そんなにも生きたのだ
とどかねばそして
とどかなければ
すべて支度する
気配へいそがねば
とどかねば
全部で十二行の詩である。行番号を付す。
1とどかねば
2とどかなければ緑の極限へ
3風の支度
4水の支度
5ながかったとは思わぬが
6一度の食卓へ
7そんなにも生きたのだ
8とどかねばそして
9とどかなければ
10すべて支度する
11気配へいそがねば
12とどかねば
1行目の「とどかねば」と2行目の「とどかなければ」はリフレインで、いきなり何か切迫した息遣いを感じさせる。1行目を読んだ時に、どこに「とどかなければ」いけないのか?という疑問を持つが、その謎はただちに「緑の極限へ」という言葉で答を与えられる。ではその「緑の極限」というのは何か。それを続く詩の言葉は説明してくれるのか?ということを思いながら読んでいくのだが、
3風の支度
4水の支度
5ながかったとは思わぬが
6一度の食卓へ
と来て、「緑の極限」が、「一度の食卓」と同じ目的の場所・時間であるということが、わかる。そこに行くには、「風の支度」や「水の支度」が要るのだ。季節だとすれば、冬を経て「緑の極限」に向かって伸び拡がって行こうとする、いのちの芽のようなものの思いを、上空に向かって「とどかねば」、「とどかなければ」と懸命に「届こう」としている。
けれども、「一度の食卓」は一回きりのもので、その「極限」と同時に決定的に終わってしまうものであるような気配が漂っている。その証拠に、
5ながかったとは思わぬが
6一度の食卓へ
7そんなにも生きたのだ
「ながかったとは思わぬが」と「そんなにも生きたのだ」という詩行の間に「一度の食卓へ」という言葉が差し挟んであるわけだから、この「一度の食卓」は、長くはないが自分でも思っている以上に生きた人が「気配」を感じるような「一度の食卓」の「気配」なのだということになる。そうすると石原吉郎の死に方を知っている読者としては、このただならぬ
「緑の極限」への「気配」は、ほとんど死と同義の生の極限のようなもののことではないかと思われる。しかし、これは生の絶頂と死の絶頂とが相通うという、通俗化したエロスとタナトスの論理を詩に流し込んだものではなくて、作者の固有の生についての倫理観を幻の「食卓」に形象化したものとして読まなければならない。「緑の極限」はすなわち生の極限のことだろうか。ここが微妙なところである。「一度の食卓」では何かを食べたり、誰かと会ったりするということがないのだろうか。どうしても最後の晩餐のイメージが、「食卓」という言葉の下にちらついて来るようだ。
あえぐように切迫しながら、「支度」をして、伸びあがり、自然そのものと同化したような「風の支度」と「水の支度」を整えながら、「とどかねば」と希求するもの、それは何だろうか。そのような「気配」を感じている。生き急ぎ、死に急ぐような、あえぐような希求する感じをもって、まだ「とどか」ない時間を生きている現実の作者がいる。
読者としては、そのような切迫した生の息遣いを持ちながら自分は生きているだろうか、という反問を持ち、また逆に「とどか」ない悩みを抱きながら生きている者にとっては、この詩は、
10すべて支度する
11気配へいそがねば
12とどかねば
という焦慮の感覚を言い当てたものとして、共鳴するところがあるはずなのだ。この時に人はどのような姿勢でいるのだろうか。石原吉郎の詩は、急角度で生きる者の倫理を表明したものなのであり、そういう意味では危機の時空に宙づりにされた言葉でもある。「すべて支度する」と言って、「気配へいそがねば」と続けるときに、はからずも「急がねば」という一語を漏らした。そうすると、この「支度」は、どうしても「緑の極限」であるような死の支度へと傾斜するようだ。ところが、簡単には届かないから「とどかねば」と言い続けることになるわけなのだ。言うなれば、生も死も難いのだ。そこで踏みとどまるという事が、詩を書くことなのであり、またこのような危地の詩を生きるということでもあるのだろう。安易にはさわれない、戦後の一精神のかたちである。
気配
とどかねば
とどかなければ緑の極限へ
風の支度
水の支度
ながかったとは思わぬが
一度の食卓へ
そんなにも生きたのだ
とどかねばそして
とどかなければ
すべて支度する
気配へいそがねば
とどかねば
全部で十二行の詩である。行番号を付す。
1とどかねば
2とどかなければ緑の極限へ
3風の支度
4水の支度
5ながかったとは思わぬが
6一度の食卓へ
7そんなにも生きたのだ
8とどかねばそして
9とどかなければ
10すべて支度する
11気配へいそがねば
12とどかねば
1行目の「とどかねば」と2行目の「とどかなければ」はリフレインで、いきなり何か切迫した息遣いを感じさせる。1行目を読んだ時に、どこに「とどかなければ」いけないのか?という疑問を持つが、その謎はただちに「緑の極限へ」という言葉で答を与えられる。ではその「緑の極限」というのは何か。それを続く詩の言葉は説明してくれるのか?ということを思いながら読んでいくのだが、
3風の支度
4水の支度
5ながかったとは思わぬが
6一度の食卓へ
と来て、「緑の極限」が、「一度の食卓」と同じ目的の場所・時間であるということが、わかる。そこに行くには、「風の支度」や「水の支度」が要るのだ。季節だとすれば、冬を経て「緑の極限」に向かって伸び拡がって行こうとする、いのちの芽のようなものの思いを、上空に向かって「とどかねば」、「とどかなければ」と懸命に「届こう」としている。
けれども、「一度の食卓」は一回きりのもので、その「極限」と同時に決定的に終わってしまうものであるような気配が漂っている。その証拠に、
5ながかったとは思わぬが
6一度の食卓へ
7そんなにも生きたのだ
「ながかったとは思わぬが」と「そんなにも生きたのだ」という詩行の間に「一度の食卓へ」という言葉が差し挟んであるわけだから、この「一度の食卓」は、長くはないが自分でも思っている以上に生きた人が「気配」を感じるような「一度の食卓」の「気配」なのだということになる。そうすると石原吉郎の死に方を知っている読者としては、このただならぬ
「緑の極限」への「気配」は、ほとんど死と同義の生の極限のようなもののことではないかと思われる。しかし、これは生の絶頂と死の絶頂とが相通うという、通俗化したエロスとタナトスの論理を詩に流し込んだものではなくて、作者の固有の生についての倫理観を幻の「食卓」に形象化したものとして読まなければならない。「緑の極限」はすなわち生の極限のことだろうか。ここが微妙なところである。「一度の食卓」では何かを食べたり、誰かと会ったりするということがないのだろうか。どうしても最後の晩餐のイメージが、「食卓」という言葉の下にちらついて来るようだ。
あえぐように切迫しながら、「支度」をして、伸びあがり、自然そのものと同化したような「風の支度」と「水の支度」を整えながら、「とどかねば」と希求するもの、それは何だろうか。そのような「気配」を感じている。生き急ぎ、死に急ぐような、あえぐような希求する感じをもって、まだ「とどか」ない時間を生きている現実の作者がいる。
読者としては、そのような切迫した生の息遣いを持ちながら自分は生きているだろうか、という反問を持ち、また逆に「とどか」ない悩みを抱きながら生きている者にとっては、この詩は、
10すべて支度する
11気配へいそがねば
12とどかねば
という焦慮の感覚を言い当てたものとして、共鳴するところがあるはずなのだ。この時に人はどのような姿勢でいるのだろうか。石原吉郎の詩は、急角度で生きる者の倫理を表明したものなのであり、そういう意味では危機の時空に宙づりにされた言葉でもある。「すべて支度する」と言って、「気配へいそがねば」と続けるときに、はからずも「急がねば」という一語を漏らした。そうすると、この「支度」は、どうしても「緑の極限」であるような死の支度へと傾斜するようだ。ところが、簡単には届かないから「とどかねば」と言い続けることになるわけなのだ。言うなれば、生も死も難いのだ。そこで踏みとどまるという事が、詩を書くことなのであり、またこのような危地の詩を生きるということでもあるのだろう。安易にはさわれない、戦後の一精神のかたちである。