さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

〇抜き書き 『「宣長問題」とは何か』子安宣邦

2019年12月09日 | 
「十八世紀の注釈学的な知にもとづく神をめぐる新たな言述のあり方が、真正な言述として排他的に自己正当性を主張しながら、イデオロギー性を持った〈神の言説〉として宣長において成立する。この〈神の言説〉こそ、「純(筆者傍点)神道」と追認されて近代の神道学的な言説として再生するものである。宣長において、一方に注釈学的実証性があり、他方に皇国主義的イデオロギーがあるといった「謎」としての二面性が問題としてあるのではないのだ。そうした問題の指摘者は、宣長において〈神の言説〉がどのように成立し、そしてそれがどのように近代に再生する〈神の言説〉としてあるかを知ろうとはしないのである。いま問われる「宣長問題」とは、宣長に成立する〈神の言説〉が近代に再生すること、あるいは近代に再生しうるものとしてあることにあるのである。いま、天皇の再生の儀式が「神典のまゝ」という理念に導かれて行われようとするとき、「宣長問題」がどこに、どのようなものとしてあるかはいっそう明らかであるだろう。」
 この文章は、昭和から平成への転換の時期に書かれたものである。
 本書は、大嘗祭の予算の出所を問題とした秋篠宮、それから平成を通じて戦争の犠牲になった多くの亡魂を和魂として鎮めようと尽力された上皇ご夫妻の考え方を支持するものである。