さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

読書雑記

2019年12月15日 | 
〇正津勉の『乞食路通』は楽しい本だった。路通は芭蕉の弟子で、路通で一冊の本にしたのは著者がはじめてだというのにも驚いた。私の部屋には、いつか読もうと思って買ってある正津勉の詩集が何冊かあるが、八十年代に読んだ詩の印象が強烈なので、むしろその思い出を壊したくなくて読まないままにしてあるのである。
人間の評価というのは、一度決まってしまうとなかなか変わらない。乞食路通の評価をめぐって著者が繰り出すことばには、世人に誤解され続けて来た路通に代わって弁明してやっているような所がある。そのうえで巻末に近いところに晩年の自由な句境についての解説がある。それは路通を信じて読んで書いて来たからこそ可能な読みなのだ。

〇このところ青春の頃の自分がいいと思ったものに戻るということを試みていて、それは今後は往還の還路を踏まねばならぬという思いから来ているのだが、佐々木幹郎の『中原中也 沈黙の音楽』(岩波新書)などは、そういう流れのなかで手に取った本である。

新編の全集の編纂のなかで著者が気付いた事や、資料から読み取れる人間関係など、はじめて知ることばかりだった。旧版全集だって全部読んだわけではないから、あえて新編を見ることもないだろうと思っていたが、それは多少文芸にかかわる者としては知的な怠慢だった。私は「曇天」が好きな詩なのだが、それがなぜ好きなのかということが、今度佐々木の本を読んで少しわかった気がした。

「中也が目指していた「歌」と「声」は、この作品に見られるように、岩野泡鳴と呼応して、日本の詩語のなかに、文字化されることによって削り取られてしまった身体的なリズムを回復しようとしていた。しかも、「ゆたりゆたり」とした「旗」のなびく反復運動の音は、無音(沈黙)であることが重要で、それが究極の「歌」として成立したのである。」(143ページ)

これは日本の近代詩の象徴主義理解を最深のところでとらえた言葉の一つであろう。翻訳詩に影響されて詩を作ってきた近代詩人の負い目を一撃で払うに足る理解のしかたと言えるのではないか。

〇清田明宏『天井のない監獄 ガザの声を聴け!』(集英社新書)
 帯に「UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)でバレスチナ難民550万人の命を守る日本人医師」とある。UNRWAは、ウンルワと読む。
 「ガザには194万人が住んでいるが、そのうち144万人が難民である。」そうして大半の人に「職がない。」若者は何が欲しいかと問われると、ほとんどの人が「人間の尊厳がほしい。」と答えるという。それは日本ではありえないことだ。それほど過酷な状況である。
「国際協力の世界には、実際のところ問題が山積みになっている。答えがいつもあるわけではない。しかし、すべては「共感」から始まるのだ。」
 たぶんもっとガザの話をする、ということが必要なのだ。それは、何もしないよりは数段いい。