不意と手に取るのは、積んであった本が崩れた時だというのは、申し訳ないのだが、それでもこの機会をのがすと永久にコメントしないままになってしまうと思うから、書いてみることにする。著者三冊目の歌集である。
何年も会はないままに出す葉書けふ揚雲雀を見ました、とのみ
何年も会はないでゐて〈友〉と思ふその独善もさみしさならむ
コロナの影響で、この歌のような人々は多いだろう。ほぼ二、三年会わないままの友人が私にもいる。先日ある人に知人の安否確認のための電話をしたら、「私も気になる人が何人かコロナのせいで音信不通になってしまっている」と、おっしゃっていた。二首目は、自分が勝手に友と思っているのだけれど、という意味だが、ほとんど会ったこともなく疎遠なのに親しい気持の湧いて来る人というのは、私も幾人か思い当たる。その逆もあるが、それは言わないことだ。それが世間をやすらかにするのである。それをあえて言う人がいて、時々おいおい、きみ大丈夫か、と思うが、まあ、人はいろいろだ。しかし、政治家の人たちは、あえてでも言ってもらわないと困る。
次に母を詠んだ作品を引く。
母のゐます深きやすらぎ緑いろのせせらぐやうな風のなかなり
淋しがりの母は夜ぢゆう歌を歌ふわらべ 昼間はすやすや眠る
影させばただにおびえつ陽のがはにあれば忘れつ天のしたなる
※「天」に「あめ」と振り仮名。
けふも笑顔を見せくれるかな目瞑るはいかなる修行をしてをられます
やさしく包むような思いで詠まれている老母介護の歌である。ああ、わかるわかる、という方も多いであろう。
まどろみのおほくなりたる母の眼はあいてもけさはそらさうとする
これは何げなく作っているが、なかなかの佳吟と思う。