さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

田江岑子のうた

2021年11月23日 | 現代短歌
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日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/11/06)
投稿日:2012年11月06日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

呼ぶに似る方ふり向くや岩間よりしたたる水の独り言なる

何とした大夕焼けか落ち水のほそき嗚咽のとどかぬ彼方

さみどりの楓のそよぎいつか止み旅する水のきこえて来るも

えいえんの分水嶺に立ちて見つ幾重山波あかき樹の海

    田江岑子歌集『北上山地 夢見さす詩歌』(砂子屋書房刊)

 
 一首めは、山中の湧き水の響きをうたったものである。水音は、声のように聞きなせるものなのだろう。作者は、一九二五年生まれ。現在岩手県盛岡市在住、北上山地出身。これは郷土への愛がはぐくんだ作品群である。八十年代よりむかしの「未来」には、社会的な事象とそれに対する思想を歌うことをもとめ、またリアリズムを奉ずる作者が多かった。そういう短歌結社にありながら、夢見がちな浪漫的な自己の資質をずっと保持して歌いつづけ、今に至っている。歌集には、山や森の光景にむけた初々しい感受性の震えが、年齢を感じさせない至純の調べとして定着されている。

風立つや紅葉いっせいにとびちるを掻きいだきたきかなしみ走る

陽にかわき嵩なす落ち葉掻きちらし何ぞ探せる風かまた風

吹雪けるか白馬駆けるか逃げまくる否追いまくるわからなくなる

 山の落ち葉の壮絶さは、古来幾多の詩歌人がその感動を記しとどめようとして来たものである。二首めの「何ぞ探せる」という擬人法は、近代日本文学が、英詩やロシアの小説を輸入しはじめた頃の修辞を思わせる。そういう古風なイギリスの自然詩人のような詩の風韻は、故郷の北上山地を恋いつつすごす北の風土の中から自ずと育まれて来たものだということが、この歌集を読むとわかる。だから、やや平凡な、見慣れた比喩の用いられた歌にも命が吹き込まれていると感ずるのである。

夢に生きる夢見ているか日盛りの畦の水路に浸りいる蛇

歩みながら聴く青嵐のコンサート溢るる喝采山また山よ

 しかし、この人の山行は常に一人であるという感じを受ける。あふれる歌の言葉が、豊かな自然との交換のなかで、その孤独を意味あるものとしている。そこに亡き父母や兄弟への思いが溶け出してくる。それは、短歌(和歌)がずっと持ち伝えて来たひとつの姿なのだと言える。

何とした日暮れの早さ鴉鳴くこだまとこだまを真似いる鴉

落ちゆきし夕日をあとに戻りくる犬さみしそうに真っ黒になり

 日が落ちたあとの山峪の暗くなるのは早いのだろう。こういうふうに動物をうたった歌は見たことがない。

氷河期の北上山地へさかのぼる翼ならずや彼の山吹雪

水色の母の空見ゆ ついてくる枯れ葉の音にふり返るたび

                     
 二首めは、本書に付載の『北上山地』より。そうして私は、長い時間のなかのひとときを永遠と等しいものとして感受するこころを獲得しようとする。自然にむける目は、自ずと挽歌をうたうこころに通じて行くのである。

タグ: さいかち真, 北上山地 夢見さす詩歌, 日めくり詩歌, 田江岑子, 短歌

米川千嘉子歌集『あやはべる』

2021年11月23日 | 現代短歌
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日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/11/19)
投稿日:2012年11月19日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

複雑な家系きはまりあらはれしマキシラリアフェルゲンナスナオナオの花

たましひや希求といふ語するすると帆に立てながら若者は言ふ

数学を解くとき息子が聴いてゐるあはあはと澄む「いきものがかり」の歌

琉球弧ふかく浮かべるキンドルのあたらしき白われはつつしむ

             米川千嘉子歌集『あやはべる』

 短歌をつくり続けていると、事物を観照しようとする心の姿勢が自動的になるというところがある。それは、だんだんに内部がうつろになってゆくような怖さとしてあって、たとえば岡井隆や、今回ここにとりあげている米川千嘉子のようなプロの歌人が、そこのところで表現の内実が空洞化する危険と闘って、新たな局面を切り開こうとしている姿は、フィギュア・スケートのスケーターが危ういジャンプを続けている様子を見ているのとあまり変わりはない。同じたとえで言うと、かつてはウルトラCだったのが、今はΕ難度とか、とてつもないレベルの難度を要求されるようになっている体操競技と、現代短歌の修辞レベルの高度化とは、相似的である。だから、かえって逆に、今度の歌集に多く見える米川の息子をうたった作品を見るとほっとしたりもする。
 掲出の歌集巻頭の一首めは、私はさほど興味をそそられない。どうしても二首めや三首めの方が、歌を読んでいるという気がするようだ。二首めは、「するすると帆に立てながら」というところに感心する気持ちと、微妙な違和感が表現されている。三首めは従来通りの行き方の生活詠である。そうして、四首めのような事実の取り込みと、心境の定位とを同致させた歌に、短歌という文芸形式にぴったりのイキの良さを感じる。

御柱の綱引くなかの若き母負はれて揺るるみどり児の足
  「御柱」に「おんばしら」とルビ。

国際通りぎ、い、と笑へる弥勒面勝間和代にすこし似てゐる
  「弥勒面」に「みるくめん」とルビ。

ウイッグをのせて生まるる詩はあらむ八百の銀河光てるかみのけ座

 一首めと二首めは、目のつけどころが無条件におもしろい。三首めは、とっさの機知のおもしろさが光っている。

冬の森だれもをらねば影がをり椿の落つる万華鏡道

若葉光レモンのジュレに落ちるのは永福門院が見てゐたひかり

子の去れば思ふこころに空間の生れてしづかに揺れゐる茅花

 歌集の後半には、震災以後の作品が並ぶが、それはここでは引かない。今本を繰ってみて私が心を引かれるのは、上のような歌である。作者にとって明治の浪漫派の歌や伝統和歌は近しいところにあるのであり、そういう心の持ち方ができる人が現代にいるということを、私は心強く感ずる。こんなふうに詩歌を愛する人のために歌集はある。

タグ: あやはべる, さいかち真, 日めくり詩歌, 短歌, 米川千嘉子

安部洋子のうた

2021年11月23日 | 現代短歌
ファイル移動の五つ目。安倍さんの新しい歌集については、何か月か前にこのブログに記事を出した。

日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/11/30)
投稿日:2012年11月30日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

西のくにと思うまで夕日美しき湖の街秋は水匂う

余光と言う明かりの中に包まれてしばし歩めり湖に入るみち

         安部洋子『西方の湖』(砂子屋書房刊)

 この歌の湖は、宍道湖である。作者は、島根県松江市に住んでいる。地方には、こういういい歌を作る歌人がいて、世間の人には、ほとんどその存在を知られていなかったりする。この本の栞を書いているのは、花山多佳子と池本一郎と山田富士郎の三人である。池本も山田も日本海側に住んでいる。
叙景歌が主体なのだけれどもへんに枯れたところがなくて、繊細な夢みるような、やさしい言葉の響きが魅力的な歌が数多くこの歌集に出て来る。掲出歌の一首めを分かち書きしてみると、

西のくにと
思うまで 夕日
美しき
湖の街
秋は水匂う

 というように、一・二句と、二・三句が、句またがりとなっており、字余りの句を重ねながら全体としてバランスをとっているあたり、凡庸な作者のよくなすところではない。こうして分かち書きしてしまうと、定型からはみ出している部分が強調され、きわだってしまうのだが、一行に書きなしてある歌を読んだ時には、自然な印象を持って読めたはずだ。ここには「アララギ」の系統の、それも土屋文明の大きな影響がある。けれども、その一般的にはごつごつとした印象を与えるはずの字余りの多い句法が、作者の場合には、少しも強引な印象を与えない。むしろ独自の生への詠嘆を抱え込んだものとなっているところに、この作者の並々ならぬ韻律のうえでの修練の積み重ねが感じられる。私はかつて川口美根子が六〇年安保の頃に作った嵩高い武張った歌を批評して、「女性にはむずかしい技法と調律の仕方だった」というようなことを書いたことがあるのだが、安部洋子の場合は、すでにそうした域をはるかに抜け出た自在な歌境に到達している。そういったことに気が付く年齢に私もさしかかったし、またその程度には歌がわかって来ると、これより若い世代の新しい作品集の多くが索漠としたものに見えて来てしまうということはあるのだ。

積む雪にひと色となりし道に立つ胸に折れ来る光をうけて

片虹を立てて日照雨の過ぎゆけり湖はひそかに傾きながら

ここに会うほのかに白きえごの花ただよう光もまた過ぎゆかむ

遠見ゆる白鳥三百ふつふつと流れ地上に白き波立つ

 四首めの単純化した白鳥の群のとらえ方のよろしさ。一応ことわっておくと、三首めの結句の表記は、元の歌集の通りである。細かいことを説明すると、作者は現代仮名遣いだが、助動詞の「む」については、歴史的仮名遣いに従っている。作者が所属している「未来」では、ずいぶん前に雑誌一冊まるごとが、一度に現代仮名遣いに変わった時があった。今は新・旧仮名遣いの両方とも可になっているが、作者の世代はそうした外的な条件の影響をもろに被っている。もう一首最後に引いてみたい。

しろしろと湖心に向かう夕潮の深くくぼめるひとところ見ゆ

 この歌人も、写生の方法を通って象徴詩に至る道を歩んだ一人と言ってよいだろう。読むほどに沁みてくる歌である。

タグ: さいかち真, 安部洋子, 宍道湖, 島根, 日めくり詩歌, 松江, 短歌, 西方の湖

徳高博子歌集『ローリエの樹下に』

2021年11月23日 | 現代短歌
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日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/12/13)
投稿日:2012年12月13日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

雄雄しかる樟と見えしが後ろ背にぞつくりおほき虚を負ひたる
 「虚」に「うろ」とルビ。

念ひ断つために呟くさやうなら きんぎんあかね けふのゆふ雲

花ごとにかの世のひとのひとりづつ降りきてゑまふ夜の薔薇園

                 徳高博子歌集『ローリエの樹下に』(砂子屋書房刊)

先に失った母と、この歌集の時期に見送った父への思いが基本的なモチーフとなっているが、挽歌を読んでも、心が重苦しくならない。香りの良いワインのような歌がたくさんあって、ページをめくる心はやすらかであった。それは、身近な人の死を素材として生のまま投げ出さずに、きちんと詩に昇華して扱っているからである。そのような詩的研鑽を可能とする言語文化圏に作者は属している。掲出歌のように、自然の景に託して己の心事をのべようとする歌のかたちが、きっちりとできあがっている。だから、よけいな感傷の押しつけがない。それは潔いと言ってよいのである。

美はしき恋欲ることなかれ崖線にあふるる緑目眩むばかり

もはやなんぴともわれを侵さぬ 幾千のあしたの後の寂しき勝利

未だ知らぬこの世の珍味かぞへつつリヴァイアサンを啖ふヒト想ふ
 「啖」に「く」とルビ。

三首続けて引いた。精巧で技術的に完璧な歌だ。高度な自意識によってソフィスティケートされた修辞は、時に自身のもっとも内奥にある願望をも美意識の花の後に隠すのだろうと思われる。うつくしすぎる、というへんな誉め言葉を上のようないくつかの歌に捧げておきたい。もっとも上の三首めは、ただうつくしいだけではないが…。私はここで、この歌集の解説を書いている黒瀬珂瀾も含めて、春日井健の存在が、この一群の人々にとってどれだけ心の支えだったのかということに思い至らざるを得ない。おしまいに引く。

 葬送の皐月の空は美貌なり今生後生とほる光に

 鉄線のむらさきはつか揺らす風いづこにもいます君と想はめ

 鉄線は、春日井健が愛した花なのだそうである。

タグ: 2012年12月13日, さいかち真, ローリエの樹下に, 徳高博子, 日めくり詩歌, 短歌

吉井勇のうた

2021年11月23日 | 現代短歌
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日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/12/26)
投稿日:2012年12月26日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

 竹林に半日がほどありしゆゑわれの骨はも戞戞と鳴る
   「半日」に「はんにち」、とルビ。

 いきどほり心に持ちて見るときは竹ことごとく槍のごとしも

 おもしろと眺めてあればたそがれぬ天邪鬼めく石の姿を
   「天邪鬼」に「あまのじやき」とルビ。

 胸ぬちに心は燃ゆれわれもまた石と思へば言に出さず
   「言」に「こと」とルビ。
                    吉井勇歌集『遠天』(昭和十六年五月刊)

 
 竹の歌を二首、石の歌を二首、それぞれ引いてみた。閑居して竹に親しみ、石と対話しながら、作者は時に激しく世を憤る口吻をもらす。ただ隠棲しているのではなく、烈々とした憤怒を秘めて背を向けているのである。対米戦争開始前夜の昭和十五、六年頃の日本の短歌は、言論の自由が極端にせばめられた状況下にあって、豊かな実りの時を迎えていた。そののちの歴史の激動によって吹き飛んでしまったけれども、近代短歌の到達したある高みというものが、幾人かの歌人の作品のなかに具現化されていると私は感ずる。
 たとえば手元の『遠天』の巻末の広告ページをみると、甲鳥書林の昭和歌人叢書全八巻として、筏井嘉一『荒栲』、岡野直七郎『太陽の愛』、岡山巌『運命』、坪野哲久『櫻』、前川佐美雄『大和』、五島美代子『赤道圏』、斎藤史『歴年』、五島茂『海図』の名前が並んでいる。八冊のなかに短歌史に名を残す傑作が含まれている割合の高さに驚くのだが、同じ時期に『新風十人』や、『渡辺直己歌集』や『魚歌』や『歩道』が刊行されている。
 私は土屋文明の反語的行き方に私淑しているから、昭和十年代の後半では、やはり『韮菁集』が一番だと思うが、浪漫派の系譜では、昭和十年代の吉井勇の充実は、特筆に値するものだと思う。対米開戦・真珠湾の大戦果の瞬間のカタルシスに酔ってしまったのは、この歌人も同様だったのだけれども、軍人専横の時代を怒り続けた点では、ほぼ一貫していた。しかもそれを同時代に続々と歌集を出して発信し続けていたところに、この人の矜持を感じる。
 「巻後に」として、次のような言葉が書き付けられている。「ここで私の言っておきたいことは、敢て孤高の精神と言わないまでも、芸術はすべて厳粛なる人間の真実に徹底しなければいけないということである。滔々たる時代の流れの中にあっても、この信念だけは、敢然として守ってゆきたいと思っている。」(新仮名遣いにして引いた。)
 そもそも「芸術」という言葉をもって詩歌を語ろうとする衝動が、現代の詩歌人には薄いのではないかと私は思う。さらに「人間の真実」とまっすぐに言えた時代がまぶしく、こういうものの考え方自体が、不思議なぐらい自分のなかに乏しいことに驚く。現代短歌は「芸術」だろうか。むろん芸術の名に値するものは、たくさんある。けれども、何かが決定的に推移してしまった。われわれは、その「あと」の時代を生きているのだということは、どうしても認めざるを得ないのである。私には、多くの近代歌人の名前が、ここで吉井勇の言う「芸術」の墓碑のように見える。そうであるが故に、いっそうそれらの価値はふりかえられなくてはならないものだとも感ずる。「芸術」という理念が失効してしまった時代に、「芸術」の価値を、歴史的な権威に寄りかからないように語る姿勢が、もとめられる。
 今日を生きる歌として、たとえば吉井勇の歌や、近代短歌のあれこれを読むこと、そのような作業に向けて、多くの人を結びつける媒体として、このページはあってもいいのかもしれない。

一年間読んでくださった皆さん、ありがとうございました。また裏方のスタッフの方々、本当にごくろうさまでした。

タグ: さいかち真, 吉井勇, 日めくり詩歌, 短歌, 遠天

石田比呂志の歌

2021年11月23日 | 現代短歌
別のサイトにあげてあったものをこちらに移しています。ふたつめ。

日めくり詩歌 短歌 さいかち真 (2012/08/09)
投稿日:2012年08月09日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

空っぽの柩戦後を浮游せり怒気柩底に秘匿しながら
 「空」に「から」、「柩」に「ひつぎ」、「柩底」に「きゅうてい」とルビ。

冥界へも往ったり来たりそりゃあなた自由自在な方でして、ハイ
  「自由自在」に「かつてきまま」、「方」に「かた」とルビ。

    石田比呂志歌集『流塵集』(二〇〇八年八月一七日刊)

日本の戦後詩の中で、お棺の詩というと思い浮かぶのは、田村隆一の「立棺」だ。あれにはどんな詩も及ばないだろうと、私は思う。だから、それは別格として置いておいて、石田の歌を見ることにしよう。ここで柩に入っているのは、特攻隊の若者たちの霊魂だ。何で空っぽなのかって、それは、少し考えてみればわかる。骨も残さないで逝ってしまったのだ、彼らは。すべてをお国のために捧げ尽くして……。見えない特攻隊兵士のひつぎは、虚空に遍満し、その辺を飛び回っているかもしれない……。ううむ、怖くて外を歩けないじゃん。

二首めは、おそらく斎藤史の有名な歌のパロディである。こちらは、どこか落語風ですらある。カルト教団の指導者などが、冥界と交信をして、いろいろと予言したり、教え導いたりすることができるのは、石田の言うように、それはそれは「自由自在」な境地に到達していらっしゃるからだろう。どうせ冥界と交信するなら、埴谷の小説『死霊』程度の節度があってほしいものだが、昨今のようにいろいろなゲームの中毒になって来ると、なかなかそれは難しいものらしい。

点滴の落つる雫の感覚と鼓動と時に合うことのあり

ほろ酔いの父は炬燵で唄ってた迎春花が咲いたなら
 「迎春花」に「インチユウホウ」とルビ。


まっ白い御飯に赤い梅干を埋めて昭和一桁日の丸弁当
  「一桁」に「ひとけた」とルビ。

一首め。病気で入院して、こういう諧謔をたしなみとして持てる人を私は尊敬する。

戦争の先行きを知らされないまま、戦争中に中国、満州に移住した人は、大勢いたのである。作者はそれを憤っている。短歌は、そういったことを最後まで言い続ける器でもある。ゆめ忘れめや、ということである。作者は昭和五年生まれ。私の知っている昭和一桁は、みっともないことができない。最後まで一本筋を通さないと気が済まないので、生き方は不器用だ。だから、時流に乗っかって動くことを忌むのである。その結果として無名である、というような場合は、死後の顕彰が必要である。石田比呂志もそういう人かもしれない。

私ごとだが、昭和八年生まれの母をこの六月に亡くした。自ら律する、というところで、最後まで私など頭の上がらない母であった。

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中澤系のために

2021年11月23日 | 現代短歌
 自分の書いたものがあちこちに散らばっていて、それを集めて何か編集しようと思いつつ、そのままになっている。
 この夏に久しぶりに短歌作品をまとめてみたものの、いつまでも送る気が起きなくて、この夏に出した冊子も八十部ぐらい送ったところでそのままになっていた。先日やっと短歌ジャーナリズムの方におくったのだが、「未来」に広告は出てしまったし、せめて「未来」の人にはおくらないと、と思いつつ、今日も別の事をやっている。宿題だらけなのだ。
 ブログも、少しずつこちらに引っ張ってきて、あとはコピーものこしておかないと、いつ一度に消滅しないともかぎらない。それで、手始めに「日めくり詩歌」を少しずつこっちに移動してみようかと思う。

日めくり詩歌 短歌 さいかち真(2012/01/09) 投稿日:2012年01月09日 カテゴリー:日めくり詩歌(月~金曜更新)

そしてまた生き残ったさ受像機に長く空席待ちのひとびと   中澤 系

作者は、昭和四五年生まれ。「系」は「けい」と読んで男性である。本名は圭佐。一万人に一人という難病にかかり、二〇〇九年に早世した。これは、歌誌「未来」の一九九九年三月号にのっていた作品だから、作ったのは九八年十二月頃だろう。五句に切ってみると、「そしてまた/生き残ったさ/受像機に/長く空席/待ちのひとびと」となって、四句めと五句めにかけて「空席待ち」が、句またがりになっていることがわかる。現代詩ふうに、たとえば三行で表記すると、

そしてまた 生き残ったさ。受像機に
 
長く空席
待ちのひとびと

となる。久しぶりに歌集をひらいて読みはじめると、作品に漂っている取り残され感は、まるで震災後に世間に広がった「がんばろう」という言葉に乗っかれないでいる孤独な若者のつぶやきのようだ。二首前にこんな歌がある。

ご破産で願いましては積み上げてきたものがすべて計量される日

これは要するに死ということを青年が観念のなかでもてあそんでいる詩である。読み方は、私の場合「ご破産で/願いましては/積み上げて/きたものがすべて/計量される日」というように、字余りの四句めを、だだだだっと早口にして読む。これを「原発事故で住処を追われた人々への賠償額」というような報道を念頭にして読むと、そういった、個人の一切の所有が経済的な事柄に還元されるというような事は、本来あってはならないことなのだという気がして来る。さらに言うなら、宗教的には、一生のすべての罪が一度に計量されるということへの抗議として、作者はこの作品を作ったのではないかという気もする。

消費せよ次なるnを 向こうから来る生活をただに微笑み
展望のない未来までシミュレイトしたくて暗い部屋に灯ともす
絶対に開かぬ角度で噛み切ったソースの袋のようだ 悲しい

二〇〇一年二月号掲載。この三首は連作である。一、二首めは、少し理屈が合い過ぎていておもしろみの乏しい歌だが、私は、いま三首めの歌を書き写しながら、何だか痛ましくて涙がこみあげて来た。中澤の作品は、猛威をふるったネオリベラリズムへの抵抗として読むことができると思う。

噛みしめているよこの血まみれの手でつかんだはずのメロンパンなら
吃水の深さを嘆くまはだかのノア思いつつ渋谷を行けば

この歌集『uta 0001.txt』(二〇〇四年三月雁書館刊)には、こうやって何かを噛み砕く歌が、何首も出て来る。作者が当初構想していた歌集のタイトルは「糖衣(シュガーコート)」であった。本当は苦いはずのものが、何やら甘い糖衣に包まれてすんなりと口に入ってしまうということに、現実が、あたかもそれが当然そうであるかのようにするすると自動的に推移して行ってしまうことに、作者は、作品を通じて徹底的に抗っていた。代表歌となった、〈3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって〉も、そういう思考へのこだわりの果てに出て来たものだ。この歌は、歌集の栞文に穂村弘が取り上げてから、一気に有名になった。

右の歌の「パン」は、苦い現実そのもののことだろう。「吃水の深さを嘆く」というのは、彼が師事していた岡井隆の技法を受け継いでいる句だが、都市を行く自分の内面の屈託をそう表現したのであろう。方舟のノアを思うというのだから、気分が重ったるくて沈没しそうなのだ。渋谷を行きながら不意に水びたしの街のように感じる、というのは、何となくわかる気がする。

「終わりのない日常を生きろ」というような言葉が、当時は巷に響いていた。作者は早大で哲学を専攻した学生だったし、影響されるところもあった。経済的にはロスト・ジェネレーションと言われた世代。流行したポスト・モダン思想の負性をもたっぷりと吸い込んでしまった昭和四十五年前後に生まれた世代の、その気持ちを代弁した歌集として、もっとこの歌集を多くの人に紹介したい。最近文庫本になった穂村弘著『短歌の友人』にも中澤系の作品は引かれている。

版元の雁書館は廃業してすでになく、初版五百部、再版三百部のこの歌集を、私はどこかで再刊してもらえないかと思っている。なお、再版の本は、百二十ページのところにミュージシャンの川本真琴さんへの謝辞が入っている点が、初版とちがっている。これは時々質問を受けるので、書いておく。