諸書雑記
今日は久しぶりにブックオフに寄ったので、購入した書名をならべてみよう。すべて二百円棚にあったものである。
いま読了したのが星野源『甦る変態』(2014年5月刊初版)で、この人のアダルト・ビデオに対するリスペクトの言葉がすばらしい。もしまちがって出演して自殺を考えているような女性がおられたら、星野さんの曲を聴き、この本を読んで思いとどまってほしい。アダルトはまちがいなく星野さんの創作の栄養の一部だということである。
このほかに著者は、かなり無理して自分の「ヘンタイ」を演出している気配がなきにしもあらずなのだけれども、このヘンタイというのは、繊細なアーティストの自意識を包むための一種のオブラートなのだろうと思われて、世の中は不正直な人間にあふれているから星野さんぐらいに正直だとつらかろうと思い当り、それやこれやの思いが湧いてきて、この文章を書き始めたのだった。以下はそのほかの廉価購入書。今日は芸能棚に集中した。
戸田奈津子『スクリーンの向こう側』(2006年、WOWOW発行、共同通信社発売)
水野学『グッドデザインカンパニーの仕事』(2008年12月第二刷、誠文堂新光社)
星野源『働く男』(2013年1月第3刷、マガジンハウス社)
マキタスポーツ『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』(2014年、扶桑社刊)
久世光彦『みんな夢の中』(一九九七年十一月第一刷、文藝春秋社刊)
壇蜜『どうしよう』(2016年、マガジンハウス刊)
青柳いづみ子『翼のはえた指 評伝安川加壽子』(2000年第6刷、白水社刊)
一昨日読んだのは、深田祐介『歩調取れ、前へ』(二〇〇七年、小学館刊)で、これは戦前から戦後に及ぶ著者の少年時代に取材した自伝的・回想的な小説である。戦時中箱根に居た千人近いドイツ軍の兵隊たちの話や、キリスト教会の話、B29の海坊主のような怪異なデザインに対する恐怖など、新たに得られた知見が多かった。また、戦後のダンス・ブームの記述が川口美根子さんの歌の内容を裏書きしていて参考になった。翌日この本の話を神奈川西部地方の事情に詳しい人にしたら、その駐日ドイツ人との間に産まれた子供が「あいのこ」なんて言われて、戦後の進駐軍のアメリカ軍人のとの間に産まれたものと混同され、へんに差別されてしまうような時代があったということだ。
深田祐介の本に触発されるような感じで手に取ったのが、昨晩読んでいた中村稔の『私の昭和史』(二〇〇四年十一月第四刷、青土社刊)である。父親がゾルゲ事件の判事だったという詩人の自伝で、父親はゾルゲを尊敬していたという。そのことはおくとして、古賀照一(宗左近)の『詩(うた)のささげもの』から引用された五月二十五日夜の四谷左門町一帯の空襲の体験を記した一節が哀切極まる。 ※ 以下の引用文の振り仮名は(括弧)に入れて示した。
五月二十五日夜、四谷左門町一帯がアメリカ軍の空襲によって火の海になりました。母とともに逃げまどいました。脱出は不可能です。真福寺の墓地のなかに立ちすくみました。火がつかないのに、卒塔婆がいっせいに炎えあがるのです。最後です。十名ほどの少女たちの群れが泣き声をあげていました。「オ父(トウ)サン、コワイヨー」、「オ母(カア)さん、助ケテ」。わたしは立ちすくみました。癪です。この世にさよならする詩をせめて一行、生み出してやるぞ、一枚の灰になってしまったっていいのだぞ。考えました。でも、何も出てこない。ああ。やっと‥‥
現(うつつ)よ、透明(あかる)い わたしの塋(はか)よ
だが、これは、六ヶ月ほど前にノートに書きつけた一行にすぎないのでした。
そして一時間後、火の海から走り出たのは、わたし一人でした。」
宗左近は二十余年後の昭和四十二(一九六七)年に『炎える母』という詩集を出した。私はそれを読んだことがないので、いずれ読んでみようと思う。それにしても、この泣いていたという少女たちのことが、無性に悲しい。
東京空襲の犠牲者たちの多くが、銃後の女性たちや疎開していなかった幼少の子供たち、そして高齢者などの弱者だった。アメリカ軍のB29は、逃げられないように街全体を火の柱で取り囲み、そこに焼夷弾を計画的にばらまく絨毯爆撃を行って、市民を虐殺したのである。東京空襲を語り伝えることに尽力した早乙女勝元さんは、昨年5月10日に90歳で亡くなられた。私は中学生の時に岩波新書の『東京大空襲』を読んだことがある。
今日は久しぶりにブックオフに寄ったので、購入した書名をならべてみよう。すべて二百円棚にあったものである。
いま読了したのが星野源『甦る変態』(2014年5月刊初版)で、この人のアダルト・ビデオに対するリスペクトの言葉がすばらしい。もしまちがって出演して自殺を考えているような女性がおられたら、星野さんの曲を聴き、この本を読んで思いとどまってほしい。アダルトはまちがいなく星野さんの創作の栄養の一部だということである。
このほかに著者は、かなり無理して自分の「ヘンタイ」を演出している気配がなきにしもあらずなのだけれども、このヘンタイというのは、繊細なアーティストの自意識を包むための一種のオブラートなのだろうと思われて、世の中は不正直な人間にあふれているから星野さんぐらいに正直だとつらかろうと思い当り、それやこれやの思いが湧いてきて、この文章を書き始めたのだった。以下はそのほかの廉価購入書。今日は芸能棚に集中した。
戸田奈津子『スクリーンの向こう側』(2006年、WOWOW発行、共同通信社発売)
水野学『グッドデザインカンパニーの仕事』(2008年12月第二刷、誠文堂新光社)
星野源『働く男』(2013年1月第3刷、マガジンハウス社)
マキタスポーツ『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』(2014年、扶桑社刊)
久世光彦『みんな夢の中』(一九九七年十一月第一刷、文藝春秋社刊)
壇蜜『どうしよう』(2016年、マガジンハウス刊)
青柳いづみ子『翼のはえた指 評伝安川加壽子』(2000年第6刷、白水社刊)
一昨日読んだのは、深田祐介『歩調取れ、前へ』(二〇〇七年、小学館刊)で、これは戦前から戦後に及ぶ著者の少年時代に取材した自伝的・回想的な小説である。戦時中箱根に居た千人近いドイツ軍の兵隊たちの話や、キリスト教会の話、B29の海坊主のような怪異なデザインに対する恐怖など、新たに得られた知見が多かった。また、戦後のダンス・ブームの記述が川口美根子さんの歌の内容を裏書きしていて参考になった。翌日この本の話を神奈川西部地方の事情に詳しい人にしたら、その駐日ドイツ人との間に産まれた子供が「あいのこ」なんて言われて、戦後の進駐軍のアメリカ軍人のとの間に産まれたものと混同され、へんに差別されてしまうような時代があったということだ。
深田祐介の本に触発されるような感じで手に取ったのが、昨晩読んでいた中村稔の『私の昭和史』(二〇〇四年十一月第四刷、青土社刊)である。父親がゾルゲ事件の判事だったという詩人の自伝で、父親はゾルゲを尊敬していたという。そのことはおくとして、古賀照一(宗左近)の『詩(うた)のささげもの』から引用された五月二十五日夜の四谷左門町一帯の空襲の体験を記した一節が哀切極まる。 ※ 以下の引用文の振り仮名は(括弧)に入れて示した。
五月二十五日夜、四谷左門町一帯がアメリカ軍の空襲によって火の海になりました。母とともに逃げまどいました。脱出は不可能です。真福寺の墓地のなかに立ちすくみました。火がつかないのに、卒塔婆がいっせいに炎えあがるのです。最後です。十名ほどの少女たちの群れが泣き声をあげていました。「オ父(トウ)サン、コワイヨー」、「オ母(カア)さん、助ケテ」。わたしは立ちすくみました。癪です。この世にさよならする詩をせめて一行、生み出してやるぞ、一枚の灰になってしまったっていいのだぞ。考えました。でも、何も出てこない。ああ。やっと‥‥
現(うつつ)よ、透明(あかる)い わたしの塋(はか)よ
だが、これは、六ヶ月ほど前にノートに書きつけた一行にすぎないのでした。
そして一時間後、火の海から走り出たのは、わたし一人でした。」
宗左近は二十余年後の昭和四十二(一九六七)年に『炎える母』という詩集を出した。私はそれを読んだことがないので、いずれ読んでみようと思う。それにしても、この泣いていたという少女たちのことが、無性に悲しい。
東京空襲の犠牲者たちの多くが、銃後の女性たちや疎開していなかった幼少の子供たち、そして高齢者などの弱者だった。アメリカ軍のB29は、逃げられないように街全体を火の柱で取り囲み、そこに焼夷弾を計画的にばらまく絨毯爆撃を行って、市民を虐殺したのである。東京空襲を語り伝えることに尽力した早乙女勝元さんは、昨年5月10日に90歳で亡くなられた。私は中学生の時に岩波新書の『東京大空襲』を読んだことがある。