さいかち亭雑記

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子母澤寛の『新撰組始末記』の伊東甲子太郎の歌

2017年01月16日 | 和歌
 坂本龍馬の書簡が発見されたというニュースがあって、自分の書いたものの中に多少幕末の関係の事を書いたものがあるのを思い出した。もとは「美志」復刊二号(2011年9月)。

 伊東甲子太郎の歌について

 古書店の百円棚は楽しい。最近の収穫は、子母澤寛の『新撰組始末記』で、これはよくある文庫本ではなく、元治元年の京都の古地図を表紙に用いた昭和四十二年中央公論社刊本である。その巻末に半井梧菴(なからいごあん)選の伊東甲子太郎歌集『残し置く言の葉草』の二百首が収載されている。文庫本にこの歌集があったかどうか記憶は定かでないが、たいてい文庫などの普及版では、和歌は省略されてしまう。だから、古書になっている最初の単行本はばかにならない。この本は、中学校の頃に文庫で買ったけれども読めなかった覚えがある。伊東甲子太郎は、京の木津屋橋で三十二歳で暗殺された。その人の歌。

  行末はかくこそならめわれもまた湊川原のこけの石ふみ   湊川楠公之碑前にて

 いたってわかりやすい、いつ死んでもいいという気構えにあふれた幕末の志士の歌だが、前回話題にした土方歳三同様、詠み口に気持ちの余裕が感じられる。しかし、新撰組内の紛々たる派閥抗争には、相当に疲れたのではないだろうか。伊東の和歌の大半は、右のような素朴なものだが、それにまじって、紛乱に伴う鬱屈を述べたものが散見する。

  うきことのかぎりを積みて渡るかな思は深き淀の川舟 (濁点引用者)

 詞書によると、これは気持を同じくする知人らと会合してから別れる際に作ったものである。密談だったに違いない。一首は、舟の出るのを待つ間に低声に吟じたものではないかと思う。目の前には川が流れ、友と別れるのに際して古代中国の故事が頭をよぎったかもしれない。先に引いた歌同様に平易な歌だが、「うきことのかぎり」には、実感に根差した重たいものがあり、調べも緊張したものが感じ取れる。
 本来「うきこと」は、恋の思いにまつわるものだった。この歌も状況とただならぬ詞書を外してしまえば、そう読むことは不可能ではない。恋の歌のかたちが、そのままで政治的な憂憤を漏らすためのてだてとなって転用されるような時代を、伊東甲子太郎らは生きていた。この時、和歌の内実は、実用のレベルで変質していたのである。




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