さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

「波」1993年4月号 寺山修司のアフォリズム

2019年01月01日 | 
 
年末に古い雑誌類を取り出して片付けていたら、中から新潮社の「波」1993年4月号が出て来た。その表紙に寺山修司の手書きのアフォリズムが掲載されていたので、切り取って壁に貼ってみた。万年筆で書いたらしい、読みやすいが、横線や、斜めの払いをぐいっと引っ張ったところに特徴がある字だ。

万有の流轉は演劇である

実際に起らなかったことも
歴史の裡である

どんな鳥も想像力より高く
飛ぶことはできない

言語は時の曲馬である
   
       寺山修司
 
人間の想像力というものに何よりも高い価値を見いだしていた寺山らしい言葉である。

万有の流轉は演劇である。…人間のすることなすこと、自然の営みのすべてが、寺山に言わせれば虚構でいいのだということになる。虚構の側から「歴史」を見ている。大胆な価値観の転倒がここにはある。挑発している、と言ってもよい。もしくは、提起として受け止めてみてもいい。そんなに「事実」が大事なのか?私小説的な精神風土に寺山は抗った。

言語は時の曲馬である。…曲馬だから、振り落とされないように乗りこなさないといけないのだ。時というのは、時勢、時運、時機ということだろう。世阿弥と同じことを言っているようでもある。表現全般にかかわる人たちの聞くべき言葉にちがいない。

 ついでに余計な事を書くと、高校時代の私の知人の言うには、その当時さんざん私に寺山修司のことを聞かされたということだ。そうだったっけ、と思い返してみる。

美術部の仲間に銀座までATGの映画を見に行っていた男が居て、映画「田園に死す」を紹介されたり、「かあさんぼくは帰らない」という歌が出てくる映画のサントラ版のレコードなどを聞かされたりして、私も相当に寺山にイカれたのだ。美術部の彼はいまでもビジュアル関係の仕事をしているはずだ。このほかに二年生の時に同じクラスの文学好きの同級生といっしょに短歌のプリントをガリ版で刷って配ったりしたが、これも寺山の影響が濃い短歌だった。彼は今でも九州で詩を書いている。文庫本の寺山修司歌集は当時の私らのバイブルみたいなものだった。この文庫本を編集した富士田元彦さんに後年会うことができのたも、何かの縁である。





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