雑読記
2024年12月22日 | 本
「文學界」の新年号のはじめの方から、吉本ばななと市川沙央の短篇をご機嫌な気持ちで読む。二人とも読者のメンタルを台無しにするような書き物は避けてくれているようで、ここしばらく、なかなか風邪が治らない状態の私としては助かった。吉本さんの小説を読むのは久しぶりだが、文章が熟成された印象を受ける。市川さんも快調で、この小説に出てくる主人公の女の子がとっても素敵で、うきうきしながら文字をたどる。
円城塔の『コード・ブッダ』は、新聞で広告をみたあと近隣の本屋に行ってみたものの、店頭になかったので、そのうち出てくるだろうと気長に待って、一か月もたってようやく手に入れた。第二刷である。私は通販で新刊本を取り寄せるようなことはしない。白と黒のカバーのかかった固いかんじの本の造りが、中身に合っている。家に帰ってすぐに半分ほど読んでしまって、いったいどういうふうに終わるのだろうと、心配になった。それで別の本を読んでいた。
斉藤環の『イルカと否定神学』は、タイトルだけでこちらの心を鷲掴みという感じの本で、私はラカンなんてわからかん、と、とっくに諦めていいたのだけれども、この本に述べられているラカンの言葉の意味はわかる。河合隼雄の箱庭療法についての本が私は好きだけれども、無理に作為をもって事に当たらないという方法には、共通する点があると思う。もっとも大きく沈黙を取り込んでいる河合の行き方と、対話を基本とする斎藤とでは治療にあたっての言語に関するメソッドが最初から異なっているわけなのだろうが。
いま足もとからぼろぼろのコピー用紙が出てきて、それは高田宏臣『土中環境 忘れられた共生のまなざし』(建築資料研究所刊)という本の表紙のコピーである。五年ほど前に東京農大志望の学生を指導していた際に手にした本で、この本は、全国の田畑や河川改修の際の基本的な参考書とされるべきものだと私は信じている。
昨日本屋に行ったら光文社の古典新訳文庫でダーウィンの『ミミズの研究』が出ていた。これは平凡社の本が手に入りにくくなっていたので、快挙と言ってよいだろう。全国の理科の先生はぜひこの本を生徒たちにすすめてほしいと思う。
ここまで書いて思い出した。そろそろ霜が下りる時期なので、このあと玄関のサボテンを屋内に入れることにしよう。
円城塔の『コード・ブッダ』は、新聞で広告をみたあと近隣の本屋に行ってみたものの、店頭になかったので、そのうち出てくるだろうと気長に待って、一か月もたってようやく手に入れた。第二刷である。私は通販で新刊本を取り寄せるようなことはしない。白と黒のカバーのかかった固いかんじの本の造りが、中身に合っている。家に帰ってすぐに半分ほど読んでしまって、いったいどういうふうに終わるのだろうと、心配になった。それで別の本を読んでいた。
斉藤環の『イルカと否定神学』は、タイトルだけでこちらの心を鷲掴みという感じの本で、私はラカンなんてわからかん、と、とっくに諦めていいたのだけれども、この本に述べられているラカンの言葉の意味はわかる。河合隼雄の箱庭療法についての本が私は好きだけれども、無理に作為をもって事に当たらないという方法には、共通する点があると思う。もっとも大きく沈黙を取り込んでいる河合の行き方と、対話を基本とする斎藤とでは治療にあたっての言語に関するメソッドが最初から異なっているわけなのだろうが。
いま足もとからぼろぼろのコピー用紙が出てきて、それは高田宏臣『土中環境 忘れられた共生のまなざし』(建築資料研究所刊)という本の表紙のコピーである。五年ほど前に東京農大志望の学生を指導していた際に手にした本で、この本は、全国の田畑や河川改修の際の基本的な参考書とされるべきものだと私は信じている。
昨日本屋に行ったら光文社の古典新訳文庫でダーウィンの『ミミズの研究』が出ていた。これは平凡社の本が手に入りにくくなっていたので、快挙と言ってよいだろう。全国の理科の先生はぜひこの本を生徒たちにすすめてほしいと思う。
ここまで書いて思い出した。そろそろ霜が下りる時期なので、このあと玄関のサボテンを屋内に入れることにしよう。
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